働いてます。
ファンタジー好きなので、実体験にファンタジー交えつつ書けたらなと思ってます。
「ごめん、…どうしても無理だ」
絞り出すように吐息の中でつぶやいた彼の言葉に、焦燥感が掻き立てられた。
幸い、可愛いわが子はそんな両親の心中など察するでもなくすやすやと健やかな顔で寝ている。
「…わかった。私が電話する。」
彼にバレないよう、涙をぬぐっている間に携帯を自分の手の中に引き寄せる。
「…どうすればいい?」
焦る私に、困惑した彼が質問した。
わからない。けれど、そう言ってはいけない。
「大丈夫だよ。とりあえず、部長に私から電話するから。」
少しだけほっとした顔をした彼は、のろのろと立ち上がり、「トイレ。」と言って寝室を出て行った。
ああ、どうしよう。
無意識に出てくる涙を、何とかとどめる。
なぜ、どうして、出てくる疑問を必死に心の中に押しとどめ、彼の職場の部長に電話をかける。
コールの後は、少し忙しそうな背景の音と、部長の声がすぐに聞こえた。
「どうしたの」
「すみません、陽太の妻の玲です。…主人がい体調が悪く、本日お休みをいただきたくて」
返事はすぐに聞こえなかった。
「…わかりました。お大事にしてください。明日も来れない様なら、早めに連絡ください。」
私の返事の前に、電話は無機質な音ともに切れた。
ああ、憂鬱だ。だけど、この憂鬱を悟られてはいけない。子供にも、彼自身にも。
トイレを流す音が聞こえて、身構える。
しかし、なかなか寝室へ戻ってこない。
彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。ふがいない気持ちで、私と向き合うのが怖いのだ。
逃げることで自分を守るしかなった彼は、こういう時にどうやって回避をすればいいのか、その術を知らない。
日が昇るより少し前の時間。ほの暗い寝室で、彼の戻りを待つ。
裏切られた、と感じる心の闇を、必死にかき消す。
「ごめん、ちょっと横になってる」
ようやく寝室に戻ってきた彼は、私と目を合わせずに布団を頭からかぶった。
「…うん」
きっとドラマや映画なら、心を打つ言葉を言えるんだろう。
けれど、現実の世界はそう甘くない。
自分の力をもってしても、彼の凝り固まった心を動かすのは容易ではないのだ。
まだ3か月になったばかりの娘が、ぱちりと目を覚ます。
ぐずりもせず、ほの暗い寝室でゆっくりと目を開け、まだうっすらとしか見えない視界の中で母親の姿を探す。
そしておそらく私を見つけ、安心したように目を細めた。
ようやく、日が昇り始めた。
2階の日当たりの良い寝室は、少しずつ手元が言えるくらいに明るくなり、目を覚ました娘がミルクを欲しがる時間になってきた。
本当なら今頃、娘と二人で過ごしていたんだ。
布団の隙間からか細く聞こえる彼の吐息に、ため息を小さくつかずにはいられない。
娘にミルクをあげるために、まだ座っていない首を持ち上げながら抱きかかえる。
こんなにも愛しい存在が、この世にあることを神様に感謝しながら、そっと立ち上がる
「リビングに行ってるね、ミルクあげてくるよ」
「…うん、ごめん」
謝らずにはいられない。
生来、彼は優しい人間なのだ。酒さえ飲まなければ。
娘が本格的にぐずりだす。
小さくごめんねと呟きながら、1階にあるリビングへゆっくりと足を運ぶ。
昭和中期に建てられ、10年ほど前に改装したと聞かされた木造の一軒家。
大家の敷地に建てられており、母屋の裏にあるから1階はほとんど日の光が入らない。
昭和の香りがありながら、システムキッチンや追い炊き機能とテレビのついたお風呂は賃料に対してあまりにも魅力的だった。
2階には8畳ずつの洋間が2つと、トイレとなぜか洗濯機が備えてある。しかもドラム式だ。
洗濯機の隣には、水道もありお湯は出ないがミルクを冷やしたり、子供が吐いた時などに重宝している。
南に面した1室は寝室として使っており、ダブルサイズとシングルサイズの布団を繋げて3人で文字通り川の字になって寝ている。カーテンがない代わりに曇りガラスになっており、朝は朝日がうっとうしいくらいに部屋に差す。
2畳程度の大きさのベランダもあり、日当たりのよさから洗濯物はいつもここに干している。
難点があるとすれば、ベランダに出るまでに膝の高さほどある段差を跨がなければいけないことくらいだ。
押し入れもあり、荷物が多くない為今後娘の秘密基地になる予定だ。
もう1つの部屋は、寝室のすぐ横にありこちらは全く日が差さない。
その代わり、裏通りにあり道を挟んで隣の家がある為、大きなベランダがある。
イスやテーブルを置けば、4人ほどで食べたり飲んだりできるスペースだ。
ゆくゆくは子供部屋にと考えているが、現状は物置や化粧部屋として使っている。
1階は12畳の広さのリビングのみだ。
玄関のすぐ目の前には階段があり、これがなかなかに急な造りだ。
会談の横には廊下があり、玄関から直進して突き当りにキッチンがある。
なかなかの広さはあるが、このキッチンも全く日が差さない為、昼でも電機は必須だ。
そして、何の扉もなしにキッチンの隣には洗面台と風呂場がある。
風呂は少し窮屈ではあるが、冷たくないタイル敷に改装されており、テレビもついているため不自由はない。
しいて言うなら、やはり日が差さない為冬の寒さは尋常ではない。
風呂に入ったはずが凍えて出てこなければならないこともざらだ。
冬は小さなヒーターが必須で、こどもがやけどをしないように気を使った。
胸元で、おっぱいを探すように首を動かしながら、ミルクを求めて泣く娘をぎゅっと抱きしめる。
まずはミルクを作らなければならない。
母乳も上げているが、飲む量に対して分泌が少ないらしく、粉ミルクを作らなければお腹を空かせてまた泣き出してしまう。
「ちょっと待っててね~」
木造の古い家は、どこで何をしていても、たとえ忍び足で動いても挙動が手に取るようにわかる。
主人が動いていないことを確認し、右手人差し指に指輪をはめる。
そして、指輪をはめた指はひょいっと動かす。指輪についたルビーがきらりと光った。
哺乳瓶がカタカタと揺れ、粉ミルク缶の蓋がぱかりと開いた。分量通りの粉を哺乳瓶へ入れ、ウォーターサーバーからお湯を入れる。半分ぐらいの量を入れたところで一度お湯を止め、別のカップに残りの半分の量のお湯を注ぐ。
その間に、授乳クッションを用意しソファへ腰かける。
鮮魚のように体をくねらせながら、娘が泣き叫ぶのをなんとか抱きかかえ、テレビのリモコンを手に届く距離に置く。
そしてようやく胸元のボタンをあけ、乳首を吸わせる。
娘は待ってましたとばかりに、勢いよく吸いつき、ごくごくと飲んでいく。
朝一番のショックな出来事に、あまり気になっていなかったが、どうやら胸も張っていたようで反対側の胸がずきずきした。
「いたいなあ」
娘はお構いなしに吸いついたままだ。
愛おしい、思わず頬が緩む。しかし、これからどうするのか、どうなるのか考えると憂鬱で暗い気分になる。