第7話 NOと言えない日本人、王国の不穏な動きに触れる
朝靄の残る一本道を、勇者一行はゆっくりと歩いていた。
旅を始めて二日目、ようやく最初の目的地であるカレナ村が視界に入ってくる。
遠くに見える木製の門や、煙を上げる屋根の家々。小さな畑には野菜が実り、鶏やヤギがのんびりと歩いている。
「……静かで、いいところだな」
シドがぼそりと呟いた。
「空気が美味しいですわね。こういう場所、嫌いじゃありませんわ」
セーラの姿をしたニートリアは大きく伸びをしながら、気持ちよさそうに草原の風を浴びていた。
一方、勇者はすでに足取りがふらつき、今にも倒れそうな様子だった。
昨夜は硬い床と寒さでほとんど眠れず、加えて早朝からの行軍。睡眠も食事も不十分で、体力の限界が近づいていた。
それでも村の入口まで来た途端──
「……あっ! あれ、あれ見て! あの格好! 旅装束に聖女様……まさか……!」
「まさか勇者様!? 本当に!? 本当に来てくださったの!?」
村の子どもが歓声を上げると、あっという間に人が集まり、次第に歓声は熱狂へと変わっていく。
「ありがたや……ありがたや……! 夢ではなかった……!」
「この方が……女神様に選ばれし……!」
勇者は反応できないまま、どんどん人に囲まれていく。
肩を叩かれ、手を握られ、花を渡され、顔を覗き込まれ──
「え?や、あの、ちょっ……」
口を開きかけたその瞬間、すぐ傍らで“セーラ”が声を上げた。
「皆さま、どうか落ち着いてくださいませ。この方こそ、女神様に選ばれし救世の勇者様にございます!」
その一言で、群衆の熱が再燃した。
「うおぉぉぉ!」
「おぉぉぉぉぉおぉぉ……!」
「……寡黙で、慈悲深い……その笑みだけで、救われる……」
勇者の顔には、もはや引きつった笑顔しか残っていなかったが、それすらも「悟りを得た者の表情」と解釈される始末。
そしてついには、腰の曲がった老婆が涙を流しながら膝をついた。
「勇者様……勇者様ぁ……! こんな老いぼれが……生きて勇者様を拝めるなんて……」
その姿を見た他の老人たちも次々とその場にひれ伏し、感涙する光景が広がった。
勇者は再び何か言おうと口を開くが、ニートリアはそれを察して素早く被せる。
「勇者様は、口数こそ少ないですが、そのお姿だけで世界を照らすお方。どうか、その寡黙さの中に込められた覚悟をお察しくださいませ」
こうして、勇者の「何か言おうとする」動作は、完全に「ありがたい沈黙」として崇められるようになった。
その様子を少し離れたところから見ていたシドは、思わず肩をすくめた。
「……おいおい、なんだこの流れ……」
ノクスはそれを見ながら、くすくすと笑みを漏らしていた。
こうして、過剰すぎる歓迎を受けながら、勇者たちはカレナ村での一日目を迎えるのであった。
ひとしきりの歓迎が落ち着いた頃、村の奥から背を丸めた老人がゆっくりと歩み寄ってきた。
「村の者が騒がしゅうしてすみませんのう……。遠路はるばる、ようこそおいでくださいました。わしがこの村、カレナ村の村長ですじゃ」
どこか気品のある老いた声と、ゆったりとした口調。村長は深々と頭を下げた。
「お、女神様の使徒であらせられる聖女様に……そのお傍におられるのは……正真正銘の勇者様……なんと、なんと……」
感極まった村長の声がわずかに震え、再び村人たちから感嘆の声が漏れる。
「な、何もない村ですが……せめて床と食事くらいはご用意させてくださいませ。どうか我が家でお休みいただけませんか?」
村長宅は、木組みと土壁でできた素朴な家だった。
広くはないが清潔感があり、どこも手入れが行き届いている。土間には大鍋がかかり、香ばしい匂いが漂っていた。
「うわっ……めっちゃいい匂いする……」
思わずシドがつぶやく。ノクスも興味深そうに鍋を覗き込む。
「これは……村で採れた野菜と山鳥のスープかしら。素朴だけど、丁寧に煮込まれてますわね」
通された居間には、手作りの料理が並べられていた。
どれも豪華ではないが、心のこもったもてなしが伝わる。
「なんとあたたかい歓迎でしょう……勇者様も、お腹が空いていらっしゃいませんか?」
ニートリアがそう言って隣を向くと、勇者はすでにスプーンを手にしていた。
ぱくり。
ひとくち口に運ぶと、ふっと頬がゆるむ。
「……おぉ」
「勇者様が……微笑まれた……」
「尊い……」
周囲の村人たちは、それだけで涙ぐんでいた。
「(この村……あまりにも善人しかいないですわ……)」
ニートリアが心の中でそうぼやいたそのとき、ふと気になることを口にした。
「ところで……皆さま。何かお困りのことなどはありませんか?せっかく勇者様が来られたのですから、力になれることがあればと思いまして」
すると村長は、ゆっくりと首を横に振った。
「はは、ありがたいお言葉……ですが、特にはありませんな。三度の食事をいただけて、皆が笑って暮らしておる。それだけで十分ですじゃ」
そのあまりに聖人めいた回答に、ニートリアは目をぱちくりさせた。
(え……信仰心が……稼げない……!?)
慌てたニートリアはさらに食い下がる。
「そ、そうは言っても……魔族の影響とか、何か小さなことで構いませんの。治安が悪いとか……最近変わったことがあったとか……」
村長はしばし考え込むように顎をさすり、そしてゆっくりと口を開いた。
「……そういえば。村から少し北に進んだ川の上流に……」
「おぉっ!? 川の上流に!?」
ニートリアが乗り出す。
「ゴブリンの群れが、ひと月ほど前から住み着いておるらしいですじゃ」
「おぉぉぉっ!? で、被害は!? 何か被害はありました!?」
村長は首を傾げる。
「いやぁ……特には。畑も襲われておりませんし……目撃した村人の中には、会釈されたという者もおりましてな」
ニートリアのジト目が、ノクスに向けられる。
ノクスは笑顔でお茶をすすり、シドは天を仰いで頭を抱えていた。
「ちなみに、王国の使いも先週あたり来とりましたがのう……“凶悪なゴブリンに注意せよ”と、毎年のごとく訴えて行かれましたな。うーん、正直、ぴんときませんでしたが」
ノクスがぴきっとした顔で、気のせいか少し怒気を含んだ口調で語る。
「……僕の調査でも、ここ数年ゴブリン被害はゼロのはずだよ。過去の記録も、人間側からの一方的な挑発が原因だったはずだけどねぇ…」
ニートリアが深いため息を吐き、立ち上がった。
「皆様の悩みを無視して魔王を討伐したところで、女神様が喜ばれるはずがありません。──というわけで、明朝。ゴブリンたちの様子を確認しにまいります。……と、勇者様が申しておりますわ♪」
その言葉に、肉を頬張る勇者がぴくりと肩を震わせ、きょろきょろと周囲を見回すが、次の瞬間には話題が次々と進んでいき、誰も彼の反応に気づく者はいなかった。
*
翌朝。カレナ村の北に位置する川の上流地帯。小鳥のさえずりが響く中、勇者一行は木漏れ日の差す林道を進んでいた。
「……見えてきたね。あれが例のゴブリンたちの拠点だよ」
ノクスが指差した先、川沿いの広場では十数体のゴブリンたちが木材を引っ張り、斧で梁を解体していた。
「……何か壊してるように見えるが?」とシドが目を細める。
そう話している間に、ゴブリンたちがこちらに気づき、ぴょんぴょん跳ねながら手を振ってくる。
だが、その後方から姿を現した勇者を見るや否や、全員がぴたりと動きを止める。そして──
「が、がおおおおお!」
「ぎ、ぎぎゃぉぉん!!」
明らかに不自然なわざとらしい咆哮とともに、武器を構え牙をむくゴブリンたち。
ノクスは苦笑して肩をすくめる。
「今日は演技しなくて大丈夫だよ。勇者様には君たちの姿が森の妖精に見えるように魔法かけてあるから」
「…は!?」
ノクスの言葉を聞いたシドが勇者の様子を確認する。言われてみると勇者の様子がどこかおかしい。
お世辞にも可愛いとはいえないゴブリンたちを、まるで子猫でも見るかのように微笑ましく眺めている──勇者の目には、どうやら小さな羽をつけた妖精のような存在に映っているらしい。
「……勇者様の扱いよ………」
勇者はすでに現実と乖離した幻想の中で納得しつつあり、咆哮を上げていたゴブリンたちに向かってにこやかに手を振ってすらいた。
「僕の魔法は後遺症もない安心安全の精神魔法だよ」
「ま、まぁ……害はないし、むしろ平和だからいいか…。そ、そんなことより———」
シドは考えることを放棄し、早速本題に入ることにした。傍からみるとゴブリンと会話している時点で異常な事だがシド自身そこは気にしない、と割り切っている。
ゴブリンに詳しく話を聞いてみると、三か月ほど前に王国軍がこの地に現れ、川をせき止めるようにして巨大なダムのようなものを建設を開始しさっさと撤収していったという。
「お水、だくだく〜になって、畑、びちゃびちゃ〜ってなる……やば〜い」
と、比較的語彙力のあるゴブリンが指差した先には、川沿いの段々畑がいくつも連なっている。
「村そのものに被害はないと思うけど、川沿いの畑は確実にやられるだろうね。だからこうして急いで解体してるんだ」
ノクスが代わりに説明を補足し、ゴブリンたちの背を見つめながら口を開いた。
「……偉いよ、彼らは。人間のことなんてどうでもいいはずなのに、それでも黙って片付けてる。ちなみに僕が命令した
訳じゃないからね」
そしてノクスはゴブリンたちに向かって声をかける。
「ありがとう、十分だよ。あとは僕がやっておくから、君たちは戻っていいよー」
「まおう様ありがとー!」「おつかれさまでしたー!」「おなかすいたー」
口々に言いながら、ゴブリンたちは陽気に手を振って森へと帰っていく。
その光景を見送りながら、シドはぽつりと呟いた。
「……王国は、一体何のためにこんなことを……?」
その疑問に答えられる者は誰もおらず、ただただ、シドとニートリアはゴブリンを微笑み追いかけようとする勇者を、必死で引き留めることしかできなかった。