81.二通の招待状
いつも通りわたくしはフレッドと昼食をとっていた。天気のいい時期は時々東屋でお昼を食べることもあったが、今日は室内だ。
しかし、今日はいつもと違う点がひとつある。それは──
わたくしは預かってもらっていた荷物の中から、二通の招待状を机の上に出してもらった。
一通はエリーゼ様から受け取ったお茶会の招待状で、もう一通はアーシャ様から受け取ったフレッドの誕生日パーティーへの招待状だ。
これら二つの封筒を目にした彼は明らかに動揺していた。
「? どうかしましたか?」
「エリーゼからの招待状はよいのだ。だが、なぜこれが……もしや!」
彼はあっという間にわたくしがいつ、どこで誰から誕生日パーティーへの招待状を受け取ったのかをあっという間に察してしまったらしい。
「母上にはいつもしてやられるな……私的な茶会への招きかと思ったのだが」
「式典の日に渡された時は何が何だかわからなかったんですよ……」
そうなのだ。自身の婚約者の誕生日パーティーへの招待状が、婚約者本人からではなく、その母親から渡されるとは誰が思うだろうか。
フレデリク殿下は一国の主となるお方だ。いくら何でも過保護な気がする。……というのは言い訳だ。
「本当は招待状をフレデリク様からいただけていたらなぁ……って──」
わたくしが愚痴を零しながらふと彼の方を見ると、その濃紺の瞳は大きく見開かれていた。
続けて、彼が手にしていたカトラリーがカチャンと音をたてながら皿の上に落ちる。
やがて互いの視線が交わり、彼の濃紺の瞳に見つめられたわたくしは、何と言おうとしていたのかその続きも忘れて見惚れてしまった。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。特に誰かの呼び声が聞こえたわけでもないので、まだお昼休憩中なのだろうとは、思う。
わたくしが我に返ったからか、目の前にいたフレデリク様の時間もまた動き出したようだ。
「──嬉しい」
「ふぇ?」
彼は目を瞑ったかと思えば、次の瞬間にはくしゃりと優しげな笑顔を浮かべていた。
フレッドが笑顔なのはいつものことなのに、なぜか胸が高鳴る。
わたくしは今日何を彼に話そうとしていたのかを必死に思い出そうとしたが、その努力は彼の一言でかき消える。
「私も誕生日パーティーの招待状は自分の手で貴女に渡したいと思っていたのだ。イェニーが私から受け取りたいと思ってくれていたことがどんなに幸せなことか……!」
その言葉に、胸の鼓動がさらに速くなっていく。
彼いわく、このような状態を寿命が延びるというのだったか。
この話はロナルド殿下の歓迎パーティーで聞いて以来気になってしまい先日調べてみたのだが、出どころは結局わからないままだ。
けれども、今は彼と一緒にいられる時間が何よりも嬉しいのだ。
それはそうと、先ほど言った通り招待状はこれ一通だけではない。
しかし、もう一通については少々問題があった。というのも……
「あの、ところでフレデリク様。どうしてそちらの招待状がエリーゼ様からのものだとわかったのでしょう?」
「これか? まず封蝋の家紋がエリーゼのスメイム公爵家のものだし、筆跡もエリーゼのものそのものだからな。……イェニー、これはあくまで兄妹のような関係で手紙を出し合っていたからこそわかったのだ。貴女以外に……」
「……フフッ」
「!?」
鼻息を荒くしてそう告げるフレッド。
そんな彼が可笑しくて、つい笑ってしまった。彼がエリーゼ様からの手紙だとわかったのが、そんな理由だったなんて。
「フレデリク様はいつもおっしゃっているでしょう? 好きなのはわたくしだけだ、と」
「ああ。その通りだ、一生の中で私が愛する人は先にも後にも貴女しかいないと何度でも誓おう」
重ねられた言葉に、わたくしは淑女らしさも何もかも忘れて再び噴き出してしまった。
彼の必死さが伝わってくるのに、それがなぜかわたくしの笑いのツボに入ってしまったらしい。縋るようにわたくしの名を叫ぶフレッドの様子に、わたくしは余計に笑いが止まらなくなってしまった。
「イェニー……! 頼む、この気持ちに嘘偽りはない。だから!」
「言われなくてもわたくしはフレデリク様を見捨てたりはしませんって」
わたくしの返事に、フレッドは再びその濃紺の瞳を大きく見開く。しかし、それは一瞬のことで、やがて細められた彼の双眸はただひたすらに美しかった。
☆☆☆☆☆
結局、昼食の時間はそれで終わってしまい、エリーゼ様からの手紙については帰りの馬車の中で話すということでまとまった。
というわけで、いつも通りフレッドと共に馬車に乗りこんだわたくしは早速その招待状の話を切り出した。
「こちらがその招待状なのですが……」
わたくしはおもむろにエリーゼ様からの招待状を懐から差し出す。
それを受け取り、わたくしの方を見つめるフレッド。
「中を見てもよいだろうか」と聞かれてはっとしたわたくしは、言葉ではなく首を縦に振って答えにかえた。
フレッドはありがとう、という言葉と共に中身を確認する。
「……なるほどな。つまり当日はこちらに来られないということか。王太子妃教育もないし、問題はないだろう。だが……」
問題ないとは言いつつも、溜め息をつくフレッド。彼が何を思っているのかが気になる。
最初はそう彼の顔を見つめていたのだけれど──見つめているうちにだんだんと綺麗な顔だな、とわたくしは現実逃避を始めてしまっていた。
そして、そう心の中で考えを巡らせている間に、ふいに彼が招待状に落としていた視線がこちらに向けられる。
「……イェニー」
「? 何でしょう?」
「いや、これは私の我儘な独り言だから無視をしてもらって構わないのだが……少しでもイェニーと一緒にいたいと思ってしまうのだ」
告げられた言葉に、わたくしは余計に固まってしまった。頭が回らない。意味は理解できるのだけれど……どうしてわたくしにとって都合のよい言葉を言ってくれるのかがわからないのだ。
知らず知らず、わたくしは心の中の疑問を声に出していた。
「どうして……」
「?」
「フレデリク様はどうして、わたくしが嬉しくなることばかりを言ってくれるのでしょうか」
わたくしの言葉に、再び彼の瞳が大きく見開かれる。
「イェニーが、嬉しい?」
「はい。どうしてなのかな、と思いまして……フレデリク様?」
わたくしは彼の問いかけに答えを返す。すると、たちまち彼の瞳が細められ、ついには破顔した。夕日に負けないほど明るい笑顔に、わたくしの思考は再びフリーズする。
「イェニー。私は貴女を喜ばせることができているのか……?」
「そ、そうですね。でも、どうして嬉しい言葉をかけてくれるのですか?」
「? 私は本心を述べているだけなのだが……イェニー?」
──わたくしの記憶はそこで途切れている。次に気づいた時には、わたくしはリチェット邸の自室のソファに腰かけていた。茫然自失とはこのことなのかもしれない。
翌朝。馬車の中であらためて前日のそのことについて尋ねてみると。
「あの時のイェニーはかわ……コホン。エリーゼの茶会なら問題ないだろう。楽しんで来るといい」
と、何とも言えない顔をしたフレッドに見事はぐらかされてしまったのであった。




