3-4 名家当主の親バカ心
矢場居信用金庫の会長室で、一人のいかつい男が机の上に山積みになった書類を確認していた。
矢場居信用金庫会長の、矢場居ゲンゾウである。
普段なら会長の机に書類が山積みになることは無い。決裁はITシステム化されており、日常的な社内処理はペーパーレスだ。
しかし、先週末にサイバー攻撃を受けたことにより、システムが使用不可能になってしまった。
金融機関である以上、何があっても止められない業務というのはいくらかあるため、予め定めてあったBCP手順に基づいて紙帳票と承認印を復活させて業務を回している。
コンコン
「どうぞ」
「失礼します」
ガチャ
緊張した面持ちで会長室に入ってきたのは、融資課の新関係長。
「会長。針山加工の件、指示通り【塩対応】を完了しました」
「そうか。様子はどうだった?」
「平静を装っていましたが、青ざめてましたよ」
「そうだろうなぁ……。あそこは、会社規模に対して負債が多すぎるんだよなぁ」
「会長、お言葉ですが、あれはちょっとひどいんじゃないでしょうか。アンバランスを承知で融資したのはこちらですし、彼ほどの人材をここで潰すのは勿体ないかと」
「分かってる。元はと言えば私が原因だ。いざとなったら何とかするから、この件に関してだけは指示通り頼む」
「えーと、原因といえば、あの融資のきっかけは息子さんでしたっけ」
「息子?」 ギロリ
「何でもありません! 失礼します」
新関係長はそそくさと退室した。
「……そんなに怯えなくてもいいだろうが。人相悪い自覚はあるが……」
矢場居ゲンゾウは、顔が恐い。
性格は温厚で、パワハラなどしないのだが、見た目で部下達から恐がられている。ガバナンスという意味では悪くは無いのだが、ゲンゾウはちょっとだけ気にしていた。
「それにしても、【息子】か……」
矢場居ゲンゾウは親バカだ。
大学生の子供を連れてきて、教育の一環で職場体験をさせたことがある。融資の面談に挑戦させたときに、針山ギンジと意気投合してあのアンバランスな融資に繋がった。
無論野放しではなく、後から自分でも面談して人となりと事業計画を確認し、融資に値する人物であると判断したから承認した。
設備完工前に急逝したのは悲しかったが、廃業を回避できたのは救いだった。
…………
コンコン
「どうぞ」
「し、失礼します」
次に会長室を訪れたのは、情報システム部の部長。
「会長。端末の復旧作業に人手が足りません。外注業者に応援を要請したいのですが」
「ダメだ。この状況下で迂闊に外部の人間を入れると、情報漏洩の危険性がある」
先週の土日にかけて発生した世界規模の同時多発的サイバー攻撃にて、国内外で多くの会社がランサムウェアによる被害を受けた。
このような被害は公表しない場合も多いが、矢場居信用金庫は金融機関として取引先の状況は把握している。各社それぞれ復旧に四苦八苦しているところだ。
矢場居信用金庫も被害を受けてしまい、百数十台の端末がランサムウェアに乗っ取られて使用不可能になった。
しかし、先週中旬に山田工業株式会社にて、社内端末が根こそぎ破壊されるというサイバー攻撃騒動が発生し、その情報を受けて社内に厳戒態勢を敷いていたため、被害を軽減する事が出来た。
情報流出は阻止できた。ハッカー集団に【身代金】を払うつもりは毛頭無い。ランサムウェアに【人質】にされたデータはPCごと廃棄することが決定したが、その処理を行う人員が不足していた。
「入れ替え端末の準備と、汚染された端末の廃棄の同時進行はキツイです。せめて廃棄だけでも外部委託しませんと、復旧の見通しが立ちませんよ」
「廃棄処理の方が重要なんだぞ! 暗号化されているとはいえ、金融機関の情報が残っているPCだ。危険なランサムウェアも含まれている。社外委託は危険だ。そうやって情報流出事故が起きることを知ってるだろ」
ランサムウェアに汚染された端末は、記憶媒体を物理的に破壊してから廃棄するのが鉄則だ。しかし、多数の端末を分解して記憶媒体を取り出して、物理的に破壊する作業は重労働であった。
「でしたらせめて、去年会社見学に来た息子さんを助っ人として呼べないでしょうか。彼なら信用は問題ありませんし、新規端末のセットアップもできるでしょう」
「……アレはダメだ。でも、同級生に適任者が居るな。助っ人を手配しよう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
矢場居ゲンゾウは顔が広い。
情報システム部の部長が退室後、私物のスマホを取り出して、お友達にダイヤルした。
【針山アンナ】
プルルルルル プルルルルル ガチャ
「あー、アンナちゃん? カイチョーだけど、仕事お願いしたいから本社来てくれるかなー」
「ごめんごめん。仕事内容はハードディスクの破壊。壊すの得意でしょ。部屋用意しとくから、ホムセで道具も見繕って買ってきてー、あと、できればオタさんも連れてきてー。よろしくー」
ガチャ
…………
コンコン
「どうぞ」
「失礼しまーす」
今度会長室を訪れたのは、海外営業部の部長。
「会長。社内の自動翻訳システムが使えないから、海外から届いた契約書が解読できません。クラウド連携の安価な自動翻訳機が市販されていたので、必要数手配したいのですが、よろしいでしょうか」
「バカ者! ああいうのは、取り込んだ文章を盗み取られてるんだぞ! 金融機関の人間が仕事でそんな物使おうとするんじゃない!」
「しかし、この状況下で翻訳ができる職員も忙殺されており、処理が追いついてません。あるいは、去年来た息子さんを助っ人として呼んでもらえれば百人力なんですが」
「だから、アレはダメだ。緊急度の低い物は、先方に素直に謝って待ってもらえ。処理を急ぐ物はあるのか? ちなみに何語だ?」
「【チェコ語】です……」
「【チェコ語】かぁ……。まぁ、なんとかしよう。急ぐ物だけ選んで持ってきてくれ。あと、フリーのWeb翻訳とかも絶対ダメだからな!」
…………
海外営業部の部長が退室した後、矢場居ゲンゾウは一人頭を抱えた。
「どいつもこいつも。アレは【息子】じゃない。【娘】だ」
去年職場体験に連れてきたのは、娘との賭けだった。
娘が21歳になった時。早く嫁にやりたいと【婚活】を勧めたら、【男装】を見破る男が居たら【婚活】すると言い出したので、職場に連れて来た。
お金の貸し借りは、究極的には人と人との騙し合い。だから金融機関の融資担当者は人を見る能力に長けた者が選ばれる。
そんな猛者揃いの融資課に連れていけば、娘の男装ぐらいすぐに見破るだろうと思っていた。しかし、誰も気付かなかった。
それどころか、職場体験の数日間で各部署を渡り歩いて、持ち前のIT技術や多言語対応で重宝されたので、【会長の息子】として社内で有名になってしまった。
誰も見破れなかったらバラさないという約束もしていたので、信用金庫の優秀な若手と【お見合い】させるという目論見も崩れてしまった。
娘は完全勝利と喜んでいたが、陰で静かに凹んでいたのをゲンゾウは知っている。
そんな娘は、初めての【お見合い】の後から家出して【別荘】に引きこもり中。
「翻訳は【娘】に頼むか……。アンナちゃんに届けてもらおう」
●オマケ解説●
過去に【コンピューターウィルス】と呼ばれていたものは、IT技術の進歩と共に【マルウェア】、【ランサムウェア】へと進化。それらを利用した【サイバー攻撃】は社会の根幹を揺るがす脅威となってしまった。
特に厄介なのが営利目的の【ランサムウェア】。社員の誰かが不審なメールの添付ファイルを開いてしまったのが運の尽き。ある程度の潜伏期間を経て、突如起動し社内システムのデータを全部暗号化して【身代金】を要求。
多くの場合は【情報流出】も併発しており、【身代金】を拒否した場合は顧客情報をダークウェブに流されて、架空請求やクレジットカード詐欺に再利用される。個人も企業も国すらも、やりたい放題されても捕まえることができない、現代の【完全犯罪】。
ハッカー集団は、月曜の朝の発覚を狙って土曜日に【ランサムウェア】の活動を開始させたけど、流石に国内企業の警戒網もそこまでザルではなかった。セキュリティアラートを受けて各社情報システム部が緊急出社して対応開始。
そして、あの信用金庫は事前警戒が功を奏して先手を打ち、一番避けたい【情報流出】は阻止することができたそうな。
【マルウェア】は未知の脆弱性を突いてくる。何処から来るか分からないから、私物のデータメディアを会社のパソコンに接続してはいけませんよ。
<第三章 参考書籍>
・【改訂2版】らくらく株式会社設立&経営のすべてがわかる本 東京シティ税理士事務所 ISBN978-4-86667-633-3
・ポケット版 きちんと稼げる「1人会社」のはじめ方 (ASUKA BUSINESS 2280-9) 山本 憲明 ISBN978-4-75692-280-9
・サイバー攻撃 ネット世界の裏側で起きていること (ブルーバックス 2045) 中島 明日香 ISBN978-4-06-502045-6
・ランサムウエアから会社を守る ~身代金支払いの是非から事前の防御計画まで 佐藤 敦 他 ISBN978-4-296-20088-7
・マルウェアの教科書 吉川孝志 ISBN978-4-296-20016-0
・セキュリティの笑えないミスとその対策51 増井敏克 ISBN978-4-7981-8026-7
※ポイントクレクレ記述
本職の金貸しにすら男装を見抜かれない娘がある意味ひどいと思った、【洗濯板】【まな板】の自覚を持つ特殊性癖者向け体格なスレンダー喪女の方が居たら、【ひどい】の証として★1評価をブチこんでもらえると、作者の特殊性癖が萌えあがるかもしれません。
【ひどい】は最高の誉め言葉!




