89.リチェット家きょうだいと婚約者たちの昼食会
フレッドの執務室を出たわたくしは、彼のエスコートを受けていつも昼食で使っている部屋へと向かっている途中だ。
そんなわたくしたちの後ろにはシェリーたちがついて来ている。もちろんお兄様も婚約者のローザ様をきちんとエスコートしていた。
フランツさんは「それならば」とお姉様とヴィクトー様を呼んできてくれるらしい。
ヘレンは昼食の人数が増えたことを伝えに行く、とそれぞれわたくしたちのために動いてくれた。
「急なことだから食事内容は変わってしまうが……急なことだから仕方がない」
フレッドはそう肩を竦めて残念そうに言い捨てる。
心に余裕がないのか「急なことだから」と二回も言ってしまっているフレッド。そんな彼がちょっとかわいい。
おそらく先ほどの反応からわたくしと二人きりで食べたかったのだと思う。これはわたくしのうぬぼれなどではない、はずだ。
やがて、わたくしたちはいつも二人で昼食をとっている部屋に到着した。
あらかじめ立っていたのであろう、王宮の使用人の方が扉を開けてくれる。
あいかわらず、この部屋は王宮にあるというだけあって二人で使うには広すぎる大きさだ。
なので同席する人数が数人増えたところで問題ない。というか本来は大人数で使うことを想定した部屋なのだろう。
「皆席についたようだな。ヴィクトーは後で来るから問題ない」
「あはは……」
わたくしと同じ思いだったのか、お兄様も苦笑を浮かべている。
お姉様の婚約者ヴィクトー様に対する扱いが雑だと感じたのはわたくしだけではなかったようだ。
しばらく待っていると、入口の待合室で待ってくれていたわたくしつきの侍女のベスと、シェリーつきのリリーもやって来た。
あともう一人我が家の使用人の制服をかっちり着こなした男性がいるが、彼はきっとお兄様つきの使用人なのだろう。
わたくしがベスの方に笑顔を向けると、彼女も笑みを返してくれた。
普段王太子妃教育で来る時は、フレッド経由でアーシャ様つきのヘレンを呼んでくれるので、ベスが王宮に来るのは久しぶりだ。
たしか舞踏会で着付けを手伝ってもらった時以来だと思う。
それからわたくしたちがたわいもない談笑を繰り広げていると、やがて廊下から数人の足音が聞こえてくる。
入ってきたのはもちろんお姉様とヴィクトー様、そしてフランツさんの三人だ。入室早々、ヴィクトー様は声を張り上げる。
「おい! フレッ……」
「コホン!」
「……大変お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。しかしながら殿下、これは一体どのようなご状況で?」
フランツさんの咳払いに言葉遣いを改めるヴィクトー様。話し方が少しフランツさんに似ているのは二人の血の繋がりが濃いからなのだろうか……それはともかく。
彼はこの状況を疑問に思っているようだ。当然のことだろう。
だって、ここにいるのはわたくしたちリチェット侯爵家の現当主の子供たちと、その婚約者なのだから。
リチェット家主催の食事会ならともかく、ここは王宮なわけで。その疑問に答えたのはフレッドだ。
「それはだな……話せば長くなる。先にフアナ嬢を席まで案内してやってはどうだ?」
その言葉にはっとしたヴィクトー様はお姉様に軽く睨まれながらも、そんなお姉様を席へと案内する。
そんなお姉様も口角が上がっているから、本気で不満に思っているわけではないと思うけれど。
その後彼も席につくとリチェット家の兄弟姉妹とその婚約者、そしてフランツさんの計八人──シェリーには婚約者がいない──が一つの長テーブルを囲むように座る格好となった。
それを確認したフレッドが、料理が届くまでもうしばらく時間がかかるだろう、と先ほどヴィクトー様から尋ねられた今の状況を説明する。
「私は文官棟を通って其方を迎えに行こうと思っていたのだが……そこでイェニーが来ていることを知ってな」
「つまり、イェニー嬢がいなかったらしばらくの間俺が書類仕事を手伝わされていたというわけか……助かった」
わたくしに向かって「ありがとう」と小さく口を動かしながらこちらを見るヴィクトー様。
「まだ話は終わっていない。彼女を迎えに行けば、そこには将来の義兄上が婚約者と仲を深めていたようでな……置いてきぼりを食らっていたイェニーを連れだしたのだ。その後は……」
「叔父上から聞いているからそれ以上は大丈夫だ。なるほどな……」
ヴィクトー様の叔父上というのはここにいるフランツさんのことだ。
彼がその話を言い終えるかどうか……というタイミングで、ベルが鳴った。
もちろんそれはいつも通り、昼食が届いた合図だ。
わたくしたちの目の前には今日の食事が用意されていく。そんな中、お姉様が何かを口にしようとして……結局口を閉じた。
今日のメニューが説明され、ヘレン以外の食事を運んできた侍女たちが全員退室していく。こっそりフランツさんの方を覗いてみたところ、今回もチーズを抜いてもらっているらしかった。
それはさておき。会食の前にすべきとされている作法を全て終えると、お姉様は今度こそ疑問に思っていたらしいことをフレッドに尋ねた。
「フレデリク殿下、一点よろしいでしょうか?」
「何だ?」
お姉様の瞳に映っているのは、純粋に疑問の色だけに見える。
少なくともデビュタントのパーティーで見た時のような、露骨に取り入ろうとする目ではない。
婚約者のヴィクトー様がいるからなのかもしれないけれど。とにかく、そんなことで安心してしまうわたくしは、フレッドなしでは生きていけないのだろう。
それに答えようとするフレッドも余裕の表情だ。もしかしたらかつて聞いた女性嫌いの話は本当に単なる噂だったのかもしれない。
こちらも少なくともお姉様を嫌悪しているようには見えないのだ。
それはともかく、お姉様は薄い橙色の液体が入ったグラスに視線をやる。
これは以前フレッドやお母様、アーシャ様と共にドレスを選んだ時の昼食に同じものが出た気がする。
「こちらの飲み物は……まさか昼間からお酒というわけではありませんわよね?」
「ああ。柑橘類を絞ったジュースだ。そういえばイェニーも以前そのようなことを母上に尋ねていたな」
フレッドのその言葉にやっぱり、とわたくしは以前の昼食会のことを思い出した。
答えも今のフレッドのものとほとんど同じものだったはずだ。
「でしたらよろしいのです……リチェット侯爵領では、時折この飲み物で強いお酒を割ることがございますので……」
「そうだったのか……私もさすがに地方の民衆の酒文化には疎いようだ。イェニーを迎えるのだからせめてリチェット侯爵領のものだけでも理解しておかなくてはな……」
そう口にするフレッドにわたくしは内心、冷や汗をかいてしまう。
そのようなことをすればリチェット侯爵家だけ特段大切に扱われているように見えてしまう気がしたからだ。
その時、わたくしの不安を払拭してくれたのはフランツさんだった。
「殿下、そのようなことを覚える暇があるならば、先に処理すべき書類がいくらでもあります。それに、リチェット領のことばかりに熱心になっていては、他領の動向を見逃してしまう可能性もありますゆえ……」
「……善処する」
わたくしはそんなこんなで柑橘ジュースを口に含む。やはり少々酸味がある。
それにしても、わたくしがお酒ではないのかと尋ねてしまったのは、この色のお酒のことを知っているからなのだろうか。そんなものもあったのかもしれない。
やがて昼食を終えると、わたくしは再び夕方までフレッドの部屋で彼の仕事姿を見ていることにした。
お菓子は用意されるけれど、そういう理由ではなくて。フレッドの様子を見ることができるというだけで眼福なのだ。
というわけで、わたくしはお兄様とその婚約者のローザ様に会うという当初の目的そっちのけで、フレッドとのちょっと変わった一日を過ごした。
お姉様とヴィクトー様も同室にいた──ヴィクトー様はもちろん、叫びながら書類を捌いていた──のだけれど、それはまた別のお話だ。




