92.久しぶりの読み聞かせ
ダレンさんの案内で向かった礼拝堂に、わたくしは村での生活をちょっと思い出した。
彼によると、安息日には近所の住民の方がやって来るらしい。人数の違いはともかく、そのあたりの事情はわたくしがいた孤児院と同じなのだろう。
ダレンさんがゆっくりと礼拝堂の扉を開けると、そこには椅子に座ってお行儀よくしている子供たちの姿があった。
一段高い所にある椅子に腰かけて読み聞かせをしている女性と視線が合う。
わたくしたちに気づいたのか、彼女は小さく会釈だけして、そのまま読み聞かせを続けた。
「お嬢様、あの方はいつもクッキーを焼く手伝いをしてくれているんですよ~」
「そうなの。じゃあ後でお礼を言わないとね」
ミアが耳元でこっそり教えてくれた。子供たちは壇上に気を取られているのか、わたくしたちの会話も届いていないらしい。
と思っていたけれど、後ろの方の席に座っている一人の男の子がわたくしたちの方を振り返った。ジョン君だ。
わたくしが彼にも会釈を返せば、彼もまた何事もなかったかのように再び前を向いた。
わたくしたちはダレンさんの案内で、一番後ろの長椅子に腰を下ろす。しばらくして読み聞かせが終わると、子供たちがそわそわし始めた。
読み聞かせをしていた女性の方がダレンさんの方を見たのを合図に、彼は立ち上がってパンパンと手を叩いた。子供たちの視線が──何人かはそれでも別のところを見ていたのだけれど──さっとわたくしたちの方を向く。
「みなさん、お静かに。以前来てくださったイェニー様が今日もいらっしゃいましたよ」
わたくしはダレンさんのその言葉にどうすればいいかわからず、ひとまず立ち上がって礼をする。続いてダレンさんは壇上の女性に向かって尋ねた。
「ドロシー、今日はまだ」
「一冊目ですね。子供たちの集中力は切れているみたいですが」
そう二人が話している間にも、子供たちの集中力は刻々と限界に近づいているようだ。
どうしたものかといった様子のダレンさん。このままでは読み聞かせはできそうにない気もするけれど、ここで部外者のわたくしが口を挟むのは迷惑でしかない。
……ということを考えていたわたくしは、ダレンさんが何と言ったのかを聞き逃してしまった。そのせいで、急に何人かの子たちに囲まれた理由もわからなかった。
「イェニー?」
「えっと……?」
「ダレン様がイェニーが本を読んでくれると子供たちに伝えたのよ。それで何人かがここにいるの。他の子たちはわたくしたちの侍女と共に外に行ってしまったわ」
わたくしは「そういえば」と先ほどのことを思い返してようやく合点がいった。
シェリーのために読み聞かせの手本を見せるということになっていたのだ。彼女がじっとわたくしの方を見つめているのもそのせいだろう。
とはいえ、読み聞かせは子供たちに行うものだ。わたくしは彼らの方を向き直して、どの本がいいのかを尋ねる。
「──じゃあ、今日はこの本で決まりだね」
集まってくれた何人かの子たちに各自一冊ずつ本を持ってきてもらい──部屋の端に子供用の本の入った本棚があった──、その後他の子が選んだ本を選んでもらう……という方法で多数決をとった。
みんなきちんとわたくしの指示に従ってくれたので、スムーズに進むことができて嬉しい限りだ。
わたくしは、先ほどドロシーさんという方がやっていたように、前の一段高い所の椅子に座って本の表紙を見せる。
左側の長椅子に座る子、右側の長椅子に座る子にと順番に表紙を見せ終えると、タイトルをはっきりと読み上げた。
表紙をめくりお話をゆっくりと、字のあたりを指でなぞりながら、後ろまで聞こえる声で読み進めていく。
「むかし、むかし、あるところに──」
☆☆☆☆☆
最後の一文まで読み終えて本を閉じると拍手が返ってきた。
「もういっかい」
「あはは……」
わたくしには今日はクッキーを焼かなければならないから、続きはまた今度と伝えるしかなかった。
ごめんね、という言葉に彼らはちょっとしょんぼりとしながらも、クッキーが食べられるというところには喜んでくれている……のかな?
子供たちが外に出て行くのを見送ると、わたくしは立ち上がり皆の所に戻った。
結局シェリーがやりたいと言っていた読み聞かせができなさそうなのでちょっと後ろめたい。
「イェニー……すごいわ!」
「ほめ過ぎだよ」
「いえ、わたしから見ても素晴らしいと思いました。お貴族様なのに、本当に手慣れていて……自己紹介が遅れました。わたしはドロシーといいます。わたしもここの孤児院の出身です」
そう控えめな笑顔で挨拶してくれたドロシーさん。わたくしたち双子も自身の名を名乗る。
「つまり、お二人は双子ですか。こちらの孤児院にもいるんですが……」
「そう、ですね。ジョン君たちのことは存じ上げております」
「ゾンジアゲ……」
「……あ、知ってます。ジョン君たちが双子だってこと」
そうだ。彼女は平民なのだから、貴族的な言い回しが通じないのが普通だ。
いつの間にかわたくしもすっかりそういったことが頭の中から抜け落ちてしまっていたらしい。ある意味王太子妃教育の賜物なのだろう。
「わたくしたちも双子なので気にしていませんよ」
「……よかったです」
わたくしの返事にほっとするドロシーさん。双子が嫌われていることを聞いてはいたけれど、王都の下町でも同様らしい。
ダレンさんが口を開く。
「さて、では皆様は本日クッキーを作るというお話だったかと思いますが……厨房はお好きな時にご使用ください」
わたくしたちはそれから、厨房まで移動する間に彼女から色々な話を聞くことになった。
わたくし、シェリー、リリーにドロシーさんの四人で礼拝堂を出て隣の孤児院へと向かう。ダレンさんは礼拝堂を掃除してから来るとのことだ。
外に出ると、ミアがたくさんの子供たちに囲まれているのがまず目に入る。
こちらに気づくと、軽く手を振ってくれたのでわたくしも振り返した。再び歩き始めようとすると、ドロシーさんから声がかかる。
「あの……イェニー様は平民と距離が近いですね」
「ええ。わたくしに仕えてくれる大事な侍女ですから」
「身分を、気にしないですか?」
「そうですね。ミアも一応貴族ではあるそうですが、わたくしは平民だからどうするとかいったことはしませんよ?」
わたくしの言葉を信じていいのか、といった様子のドロシーさん。本当に罰するとかそういったことは考えていないから安心してほしい。
「そうだったんですか!? 知らなかったです。お貴族様にも色々な人がいるんですね……」
そう神妙に呟いた彼女。彼女も貴族と何かしらトラブルがあったのかもしれない。
それはともかく、ミアが周囲の子供たちを率いてこちらにやって来る。
「イェニー様? もしかして今日はドロシーさんもクッキーを焼いてくれるんですか!?」
「うん。って、ミアお貴族様だったの? 今聞いたんだけど」
「そうですよ~でも今まで通りにしてくれたら嬉しいです!」
その言葉に息を飲むドロシーさん。やはり貴族と何かあったのだろうか……とはいえ、わたくしはそれに何かを言える立場ではない。
というわけで、わたくしたちは孤児院の建物の方に移動したのだけれど。そこには──ミアが声を上げる。
「ジョン君!? こんなところでどうしたの?」




