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79.家族への感謝をこめて

 これが庭園か客間ならお茶会ができそうだという準備が整えられた室内。わたくしはアニーに席へと案内される。


 厨房に準備されたお茶にクッキー。これを三人に侍られた状態で一人で食べるという羞恥を受けた貴族令嬢など、今までにいたのだろうか。


 少なくとも厨房でお茶をする貴族はいないだろうけれど、わたくしにとって問題なのはそこではない。


 たった一人で、ではなく侍られた状態で一人だけお茶を飲むというのが問題なのだ。


 普通の貴族なら自分だけが優雅にお茶を飲み、侍女や使用人は空気のようにいないものとしてゆったりと(くつろ)ぐといったこともできたのかもしれない。

 しかし、わたくしにそのようなことをするほどの精神力はない。


「あの。アニー、ミア」

「いかがなさいました?」

「その……貴女たちもお茶にしない?」


 そう尋ねると、わたくしのお願いは一瞬と待たずして固辞されてしまった。そこで何かを思い出したのか、ミアが顔をガバっと上げた。


「……どうしたのミア?」

「あのですね! ……シェリー様とお茶にすればいいんじゃないですか?」

「……! 名案よ、ミア」


 わたくしは彼女の提案に手をパンと叩き、一も二もなく飛びついた。


 そうだ。折角(せっかく)なのだからシェリーにも食べてもらいたい。それに、色々と教えてくれた彼女にわたくしはまだ何も返せていないのだ。


「でも、場所が……ここではダメ、だよね」

「東屋までお運びいたしましょうか?」

「そうね……そうするわ。アニー、ミア。それではそこにお願いね」


 かしこまりました。そう答えた彼女たちに、わたくしは東屋まで先に行っているように言われた。




☆☆☆☆☆




 庭園の東屋で待っていると、リリーを伴ってシェリーがこちらにやって来た。


 わたくしは立ち上がり彼女の方を向く。彼女は目の前までやって来たかと思えば、その桃色の瞳をキラキラと輝かせながらわたくしの両手をとった。


「イェニー! 貴女、本当にクッキーを作ってしまったのね。すごいわ!」

「そんなことないよ……でもありがとう」


 もっと胸を張っていいのよ、というシェリー。彼女は先ほどまで作業していたわたくしと違い、いつも通り侯爵令嬢にふさわしいドレスを着こなしていた。

 ともすれば商家の娘にも見えてしまいそうなわたくしとは大違いの服装だが、彼女がそれを気にする様子はない。


 孤児院から迎え入れられた当初こそ、彼女はわたくしに貴族令嬢にふさわしい服を着せたがった。

 しかし、やがてお忍びやら何やらでわたくしが質素な服を纏うようになったからかどうかわからないけれど、この服は彼女に仕事着みたいに見られるようになったのだ。


 それはさておき。わたくしたちが席についたのを確認すると、ミアとリリーがそれぞれにお茶を注いでくれる。


 中央の大皿にはたっぷりのクッキーが山盛りになって載せられていた。白と黒、二色のクッキーは無造作に積み上げられている。


 そんな山の中から一枚のチョコレートクッキーをつまんだシェリーに、わたくしは質問を投げかけられた。


「ねえ、イェニー。これってもしかして王都で一番高いというお店の……?」

「いいえ。これはわたくしが好きなチョコレートを料理長が思いつきで練り込んだ……」

「まあ! 我が家の料理長は優秀ね! 最高級品をお手軽に食べられるように作ってくれるなんて……」

「わたくしもそう思う。お金がどれだけあってもあのお店のチョコクッキーを何度も買ってもらうのはね……」


 先日、王宮のお茶会でフレッドからいただいたお土産に、チョコレートクッキーが入っていたのだ。


 その日は王太子妃教育が休みだったので、二人きりのお茶会の場でアーシャ様から受け取った誕生パーティーへの招待状について聞こうと思っていったのだけれど……結局聞けずじまいで終わってしまった。


「……おいしい! さすがね、イェニー」

「すごいのは料理長だよ」


 これならきっと殿下もお喜びになるはずよ、というシェリーの言葉にわたくしはつい浮かれてしまう。


 彼の笑顔を思い浮かべるだけで幸せな気分になってしまうのはもう癖なので直すことはできる気がしない。

 そんなわたくしに、さらなる衝撃の言葉が投げかけられる。


「……イェニーの作ったものなら、きっと殿下はどんなものでも喜んでくださるでしょうけれど」


 そう言われたわたくしは完全にのぼせ上がってしまった。

 わたくしの名を困惑したように呼ぶシェリーの声が聞こえた気がしたが、今はそうしたことに気を取られている暇はない。


 どんな贈り物でも喜んでくれるなんて、そんな自身に都合のよい現実などあってよいのだろうか。


 しかし、頭の中でフレッドのことを思い描いてみると、刺繡に使った糸や布の切れ端でも笑顔で受け取っているところしか想像できないのだから相当な重症だと思う。

 恋は病というのはあながち間違いではないのかもしれない。


 顔が熱い。それを意識すると聞こえてきたのはクスクスと面白がるような笑い声。この場でそんな声を上げる人物はただ一人しかいない。


「もう。シェリー……いじわる」

「だって、殿下のことを考えている時のイェニーって見ていて飽きないのだもの」

「むー……」


 シェリーの言葉に頭を机から持ち上げたわたくしは不機嫌を装ったが、シェリーが気にしている様子もない。これがいつの間にかわたくしたちの間の平常運転になっていた。


 ひととおりわたくしをからかって満足したのか、シェリーはわたくしのクッキーへと話題を戻した。

 わたくしが彼女から目を逸らしていた間に何枚か食べていたらしい。


「それにしても、このクッキーは本当に美味しいわ。それこそ、高級菓子店のそれと遜色(そんしょく)ないものよ」

「料理長ってそんなに腕のいい料理人だったんだね」

「そういえば、お父様が昔王宮で腕のよい料理人に出会ってかくかくしかじか……でリチェット家の料理長をすることになったと言っていたわ」

「かくかくしかじかが気になる……」

「それで、クッキーの話に戻るのだけれど……イェニー。これを我が家のお茶会で出してみない?」

「ふぇ!?」


 わたくしはシェリーの言葉に狼狽(うろた)えた。だって、それは……


「あの、シェリー。わたくしが作ったものよりもカフェなんかで買って来た方が喜ばれると思うのだけれど。それに、それをフアナお姉様が知ったら……」

「え? 駄目って言うなら今朝言っていたはずよ。でも、お姉様はそのようなことをおっしゃらなかったから、きっと心配しなくても大丈夫よ」


 うんうんと頷くシェリー。たしかにお姉様はわたくしが作ったということをお茶会で発言しない限りは黙認してくれるだろう。


 しかし、これはあくまで素人──料理長はともかく──が趣味で作ったもので。プロの作るお店で買ったものの方が喜ばれるに違いない。


「でも、殿下ならイェニーの手作りの方が喜んでくれると思うけれど……」

「それはそれ、これはこれ!」


 今度はコロコロとした声で笑うシェリー。そんな彼女のことを意識からシャットアウトして自身も調理に携わったクッキーに手をつける。


 一口含んでみると、サクッとした子気味よい音と共にほろほろと崩れていく。おいしい。

 チョコレートクッキーも同様にかじってみるとこれまた濃厚なチョコレートが味わいに深みを出している。


 そうしてクッキーを無心で口に運んでいると、突然門の方から誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。

 その音にわたくしとシェリーは互いに顔を見合わせ、ついで足音のやって来る方に視線を向ける。そこには、こちらに向かって走ってくる使用人の姿があった。


「シェリーお嬢様、イェニーお嬢様」

「あら。どうかして?」

「スメイム公爵令嬢より、お二人に宛てたお茶会へのお誘いの文が届いております」

「まあ!」


 シェリーが声を上げる。わたくしもシェリーに続いて招待状が入っているという封筒を受け取る。


 そこにはスメイム公爵家の家紋が押されていた。わたくしたちに手紙を渡せば、用は済んだとばかりに使用人は一礼をして下がっていった。


 その様子を見届けたわたくしたち。彼の姿が完全に見えなくなると、シェリーはわたくしに向けてこんな提案をする。


「今度はわたくしたちの家に招待しましょう? もちろん、出すお茶菓子はイェニーのクッキーで決まりね」

「ムリムリムリ! シェリーのいじわる……」


 こうして、わたくしたちは昼食に呼ばれるまで談笑を続けた。昼食はわたくしたちのお腹のことを考えてくれたのか、料理長特製の貴族風ティムクだった。


ティムクって何?という方のために少し書いておきますと、第一章「28.わたくしとフレデリク様と王都(2)」にも登場した食べ物です。

私にネーミングセンスがないので、名前の由来は安直に「手巻き」を文字っただけだったりします…

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