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第二話 ep.5 想像の余地

2-5



びちゃ…………という音がトイレの中に響く。

響く、といってもそこまで大きな音ではなく、この多目的にしてもかなり広いトイレの中では耳を立てなければ聞こえない程の音だ。

だが、それでも、千尋の耳にはその音がひどく大きく聞こえて、理性の壁を力強く叩かれるような感覚に軽く眩暈がした。


桜子はまだ制服の上着を脱いだだけで、肌を露出したわけでもないし、こちらに背を向けているため、正面からその姿を見ているわけでもない。

だが、千尋の目の前にいる桜子は、目の前にある桜子の濡れた背中は、

透けていた。


(…………っっ…………)


よく見えない物ほど想像の余地があって心臓に悪い。


心臓が焦げるような熱を帯び、熱い血液を体の末端までも届ける感覚に、思わず顔をしかめてしまう。

吐く息は体の熱を乗せて、空気が通る喉が急速に乾いていき、潤いを求めて上下する舌に妙な疎外感を感じる。まるで料理を目の前にして“待て”と命じられた犬の様な無様な姿を千尋は自覚していた。

目を見開き感覚を研ぎ澄ませ、一部の見落としも、聞き落としもないように見つめるその姿はまさに獰猛な獣そのもので、ともすればよだれすら垂らしてしまいそうな顔で桜子の濡れて透けて、僅かにその肌色を滲ませるその背中を見つめる。

それが、よくないことであるというのは理解していた。

罪悪感はある。自覚もある。理解もしている。


でも


ズル…………という湿った衣擦れの音とともに、外界と肌とを隔てていた最後のカーテンが下ろされていく。

シャツの襟の下あたりを握り、開く形で脱いでいく桜子の肩がわずかに隆起し、浮き上がった肩甲骨が肌を這う水滴を加速させ、よく引き締まった背中のラインに透明な線を通していく。


「ふぅ」


やはり、こちらから顔は見えない。

だが、千尋の限界まで研ぎ澄まされた聴覚が、桜子の疲労と倦怠感を滲ませた吐息を捉えて―――




(…………えっっっっっっ…………)


―――千尋の理性を言語野とともに焼き切った。




え、え?

なにこれ。

え?

えろすぎませんか…………?

あ、あれ汗かな。いや、たぶん水かな。うんたぶん水かな。

吐息は何?

さっきかなり濡れてたもんね。

水ってあんなにおいしそうだっけ。

いや、まぁ?舐めたくはないですけど、舐めたくはないです。

ぼくなんでここに?

いやでも水っていろんな料理に使われるし、たぶん、水ってすごいんだ。

うん、すごい。

におい嗅ぎたい。

おいしそう。



「はぁ………は……ぁ…………」

「―――ん?え?…………なんで着替えてないの?」

「―――えっ!?」


背後からかすかに聞こえる荒い吐息に気づいたのか、あるいはいつまでたっても聞こえてこない衣擦れの音が気になったのか、突如として振り返った桜子に、千尋は目を点滅させて「いえいえいえいえ!」と腕を振り回す。


「いま!いまです!」

「なにが!?」

「違うんです!着替えるんです!見てください!」



「ぼく!着替え!!」

「いったん落ち着こうか?!」


千尋の激しい同様に桜子は眉を顰めるが、即座にシャツのボタンをはずし始めた千尋に、慌てて壁に向き直る。


素早く動いていく千尋の手とは裏腹に、千尋の脳内は数舜前の光景に支配されていた。

それは、振り返った桜子の、体。

一糸まとわぬ上体を、正面からとらえたその光景は、自然と目に焼き付き、頭の中で無数に再生されていく。


引き締まった、無駄な脂肪のない、健康的な身体。

高校生の男にしても少し華奢なその体は、想像以上の破壊力を持って千尋を殴りつける。

しかし、そう、男なのだ。

一瞬しか見えなかった胸はどう見ても男の物で、桜子は、否、竜児は、男なのだ。


だというのに

であるというのに

だからこそ



(なんで僕はこんなにドキドキしてるの…………!?)


彼に体が反応してしまっているという事実に困惑し、彼が男であるということを今の今まで意識していなかった事実に衝撃を受けた。


確かに、桜子に対してドキドキはしたことはある。

その理由は自分でもわからない。単純に女性として先輩を見ていたり、女装している先輩を女性と心の底で認識していたかもしれないが、それは認められる。

だが、ウィッグを取り、服を脱ぎ、化粧を落として、完全な男となった竜児にもこの心臓は激しく脈動している。

それはつまり、



(僕ってもしかして狩森先輩のこと―――)



いやいやいや!僕は男で、狩森先輩も男で、僕は普段女の子みたいな格好してるけど、いつも、その、えっちだな………って思うのは女性に対してで、狩森先輩は男なんだ。そう男!

でも、じゃあなんで、さっきから僕は、



思えば、ずっとそうだった気がする。

あの日、先輩と出会ってから、僕の胸はどこか浮ついていて、そんなこと、今まで感じたことがなくて、気持ちいい気持ち悪さのうえにずっと揺蕩っているような。

それは、先輩が男だと知ってからも変わらなくて、むしろ、どこか、意識しないところでもっと強くなった気がして、それと同時に、罪悪感のような、わるいことをしちゃってるようなドキドキが一緒にやってきて、ずっとそれが何なのかわからなかった。

ううん、わからないようにしてた。

わかったら、それを認めちゃったら、きっと僕は可愛いだけじゃいられなくなる。

でも、わからないように、抑えるたびに、きゅっと心臓が閉まるような感覚がした。

だめ。だめなんだ。わかってる。けど。






もう。



無意識に、先輩の背中に手が伸びる。

僕の服は、もうほとんどはだけていて、シャツは肩にかかっているだけになっている。

伸ばした手が、何をしようとしているのか、自分でもわからない。

でも、もうとめられ―――



―――ズル


と、音が響いた。

今度は、響いたという表現が正しい。

おそらく、彼はできるだけ彼は素早く着替えようとしたのだろう。

何故ならそこは、男女問わずデリケートな部分だから。


「…………ぇ」


下半身を隠していた、スカートや、スパッツや、パンツ、それらすべてを一度に脱ぎ去った彼がそこにはいた。


その姿に、僕は―――



「―――っそ…………!」




「―――それはまだはやいでs」

「―――すとぉぉぉぉぉおおおっぷ!!!!」



多目的トイレの扉が勢いよく開かれる音に、僕の声はかき消された。


独奏的なラウム8です


遅くなり申し訳ありません。

次回から改善していく所存です。


関係ありませんが、今朝『暗殺者集団の狙撃手にリップクリームで打ち勝って鳥を譲渡される夢を見ました』。

遅くなったのはそのせいかもしれません。


次回の投稿は火曜日です。


合言葉


『ちゃんと鳥はおとこの娘でした。』

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