96.贈りたいものと受け取る理由
わたくしの二度目の孤児院訪問からは時が経ち、今やフレッドの誕生日パーティーまであと数日を残すのみとなった。にもかかわらず、わたくしといえば。
「イェニーお嬢様……お嬢様が秘伝のレシピを使いたいというお気持ちは分かります。ですがそれでは……」
「でも、フレデリク様にはできれば、わたくしが孤児院で食べていたものと同じものを贈りたいのです……無理を言っているのはわかっているのですが」
朝から厨房で料理長と二人、クッキーについて立ち話をしていた。
今はちょうど先ほどまで竈に入れていたクッキーが焼き上がったところだ。
しかし、わたくしは自身の落ち着きのなさに頭を抱えていた。
「イェニーお嬢様、妥協できませんか?」
「はい、どうしてもわたくしが孤児院で焼いていたものと同じものを贈りたいのです」
わたくしは頭の中でクッキーという言葉ばかりが先行して、肝心のどのようなクッキーかという部分を失念してしまっていたのだ。
フレッドと約束したクッキーは「わたくしが焼いたクッキー」ではなく「わたくしが孤児院で焼いていたクッキー」だ。
あの時の彼が言っていたのはそういう意味だったと思う。
そして、そのレシピが問題だった。
わたくしがリチェット侯爵領の孤児院で焼いていたクッキーは、ミアに教えてもらったものと異なり、甘みを出すのに砂糖を使っていなかった。
砂糖を使っていなかった理由は至極単純で、高価で入手も困難だったからだ。
というわけでわたくしはミアたちに砂糖入りクッキーのレシピを教えてほしいとお願いしたのだけれど……それはともかく。
「スーの実と蜂蜜が必要なのです」
「蜂蜜はともかく、スーの実は難しいかと。王都には流通しておりませんし」
「そうですか……ベスにも聞いてみたのですが、料理長が言うなら間違いありませんね」
この、スーの実というのが厄介だった。王都には国内各地の特産品が集まってきている……のだけれど、よりによってこのスーの実がなかった。
その理由も分からないわけではない。リチェット侯爵領では自生しているその果実が、この辺りには自然に生えてこないからという至極単純なものだ。
ではリチェット侯爵領から持ってくればよいのではないか。わたくしも一度はそう考えた。
しかし、領地に送ってもらいたいとお願いしていてはフレッドの誕生日に間に合わない。
──とこのように愚痴をこぼしたところで、解決する問題ではないのだ。そう、思っていたのだけれど。
「イェニー! 話は聞かせてもらったよ」
「お父様……?」
そこに現れたのは、ヨゼフ・リチェット侯爵──つまりわたくしのお父様だ。お父様の提案で、わたくしたちは話をするために部屋を移した。
厨房の近くの空き部屋に入ったわたくしたち。椅子に座ると、お父様の侍従がお茶を入れてくれる。おいしい。料理長はちょっと恐縮しているようだったけれど。
お父様と料理長は、わたくしの愚痴混じりの話に、親身になって付き合ってくれた。
お父様に関しては本当の意味で親だというのはさておき、わたくしは二人にただひたすら愚痴を聞かせ続けてしまった。すごく申し訳ない。
「うんうん。それなら王宮の温室に行くといい」
「温室……ですか?」
「その温室というのは王宮にあるんだけれど……国内各地の植物を集めているらしくてね。少しぐらいなら分けてもらえると思うよ」
「あの、どのように分けてもらえば……」
「大丈夫大丈夫。心配することはないよ。アウロラに伝えておいたら間違いない」
お母様に言えば大丈夫、というのはつまりお母様経由でアーシャ様に許可を取るということなのだろう。お母様とアーシャ様、つまりフレッドのお母様は仲がとてもいいのだ。
☆☆☆☆☆
というわけで翌日。わたくしはお母様経由でアーシャ様に送ってもらった手紙の返事を携えてきたフレッドの隣で、王宮への道を共に馬車で揺られていた。
「その手紙をイェニーに渡すようにと母上から言われてな……中身は見るなとも言われていたから開けていないが」
そう言いつつペーパーナイフを貸してくれたフレッド。わたくしは「ありがとう」と一言かけてから封を切った。
ナイフをフレッドに返して中を確認する。読んでみると、わたくしが王太子妃教育を受けている間にスーの実をリチェット侯爵邸に届けてくれるとのことだった。
ふと隣に座っているフレッドの様子を見てみると、彼は窓の外を見ていた。よほどアーシャ様が怖いのか、それとも──
わたくしが手紙を荷物にしまうと、フレッドは再びこちらを向いた。
「イェニー。あと数日だな。楽しみか?」
「もちろんです。だって、フレッドの誕生日を祝えるのですから」
わたくしはフレッドの曖昧な言葉に弾んだ声で返す。
この話題なら、彼がどれだけぼかそうとしてもわたくしにはわかる。だって、わたくしたちは同じものを楽しみにしているのだから。
「パーティー用のドレスはまた新しいものを贈るから、当日はそれを着て来てはくれないか……?」
「あの、また新しいドレスなのですか?」
「ああ。金なら気にしなくていい」
フレッドの言う通りなのだろう。彼は国で一番裕福な家の育ちなので、ドレスの数着程度何の問題はないはずだ。
しかし、頭ではそう理解していても、フレッドからの贈り物が嬉しいと思っても。それを平気で受け取れるかというのはまた別の問題だ。
「あの……デビュタントの頃に三着いただきましたし、アストランティアからロナルド殿下を招いた時にも一着いただいて……これから結婚式で三着いただくというのに……わたくしの誕生日でもないのにいただく理由なんて」
「ある」
色々と理由を並べ立てて断ろうとしているわたくしに、フレッドは短く、しかし優しい言葉をかけてくれる。
「だって、誕生日を迎える人に何かを贈るという話は聞いても、誕生日を迎える人が他の人に何かを贈るという話は聞いたことがありませんし……」
「そういう意味で言ったわけではない。これは私の我儘だ。私の誕生日にイェニーが私の選んだドレスを着てくれたら嬉しいし」
「今までのものでは……」
「駄目だ。同じものを婚約者に使い回させていると分かれば、私の評判が下がってしまう」
その言葉に、わたくしは納得してしまう。ずるい。
だって、わたくしの装いがフレッドの評価に影響を与えるという話はすでに何度か王太子妃教育で聞いているのだ。
そして、フレッドは指を一本折り曲げたかと思えば、二本目もまた同様に折り曲げた。
「私はイェニーが好きだ」
「はい」
「だからその、だ……誕生日に最も美しいイェニーを見られたならばどれほど幸福なのだろうな、と思ってしまうのだ。これが私の欲しい誕生日プレゼントだ。それをイェニーから贈ってもらいたいと思っていたのだが……イェニー?」
わたくしの顔が急速に熱を帯びていく。フレッドの欲しいもの。
クッキーも欲しいと言ってくれてはいたけれど、まさかわたくしの美しい姿とは誰が思うだろうか?
「そんな。わたくし、美しいですか……?」
「ああ。貴女が美しくないとすればこの世界の誰もが美しくないということになってしまう」
「えっ……そんなに?」
フレッドはわたくしの疑問に首肯する。世界一美しいと言われてものすごくこそばゆい。
自分ではそこまで綺麗だとかはわからないのだけれど、フレッドがそう言うのならそうなのかもしれない。容姿というのは、自分からは見えないものだから自己評価があてにならない、と村の雑貨屋の奥さんは言っていた。
「ドレスは今日中に贈るから、当日は王宮で貴女の綺麗な姿を見せてはくれないだろうか? その、私のために」
「……はいっ」
わたくしはフレッドに綻ぶような笑顔で答える。
その後いつものように王太子妃教育を受けて家に帰ると、わたくしの部屋には大きな箱と小さな箱が一つずつ置かれていた。




