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98.フレッドの誕生日パーティー(1)

 クッキーを焼いている時間がない。そうベッドサイドでミアに告げられたわたくしは、きっと感情がすっぽりと抜け落ちていたと思う。

 どうしてわたくしはそんな当然のことを忘れてしまっていたのだろう?


 というわけで今わたくし、イェニー・リチェットはひどく落ち込んでしまっていた。

 そんな間にも今日、フレッドの誕生日パーティーに出席する準備が進められていく。今お腹の中に入っているのは軽食だけだ。


 いつももらってばかりのわたくしは、フレッドに感謝の気持ちを伝える機会がない。

 言葉で伝えることはできるのだけれど、もらってばかりだとわたくしが気にしてしまうのだ。


 だからフレッドの誕生日という今日、お返しをしようと思っていたのだけれども……


「殿下からお嬢様が孤児院で作っていたクッキーを求められたからって、今日プレゼントしなくてはならないなんて理由はないんです。それに、お嬢様のプレゼントが大勢の前で毒見されてしまうかもしれませんし……」

「たしかに……そうかも」


 フレッドは優しいからきっと、わたくしがプレゼントを持って行ったら受け取ってくれる……とは思う。


 けれど今日はパーティーなのだから、急に持って行っても逆に迷惑をかけてしまうだろう。プレゼントをもらったのに申し訳ない。


 例えば、今みんなに着替えさせてもらっている鮮やかな青のドレスとか。


「お嬢様。ストマッカーをつけますので、立っていただけますか?」

「ええ」


 わたくしは椅子から立ち上がり、最後のピースをはめてもらう。待ち針で落ちないように固定してもらったら、ドレスは完成だ。

 鏡に映るわたくしは、心なしか既に普段の五割増しぐらいキラキラしている気がする。


「お嬢様~……髪型はどうしますか? いつもと変えてみませんか?」

「ミア」

「ベス……あの、えっと……いつもと変えてみようかな? その方がフレッドが驚いてくれるかもしれないし……」

「なるほどですね!」


 ミアが提案してくれた普段と違う髪型。

 クッキーを焼いていくことが叶わなくなってしまったのだから、いつもと変化をつけて誕生日プレゼント……というのはわたくしの自己満足なのだろうけれど、それでもやらないよりはマシだ。


 ミアは少しもそんなことは考えていなかったみたいだけれど。


「じゃあ座ってくださいね~」

「ええ」


 ミアが鼻歌混じりにわたくしの髪を丁寧に梳いていく。

 フレッドに受け入れてもらえるだろうか、と少し心配ではあるけれども同時に喜んでくれたら嬉しいな、とも思う。普段と違って大丈夫かな、なんて。


「できましたよ~どうですか~?」

「えっ……うん。ありがとう、ミア」


 ミアの方を振り向けば、彼女はニコニコと満足げだ。あっという間に髪型を整える彼女はさすがだと思う。


 再び鏡台の方を見ると、ミアが持ってきてくれた別の鏡のおかげで後ろがよく見える。


「ハーフアップにしてみました! どうでしょう?」

「これが……わたくし?」


 わたくしは基本的に髪を下しているから、今日の髪型は自分で見てもとても新鮮だ。自分で言うのもあれなのだけれど、後頭部のふわふわしたボリューム感がとてもいい。


 でも毎日この髪型にしてもらうのはちょっと気が引ける。

 ドレスも合わさっているからか、普段の二倍はキラキラしているけれど、パーティーのない日はもう少し落ち着いた感じにしたい。


 その後のわたくしはといえば。……いつも通り時間が来るまでロマンス小説を読んでいた。




☆☆☆☆☆




 二時間後、わたくしはお父様やお母様と共に家を出た。


 今日はフレッドの誕生日パーティーなので、彼は王宮で忙しくしていて迎えに来られないのだとか。

 というわけで、わたくしは同様に招待されているお父様とお母様と同じ馬車に乗って王宮に向かうことになった。


「こうして一緒に乗るのは以前の夜会の時以来かな?」

「はい。そうですけど……」


 わたくしがお父様の質問の意図を測りかねていると、


「そのドレスは王太子殿下からの新しいドレスだよね? とても似合っているよ」

「あ、ありがとうございます」

「そんなに畏まらなくても大丈夫よ、イェニーちゃん。わたくしたちは家族でしょう?」


 わたくしが「はい」と返すと、二人も笑顔で答えてくれる。


「今日参加するのは前回と違って、僕たちとフアナだけだけれどね」

「お姉様は……もしかしてヴィクトー様と一緒なのですか?」

「うん。イェニーの言う通りだよ。フアナは君が部屋にいる間にヴィクトー君が迎えに来てくれたからね」


 どうやら、わたくしはロマンス小説に夢中で馬車がやって来たことにも気づかなかったらしい。

 大事なフレッドの誕生日パーティーなのに、である。


 もしお父様やお母様と一緒でなければすっかり忘れてしまっていたかも……と思うとちょっと怖い。きっとベスたちが教えてはくれただろうけれど、それはそれだ。


 お姉様が招待されたのは、フレッドと共に執務をこなしているヴィクトー様の婚約者だからなのだろう。


 馬車に揺られることしばらく。わたくしたちは王宮に到着した。

 お父様の手を借りて馬車を降り、会場の宮殿へと入っていく。


 足を踏み入れて数歩進んだわたくしは、誰かからの視線を感じ取った。その方向に顔を向けてみると。


「お待ちしておりました。イェニー様、こちらへ」

「ヘレン……? もしかして、フレデリク様から?」


 わたくしの問いかけにヘレンは一度首を縦に振った。ついて来るようにという意味なのだろう。


「そうかい。じゃあ、また会場でね」

「いってらっしゃい、イェニーちゃん」


 両親の見送りに、わたくしは軽く手を振って返す。


 やがて二人がわたくしの視界から消えると、ヘレンに促されたわたくしもまた別の方へと向かう。

 わたくしは今日のパーティーの主役のフレッドの婚約者なわけで。彼のパートナーだからという理由で、別の所から入場する手筈(てはず)になっているのかもしれない。


「こちらの部屋で殿下がお待ちでございます」

「ありがとう」

「いえ、これが仕事ですから」


 アニーをよりきっちりと規則絶対、でも主はもっと絶対……という感じにしたらヘレンになりそうだな、と考えつつわたくしは兵士の方に扉を開けてもらう。そこには。


「今日は来てくれて感謝している。……そのドレス、とても似合っている」

「お招きいただきありがとうございます」


 わたくしの予想通り、フレッドがいた。今日のフレッドは夜会の時の装いとは違い、丈の長いジェストコールを羽織っている。

 紺色の上衣にクリーム色のキュロットパンツが上品ながらも豪華だ。


 わたくしが入室すると部屋の扉が閉じられる。「あとは二人でごゆっくり」ということなのだろう。

 一応ヘレンもいるけれど、壁の方を向いて見ていないふりをしてくれている。


「あの……」

「どうした?」

「お、お誕生日おめでとうございます……っ!」


 わたくしは、言うなら今しかないと思い、自分から話を切り出した。

 これからのパーティーで誕生日をお祝いされるフレッド。そんな彼の誕生日を一番に祝いたい。そんな思いでわたくしは祝福の言葉を口にしたのだ。


 続けて、クッキーを持って来られなかったことも謝罪しようと思ったのだけれど……目の前で甘く双眸(そうぼう)を細めるフレッドに、わたくしの思考はいとも簡単に吹き飛んでしまった。


「嬉しいな……イェニーから言ってくれるとは思わなかった」

「そんな……フレッドの誕生日、ですから……っ」

「いや、違うのだイェニー。私は貴女のことを信頼していないわけではない。貴女から誕生日を祝ってもらえたことが嬉しいのだ」


 わたくしはコクコクと頷くしかない。フレッドがわたくしのことを信じてくれていることは、今まで過ごしてきた時間から、わかる。だから、謝罪しないでほしい。


 むしろ、謝罪すべきはわたくしの方だろう。自分の誕生日であるにもかかわらず、ドレスを贈ってくれたフレッド。

 それに対しわたくしは……と考えても、いつその話を切り出せばいいかわからない。「ごめんなさい」から始めた方がよかったかも、と思っても後のまつりだ。


 でもこの前の約束があるから謝罪しなくてよかったのかも……というようにわたくしの思考が迷走を始めようとしていたので、一度無理やり考えをリセットすべきでは?

 わたくしは自身の頬を叩いた。


「イェニー?」

「あはははは……それで、えっと」


 ひとまず、できるだけ違和感がない辺りから話を切りこんでいこう。


「ドレスもこんなによいものを貰ってしまって……」

「よい。気にするな。これは私の評価を下げないためのものなのだからな……イェニーが気に病む必要はない」


 再びコクコクと頷くしかないわたくし。気に病んでいる理由はそこではないのだと伝えても、きっとフレッドには届かない気がする。


 フレッドはいつも自分を責めるのだ。それがたとえわたくしに非があることだったとしても、である。


 突如、目の前に彼の手が差し出された。意味もわからずにその手を取ると、わたくしは彼に室内の一角へと案内される。

 言われるがままに壁の方を向くと、綺麗な鏡がわたくしたちを映していた。


「嬉しいな……イェニーと揃いの衣装を着られて」


 そう言われ、わたくしははじめて互いの衣装が揃いの色をしていることに気がついた。

 そうと理解しただけで、たちまち身体が熱くなる。もう何度目かだというのに、いまだに慣れない。


「かわい……コホン。からかって悪かった。そろそろ時間だ」

「はい……」

「お手をどうぞ」


 わたくしが再び彼の手に自身の手を重ねると、わたくしの手は彼に優しく──しかし、しっかりと──掴まれる。


 続けて腰に手が添えられる。昼間からエスコートされる姿勢になったわたくしの理性は再び吹き飛んでしまった。


 ずっとこんな調子だったわたくしは、フレッドにクッキーのことを謝罪するのをすっかり忘れてしまっていたのである。


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