74.救出
どこからともなく颯爽と現れたフレデリク様は、あっという間にこの場を制圧してしまった。
今目の前にいる彼は、少し息を切らしているものの柔らかな表情をしている。
彼がやって来てくれて、どれほどわたくしが安心したことか。彼が気づくことはきっとないのだろう。
「クソッ……もう少しだったというのに!」
「何がもう少しだというのだ?」
遠くの方で床に押さえつけられた男爵は部屋に響くほどの大声で悔しさを吐露した。
フレデリク様は彼の方を振り返り、先を促したが、返事はない。
そんな男爵のもとへと歩いていったフレデリク様は、わたくしが聞いたこともないほど冷たい声でこう言い放った。
「大方、其方はアストランティアのクローベル侯爵と手を組み、この国の王位簒奪を謀ったのだろう。しかし残念だったな。計画はすべて筒抜けだ」
「そんなはずは……」
「ないと言い切れるか? 侯爵も自身の使っている客間の側に盗み聞き用の隠し部屋の一つや二つあってもおかしくないと気づいてよかったはずなのだが……もちろん、この家にも密偵を送り込んであるから今さら言い逃れしようとしても無駄だ」
その言葉を聞いた途端に震え上がる男爵。密偵を送り込むなんて……どうやらフレデリク様はあらかじめ彼が何かをやらかすという情報を掴んでいたらしい。
しかも、あの侯爵も関わっていたとは。
「とにかくだ……其方は武器を密輸入したのだ。国家反逆罪に問われるだろう。夢の王宮暮らしを存分に味わうといい。牢の中でな」
「くそっ! 私は何も」
「まだ白を切るつもりか……では、私の婚約者が友好的なつながりのない其方の邸で怯えているのはどう説明するというのだ? ……連れて行け」
男爵やその部下たちが次々と連行されていく。わたくしに襲いかかろうとした巨漢もいつの間にか拘束されていたらしく、数人の兵士たちに引きずられていった。
ようやく落ち着きを取り戻しはじめたわたくしは、そこで大切なことを思い出した。
「あの! ベスは無事ですか?」
「ベス? ああ、貴女の侍女か……彼女なら無事だ。客間に閉じ込められていただけで特に怪我もなかった」
「よかった……」
「そろそろ行けそうか?」
その問いかけに頷くと、わたくしはいつものように差し出される彼の手をとった。そして、彼に導かれるままに部屋を出て階段を上っていく。
どうやらわたくしが閉じ込められていた部屋は半地下だったらしい。そのまま玄関ホールまで到着すると、目の合ったベスはその場に泣き崩れた。
「お嬢様……! ご無事で!」
「ただいま、ベス」
わたくしは彼女に不安を与えないように、つとめて笑顔で答えた。それでもまだ泣き止まないベス。わたくしはフレデリク様に一度手を離してもらい、彼女のもとに駆け寄った。
☆☆☆☆☆
その後、わたくしはフレデリク様の馬車にベスと共に王宮まで同乗させてもらうことになった。
ベスははじめ御者台に乗ろうとしたのだが、わたくしは先ほどの事件を鑑みて車内に乗れるようにお願いし、今に至る。
リチェット家から乗ってきた馬車はあの大男のせいでちょっと壊されてしまったのだ。
事件がひと段落したことで先ほどよりも余裕が出てきたわたくしは、フレデリク様に一番疑問に思っていたことを尋ねた。
「どうして、助けてくれたのですか……?」
「どうして? 婚約者だからに決まっているだろう?」
「そうではなくて!」
その言葉に首を傾げるフレデリク様。どうやらわたくしの婚約者は自分の言ったことすら忘れてしまううっかりさんだったらしい。ここは婚約者として指摘してあげなくては。
「本日はお忙しいのではありませんでしたか……?」
「その通りだ。私は忙しいからリチェット家まで迎えに行く余裕がなかったのだ。本当にすまなかった」
「忙しいはずなのにどうして」
「先ほど少々話したかもしれないが、以前からバナーク家は不正に手を染めていただろう? 今回、王家への反乱を起こそうとしているという情報を得てな。男爵の邸につききりだったのだ」
つまり、フレデリク様はあらかじめここにいて、たまたまここにわたくしがやって来たということなのだろうか。そう尋ねると、フレデリク様は首肯した。
「一応貴女があの邸に連れて来られる可能性は想定して影を放っておいたのだ。そうなった場合は貴女が危険にさらされない限りは泳がせておけとあいつには指示したのだが……さすがに気絶常体は危険にさらされていると判断すべきだと教えておかねばな」
「は、はぁ……」
「貴女に言っても詮無きことだな。一応、あの邸に誘導されているのだとしたら、私の護衛もいるから守りやすいと思ったのだが……結局貴女を危険な目に遭わせてしまった。私は婚約者失格だな」
違う。フレデリク様は悪くない。悪いのは御者が入れ替わっていたことを気にもとめなかったわたくしだ。
それに、わたくしはフレデリク様に助けられたあの瞬間、嬉しいと思ってしまったのだから、お互い様だと思う。そう言いたかった。
しかし、そこではたと気づく。「お互い様」だなんて生ぬるい言葉で済ませていい話ではなかったのだと。
わたくしは気づいたことを淑女のあり方なども何もかも忘れたように大声で言い放った。それこそ、ベスがここにいることすら忘れるほどに。
「もしフレデリク様が婚約者失格だというのなら、わたくしは婚約者大失格です!」
「イェニー?」
「フレデリク様が助けに来てくれたあの瞬間、わたくしはそのことを『嬉しい』と思ってしまったのです。でも、フレデリク様はこの国の未来の王様で……そんな貴方が命の危険にさらされかねない場にいるのに、それを嬉しいと感じるわたくしこそ男爵なんかよりずっとずっと……ずっと咎人だと思うのです……っ!」
ひとことひとこと、言葉を口にするたびに涙もまたこぼれていく。これほどまでに自身の感情を露にしたのはいつ以来だろうか。涙が止まらない。
「其方、しばし外を見ていてはもらえぬだろうか」
「か、畏まりました!」
何か聞こえた気がした。その直後、何の前触れもなくわたくしの身体が温もりに包まれる。その温かさゆえか徐々に涙の勢いも衰え、だんだんと周囲の声が鮮明になっていく。
「これで拭くんだ」
「ありがとう……ございます」
右手に何か柔らかい布らしきものを握らされたわたくしは、それを目元にあてる。
目の前が開けてきてはじめに見えたのは馬車の向かい側と、フレデリク様の肩だった。遅れてベスが視界に入ったことで、わたくしはみずからの行いを恥じた。
大人しく彼女の言う通り御者台に乗ってもらえばよかったな、と。
「あのふ、フレデリク様」
「大丈夫だ」
わたくしはフレデリク様の腕の中にいたのだ。しかも侍女の前で、である。これがまだ以前のように二人きりの状況だったら、あるいは孤児院の子供たちの前だったらマシだったのかもしれない。彼から目を逸らすために、手に持つ布を確認すると。
「これはもしかして」
「ああ。貴女がくれた刺繡入りハンカチだ」
やはり。視界にとらえた瞬間に見覚えがあると思ったのだが、どうやらわたくしの推測は正しかったらしい。
とはいえ自身の予測があたったところで、いたたまれない状況に変わりはなく。
「問題ない。私は生涯で貴女ただ一人を愛すると心に決めたのだから」
「でも、わたくしっ……本当に婚約者しっか」
「私が問題ないと言っているだろう? イェニーを助けられて、イェニーがそのことを嬉しいと思ってくれていることが、私は本当に嬉しいのだ。貴女が私のことを考えてくれている以上に嬉しいことなどないのだ」
そう言って、わたくしを抱きしめる力を強めるフレデリク様。あまりに大胆な彼の行いに一瞬の硬直ののち、思わずわたくしの心臓は飛び出しそうになってしまった。ベスはよそを向いているとはいえ、ここは二人きりではないのだ。
「────チッ」
突如、彼が平民のようにはしたなくも舌打ちする。それでもかっこいいと思うのは彼自身が洗練された雰囲気を纏っているからだろう。
その直後、彼が舌打ちした理由がわかった。馬車が停止したのだ。
「? フレデリク様?」
「王宮に到着したらしい。少々予定より遅れているが、侍女たちは優秀だから大丈夫だろう」
「!」
彼の言葉で思い出した。わたくしは今日、王宮で開催される式典に参加する予定なのだということに。
いつもお読みいただきありがとうございます。
活動報告の方にも書きましたが、本作の最終章更新は今年中(秋以降)をめどに再開する予定です。
第二章も残りわずかとなりますが、お楽しみいただけましたら幸いです。




