妖精息子3の29
次の日の朝早く、さわこは坊を抱いて、ゴツゴツとした岩地をおりていった。
昨日は、王城脱出からはじまって禁制の森そして沼地……と、生命の危機に遭遇してはかろうじて逃れる、を繰り返す苛烈な一日だった。
雷の王子の顎から辛くも逃れ沼地を出た少女は、岩地で手ごろな洞を見つけると、そこに隠れて坊を抱きかかえたまま休んだ。
弱っていた雷の王子が黒鎧の騎士を倒したとは正直思えないので、あの巨大な黒きものがいつすがたを見せるかと思うと、警戒してぐっすり眠ることなどとても出来ない。ただ、自分の胸の中ですやすやと眠る坊は暖かく、抱きしめているだけで心も体も癒やされるようだった。
そして夜が明けると、現実問題が待っていた。
食料に関しては、昨日採集した木果実類が少し残っているのでまだなんとかなるが、こまるのが飲料水だった。ヘイタイムシが木の管につめて持たせてくれた水は、残りわずかしかない。
こんなときあのムシさんがいてくれたら……と、さわこは痛切に思う。
よそものの自分にも親切にしてくれた気の良いヘイタイムシ、そして昨日会ったばかりだけどどう見ても体が脆弱なカラカラさんは、無事でいるだろうか?
気にはなるが、彼らに考えを巡らせる余裕は、今の自分たちには無い。
「水場を見つけるしかないだろうね。下って行くしかない」
生きることに卓越した本能を持つ坊の指示にしたがって、低地へと進んでいるのだ。
「しかし、じょじょに深くなっていますね。谷みたい。ここはどこでしょう?」
少女の問いに
「わからないね。細いし暗いね。もしかして、かあさまが言っていた『奈落』かな?」
「ならく?」
「下民の居住地域のそばにある、この世界でもっとも長い幅を持つ大渓谷だよ。深さもすごくって、その底に落ちたものは二度と生きて上がって来られないと言われている。
というか、下民の居住地域自体が『奈落前』と言って、奈落につながる土地の低いところにあるんだ。土地がもろく、すぐ崩れて奈落に飲まれかねないからふつうのものは危険で住まない。立場の弱い下民が、否応なくあてがわれた土地だね。
上のものが近づくようなところじゃないって、かあさまが言っていたけど、禁制地のほうから入ることができたんだなぁ……ぼくも知らなかったよ……っと、気をつけて。なにかいる」
下る途中の中腹に、ある程度の広さを持つ平地があって、そこに多くのテントが張られてあった。
出入りしているのは、さまざまな角皮、甲殻を持つムシ状のものたちだった。
各々(おのおの)の手に火縄銃を持つそれらは、まちがいなく昨日王城を攻めたものたち……
下民だった。