83.シェリーの婚約事情
わたくしがフレッドにクッキーを贈るという話はどうやら生粋の貴族令嬢の二人にとっては相当ショックなことだったらしく。
「イェニーさんは料理もなさるのですか!?」
「はい。院にいた頃は皆順番に料理当番が回って来ましたから」
わたくしは淡々と答えたが、やはり厨房に立つというのは貴族の感覚ではないのだと改めて思う。
クッキーを作ってくれたら嬉しいと言ってくれたフレッドの庶民派感覚は貴族社会では少数派なのだ。そう思ったことを口にしたのだけれど。
「イェニーさん、それはちょっと違うと思いますわ」
「?」
「そうそう! その通りですわよ。だって……殿下は庶民派というわけではないですもの」
「そうなの、ですか……でもフレデリク様は」
「イェニーさん、殿下は……」
わたくしの考えはエリーゼ様と彼女に追随するメイ様に否定された。
二人の方がわたくしよりもフレッドのことを知っていると思うと、心がざわついて仕方がない。
わたくしはそんな思いに蓋をしながら、エリーゼ様の言葉の続きを待った。
「殿下は、イェニーさんだからクッキーを作ってほしいと思っていらっしゃるの。これが他の令嬢なら、クッキーを焼いていようがいまいがきっと気にも止めないわ」
得意げにそう語るエリーゼ様にメイ様はうんうんと頷く。
「わたくしだから」という言葉に、先ほどまでのざわつきはどこへやら。悪い気がしなくなるあたり、わたくしは単純なのかもしれない。
……と、このように好き放題質問されて恥ずかしくなってきたわたくし。
このままでは恥ずかしい思いをするだけ言われ損な気もする。お母様やアーシャ様に言わせればお茶会は社交の場。情報収集の場なのだから、別に姉妹間で尋ねてはいけないというルールはない。
それに、このところシェリーとは朝晩の食事の時にしか会っていなかったのだから、わたくしは最近の彼女の動向を知らないのだ。
これは大チャンスかもしれない。わたくしはちょっとした好奇心と、先ほどシェリーが言った「ごめんね」へのお返し──もちろん、これでなかったことにするつもりだ──だと自分に言い聞かせて、シェリーに話題を振った。
「そういえばシェリーは素敵な方、見つかった?」
「えっ……えっと、その」
「その?」
わたくしが答えを催促すると彼女はたちまち顔を赤らめる。視線を少し伏せたかと思うと、左右の人差し指を軽くくっつけたり離したりと、どこか落ち着かない様子だ。
しばらくそれが続いた後、ついに彼女はぼそりと口を動かした。
「──まだ……」
そう言い終えると、シェリーはさらに顔を赤く染めて、カップのお茶を一気に仰いだ──かと思えば、むせた。
「だ、大丈夫!?」
わたくしの言葉に小さく頷くも、なおも彼女は咳き込む。メイ様が彼女の背後に回って背中をさすると、シェリーは徐々に落ち着きを取り戻していった。
「シェリーさん、さすがにあのような飲み方では苦しくなってしまうこともあって当然ですわ」
「ごめんなさい……このようなつもりではなかったのです」
お気になさらず、と儚げに笑みを浮かべるシェリー。彼女は軽めに深呼吸すると、わたくしが訊いたことに少しずつ答えてくれた。すごく優しい。
「そうですね。わたくしにはまだ婚約者と呼べる方はおりません。ですが、最近は兄と共に王宮に向かって兄の婚約者様と共によい殿方を探しておりますの」
「え? ……シェリー、王宮に来ていたの?」
彼女は微笑みと共に首を縦に振った。王宮では夜会以外でシェリーと会ったことはないけれど、場所が違うのだろう。
そして、彼女がヴァンお兄様の婚約者様と共に行動していたことや、そもそもその婚約者様ともお知り合いだったという話は初耳だ。
少しその婚約者の方に会ってみたい。そう彼女に告げると、返ってきたのはクスクスという笑い声だ。
「イェニー。貴女はそのお兄様の婚約者様と会っているのよ」
「ふぇ?」
シェリーはそう言うけれど、まったく会った覚えがない。もしかしたら夜会の時にでも挨拶したのかもしれないけれど、その婚約者様お一人で来るということはないと思う。
何せ、お兄様とその婚約者様はわたくしたちの両親よろしく本当に仲のよい二人だと聞いているからだ。
お兄様が紹介してくださっていたなら忘れるはずがない。
しかし、わたくしの記憶にはちっともないわけで。これは考えても仕方のないことだと、わたくしは思考を切り上げた。
その後のわたくしたちはたわいもない会話で盛り上がった。
わたくしとフレッドをはじめ、各々の婚約者との関係がどのロマンス小説に近いかとか、そんなこと。
もちろん、自分たちのことが引き合いに出された時は恥ずかしかったけれど「双子だから」だとかそうしたひどい悪口を言われることがないだけ、気分も楽だ。
最近はかなり少なくなってきたのだけれど、王宮に行くと「双子が」とか心ない独り言をわざとわたくしに届くように口にする方が何名かいらっしゃるのだ。
……などと考えているうちに話題はわたくしたちのことから、他のカップルのものへと移っていったらしい。
そしてわたくしはというと、お茶会が終わる間際に、とうとうメイ様から「お友達になっていただけませんか?」という言葉を頂けたのだ。
もちろん、二つ返事で了承した。
☆☆☆☆☆
──こうしてお茶会はお開きになり、わたくしたちは馬車に乗ってリチェット邸への帰り道を進んでいた。
わたくしは先ほどの続きが気になってしまい、二人だけなのをいいことにお茶会での話を蒸し返した。
「ねえ、シェリー……」
「どうかしたの?」
「婚約者、探してたんだね」
静かに頷くシェリー。以前、ロナルド殿下のお迎えと称して開かれたパーティーの日にはまだ探していないという話だったはずだ。
釣り書きに辟易していたのではなかったか。そうわたくしが尋ねると、返ってきたのは頼りない笑顔だった。
「お父様とお母様は『いつまでも家にいていい』とおっしゃるし、きっと本心からの言葉なのだろうけれど……それでも、わたくし自身が不甲斐ないと感じてしまったの。お兄様もお姉様も、イェニーも皆婚約者がいるのに、わたくしだけまだだなんて……」
泣きそうになる彼女に、わたくしは手持ちのハンカチを差し出した。
ありがとう、という言葉と共に彼女の手に渡ったハンカチが、彼女の瞳から零れそうな涙を一粒、また一粒と拭っていく。
一通り涙を拭きとった彼女は、途端に何か面白いことを思い出したかのように笑顔に変わった。
「ねえ、イェニー……お兄様の婚約者の方に会ってみない? 彼女も王宮勤めだから、王太子妃教育の合間にでも会えるのではないかと思ったのよ。どう?」
お兄様の婚約者も王宮で働いているという話は初耳だった。
貴族社会において女性が働くというのは、宮廷や高位貴族の家への出仕、あるいは家庭教師がほとんどだ。基本的にそれ以外の仕事は好ましくないものとされる。
しかし、これでひとつ謎が解けた。以前お兄様は王宮で一緒にいるからデートなのでは、といった話をしていた気がするが、相手も宮仕えなら納得だ。
わたくしとフレッドがリチェット邸と王宮間の送迎や昼食時に会っているようなものなのかもしれない。
「ああ、でも王太子妃教育がある日は忙しいし、ない日も王宮に行くことがあるから……王太子妃教育のない日とかの方が都合がいいかも」
「そう! それならその日にしましょう?」
「いい考えだ」とばかりに、パンと手のひらを胸の前で合わせて傾ける彼女。実際、わたくしも会ってみたいし、この目で見ればいつどこで会ったのか思い出せそうな気がする。
こうして、とある忙しい一日は無事に過ぎていった。




