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71.その目に焼き付けて

 国王陛下の開会宣言によって、楽団が演奏を始めた。


 親しい相手と語らいあったり、会場の端の方に準備された食べ物を召し上がったりと、皆様思い思いに過ごしている。


 今日のパーティーは貴族のために、国王陛下が言っていた四日後の式典は国民に知らせるために行われるのだとか。

 といっても、もとはリチェット侯爵領内の孤児院にいたわたくしにとってはどちらも関わりがなかったものだ。


 それはさておき、わたくしはフレデリク様にエスコートされたまま貴族の皆様からの挨拶を受けていた。


「ご機嫌麗しゅうございます、殿下」

「以前の夜会では伺うことができなかったのですが……ご婚約おめでとうございます」

「おお……ご立派になられて」


 フレデリク様は人好きのする笑顔を浮かべているが、わたくしにはなんとなくわかる。これは彼の心からの笑顔ではない。


 たぶん、ここに長くはいたくないのだろうけれど、王太子としての義務感で離れられないのだと思う。公爵侯爵伯爵と、次から次へと挨拶に来るからきりがない。


 やがて、男爵の爵位を持った方々が挨拶に来た。その中には、先日のお茶会で見かけたあの方の顔があった。


「ご機嫌麗しゅう。フレデリク殿下、リチェット侯爵令嬢」

「……ウェルスト・バナーク男爵か」


 そこにいたのはバナーク男爵家──かつてわたくしや家族に迷惑をかけたあのおじさんの実家だ──の現当主、ウェルスト・バナーク男爵だった。


 彼もまた、あのおじさんと同じような見た目をしている。つまり茶髪に茶色の瞳をした、長身で顔が整った男性といえばよいだろうか。ひとつあのおじさんと違う点といえば、右目に眼帯をしていることだ。その付近だけは(あざ)のようになっていた。


「なんの用だ?」

「いえ、殿下に挨拶をと思いまして……それと、この場で申し上げることではないと理解しておりますが、一点だけ申し上げたいことがありました」

「私にか? 本来なら父上に伝えるべきことであろうが……聞こう」


 その言葉に「ありがとうございます」と恭しく礼をする男爵。彼は姿勢を正すと、こう告げた。


「先日は殿下におかれましては、部下の皆様からそれはもう、大変お世話になりましてね。きちんと帳簿には目を通していたはずなのですが……」

「それはもう過ぎたことであろう? 通常よりおおくの負担をした上で降爵、領地の一部を国に返上。すべては過去のことだが……何か問題でも発生したのか?」


 フレデリク様はものすごく嫌そうな顔をしているようだ。わたくしもフレデリク様とお話したいのだから、この状況は嫌なのだけれど……。

 それを顔に出せば、話が長引いてしまうかもしれない。そう考えて笑顔を取り繕った。


「いえ。私は殿下に感謝したいのです。いつの間にか不正に書き換えられていた帳簿! そのまま年末になってしまっていては、来年の予算の目測(もくそく)が狂うところでした。本当にありがとうございます!」

「そうか。では私の部下を其方につけて領地内のどれに税がかかるかなど、手取り足取り教えてやってもいいのだが……男爵?」


 その言葉を聞いた男爵は途端に目を泳がせ始めた。そんなにもフレデリク様の部下の皆様に来てほしくないのだろうか。


 前回の調査で不正が発覚したものの、その後の罰についても先ほどフレデリク様がおっしゃった通り全て過去のものなのだろう。フレデリク様が嘘をつく必要などどこにもない。もはや何事も心配する必要はないはずだ。


「殿下にそこまでしていただくのは恐れ多いのでお断りさせていただきます! それではご婚約者様とごゆっくり」


 男爵はそう言い残し、再び礼をして立ち去って行った。わたくしは一旦エスコートを解いたフレデリク様と互いの顔を見合わせた。


「退屈な話を聞かせてしまったな」

「いえいえ。お疲れ様です、フレデリク様」

「……ありがとう」


 そうお礼を告げると、フレデリク様は流れるような動作でわたくしの髪を一房手に取り、そこに口づけを落とした。そのせいで先ほどまでの一連の流れでどこかに行っていた熱が再び帰ってきてしまう。


 フレデリク様の顔を見るのが、ちょっとつらい。好きだからといってずっと見ていられるわけではないのだ。


「イェニー……顔を見せてはくれないか?」

「……嫌です」


 そうきっぱりと断ると、再びわたくしをエスコートしようしたフレデリク様によって彼の腕が腰に回される。そのせいで、余計にわたくしの身体中を熱が巡る。


 本当に今は勘弁してほしい。今彼の顔を見てしまえば、身体がどうなるかわからないぐらいだ。


「私は貴女の顔がとても好きなのだ。それとも私に見せられない理由でも?」

「ございます。だって、わたくしが顔を上げたらフレデリク様のお顔が視界に入りますし……そうなってしまっては、わたくしの心臓がもつかどうかわからなくて」

「私のことを嫌っているわけではないのだな」

「嫌ってなどおりませんよ。むしろ好きです。そう、言いませんでしたっけ?」


 その言葉に「そうか」というフレデリク様の返答があったが、やけに大きく聞こえた。


 周囲では皆様が思い思いにお喋りを楽しんでいるはずなのに、それらの音が遠く離れた場所のもののように思われるほどだ。


「イェニー。好きなものを見ると寿命が延びるらしいぞ?」

「ふぇ?」


 突然彼の口から告げられたその言葉の意味が理解できず、わたくしは思わず顔をあげた。しまった。そう思った時にはもう遅い。わたくしの両目はしっかりと彼の顔を捉えてしまっていた。


 それまで真顔だったらしい彼は、たちまち相好(そうごう)を崩す。

 とはいえ、わたくしにとっては笑って済ませられるものではない。寿命が縮んでしまえば、フレデリク様と一緒にいられる時間が短くなってしまうではないか。大問題だ。


「やっとこちらを向いてくれた」

「あの、あの……わたくし、フレデリク様とずっと一緒にいたいのですが」

「奇遇だな。私もだ」


 その言葉にわたくしは彼に好かれているのだということを再確認する。


 とはいえ、こうして彼の顔を見ていると、わたくしの心臓がいつまでもつかわからないのだ。それに、わたくしの心臓がもたなければ一緒にいられる時間は短くなってしまうわけで。

 これでは本末転倒だ。そう思ったわたくしは再び俯くことにした。


「イェニー!? やはり私と顔を合わせるのが嫌なのか?」

「い、いえ。嫌ではないのですが……でも、合わせたくないというのはやはり嫌に入るのでしょうか」

「……! つまり、今まで私に合わせてくれていたのだな……そうか。それなら」

「それは嫌です……っ!」


 次に彼が紡ぐ言葉を理解したわたくしは瞬間、彼にその言葉を言わせてはならないと悟る。

 万が一とはいえ、このような場で彼が「別れよう」とか「邸まで送っていこう」などといったことを言えば、大問題になってしまう。


 わたくしは俯いたまま、淑女らしからぬ大きな声で彼に自身の思いの丈を伝えた。


「わたくしのフレデリク様と一緒にいたいという思いには何ひとつ偽りはありません」

「それなら、何故だ?」

「フレデリク様のお顔を見ていると、わたくしの心臓が高鳴って仕方がないのです……それも止まってしまうのではないかと心配になるほどに」

「……!」


 簡単にいえば、わたくしはフレデリク様と少しでも長く一緒にいたいという思いと、彼と一緒にいては生きられる時間、ひいては彼と一緒にいられる期間が短くなってしまうという相反する思いに押しつぶされそうになっているのだ。


 そうわたくしが告白すると、フレデリク様は溜め息をついた。

 その様子に「フレデリク様?」と顔を上げて呼びかけると、いつの間にか頭を抱えていたらしい彼もまた顔を上げた。


 互いの目が合うと、フレデリク様の双眸(そうぼう)が細められる。


「私もイェニーのように心臓が高鳴って仕方がないのだ。だが、貴女を見るたびに寿命が延びている気分になるのだ」

「寿命が延びる、ですか……?」


 胸がせわしなく脈動している音に気をとられているせいだろうか。わたくしはその言葉の意味を理解できなかった。


 好きな人を見ると寿命が縮んでしまうといった話は聞いたことがあるのだが、寿命が延びるという話は初耳だ。


「ああ。私は幼い頃から帝王学を学んできたのだが、時折先生にひどく叱られることがあってな……そのような日は生きた心地がしなかった」


 それがどうして寿命が延びるという話になるのだろう。続きが気になったわたくしは彼の顔から目を離せずにいた。


「何ならもう嫌だ、やめてしまいたいと幾度となく思ったほどだ。勉強にも、言い寄ってくる令嬢たちの相手にも疲れ切ってしまっていた。それこそ早くこの苦しみから抜け出したいと、神々の国に一刻も早く行きたいと……だがな、貴女に出会って私は思い直したのだ。まだこの世界も捨てたものではないと。つまりだ、イェニー」


 貴女と出会えたから、私は命を救われたのだ。この意味、わかるか?


 そう締めくくったフレデリク様はとても得意げだ。あまりの眩しさに、わたくしはせっかく合わせていた目を逸らしてしまった。


 つまり、早まりそうになっていた彼を救ったのは……そこまで考えて自身の思い描いたことに恥ずかしくなったわたくしは、「いやいや」とその考えを打ち消す。この間わずか数秒の出来事だ。


 でも、そんなわたくしも厳しい王太子妃教育を受けてこられたのは彼のおかげに他ならない。たしかにフレデリク様の考えには一理あるかも……というわけで、わたくしは気合を入れ直してフレデリク様のご尊顔をしっかりと目に焼き付けることにした。

 彼の顔をわりといつでも拝める婚約者という立ち位置は役得かもしれない。


「突然どうした?」

「いえ。わたくしも知らず知らずのうちにフレデリク様に寿命を延ばしてもらっていたのだな、と気づいてしまって」

「そうか。ならこの後のダンスでも私の方だけを見ていてくれるか?」


 ちょっと意地悪な笑顔を浮かべるフレデリク様。そんな彼にわたくしもまたありのままの笑顔を返した。


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