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7.はじめての「愛してる」

 翌朝。私はいつものように早起きした。散歩に出かけると、外の空気が清々しい……というか涼しいくらいだ。


 薄くかかった霧のせいか、麦たちも雫に濡れている。丘の上で、東の空から太陽が上ってくるのを見ながら、私は大きく息を吸って、はいた。


「おはよう、イェニー。貴女はいつも散歩するのかしら?」

「ふぇ」


 背後から突然かけられた声に驚いた私は、なんとも情けない声を出した。


 シェリーは、私が朝早くから外に出ているのを見かけて出てきたという。何事もなかったかのように隣に立ったのでそちらを見ると、彼女は私とそっくりな顔で不思議そうにこちらを覗いていた。


「本当にわたくしたちそっくりね。でもちょっとお肌が荒れてる? 水仕事をすると手が荒れるらしいから、そういうことかしら……? まあいいわ。侯爵邸に戻ってから考えましょう? ところで、どうして散歩を?」

「えっと……」


 私は言いよどんだ。だって、ここでそれをコトバにしてしまったら、せっかくの決心が揺らぐかもしれない。


 しかし、彼女の顔は明らかに聞きたがっている人の顔だ。無意識のうちに「このままでは埒が明かない!」と思ったのだろうか。気づけば私の口は自然にコトバを紡いでいた。


「ここから見える景色がすごく綺麗だから、かな? 私、収穫前の麦の色が好きなの。だって、私の髪と同じ色だし。他のみんなと私は髪や目の色が違ったけど……麦だけは私とお揃いだったから」

「そうだったの……ごめんなさい。わたくしのせいで貴女の心の拠り所を奪ってしまって……でも、これからはかわりにわたくしがいるわ。それに、麦畑も領地の視察を名目にまた見て回ればいいのよ」


 シサツというよく分からない言葉が出てきたが、彼女が私を励まそうとしていることはわかる。

 何といっても、私の心が上向くポイントを押さえているのだから。


 それからもう少しだけ話した私たちは、孤児院に戻った。


 最後の朝ご飯は、いつもよりちょっと豪華なものだった。別に私が担当だからという理由ではなく、みんなが揃う最後の食事だからだ。


 今までも、何人かがこの院を離れて行ったけれど、その前日の夜はいつものパンとスープに加えてお肉が出るのだ。

 お肉は院で飼っているニワトリだ。いつもなら前日の夜の食事にでてくるのだが、今回はシェリーの希望もあって、昨日の夜は普段通りにしたから鶏肉は今日になったのだ。


 夕食後にこの話を聞いた彼女には「最後の夜を邪魔してごめんなさい」と謝られてしまった。

 お貴族様に謝られることなんて滅多なことではないけれど、私が彼女の妹だからというのもあるのかもしれない。私だってヤンやイライザをはじめ、年下には弱い。それはさておき。


「イェニーともお別れか……寂しくなるな」

「ヤン、次はあなたが一番年上になるんだからね」

「わかってるって!」

「こんど、かえってきた時には、たくさん本をよんでね!」

「わかった。イライザもその時まで元気でね」


 その時があるのかはわからない。でも、あったらいいな。そう考えていると、ふいに院長先生から声をかけられた。


「イェニー、ちょっとこっちへいらっしゃい」

「院長先生、どうしたの?」

「本当に大きくなって……これからは一緒にいられないけれど、私や院のみんなはあなたの味方だからね」

「院長先生っ……!」


 その温かな言葉に何度励まされたことか。つられて目頭が熱くなってしまう。

 今まで応援してくれたその言葉を、声をそばで聞くことができないのは、つらい。


「院長先生……今まで本当にありがとうございました。お世話になりました」

「イェニー、帰りたくなったら帰ってきておいで」

「でも、十八になったら……」

「その時は、私の代わりに子供たちを見てくれるかい?」

「……!」


 十八になれば、院を去らなければならない。先生は「帰っておいで」と言ってくれるけれど、それが決まりだ。


 それでも、「ここにいてもいい」と言ってくれているのが嬉しい。院長先生に私の心の中身を隠すことなどできないのかもしれない。涙が止まらない。

 私はせめてものお返しにと最高の笑顔を浮かべたつもりなのだが……きちんと笑えているだろうか?


 これから向かう貴族の社会では、どんなに辛い時でも涙を流すべきではないのだという。もう涙を流す機会などないのだろう。

 でも、先生の前では笑っていたい。最後くらい笑っていたいのだ。


「イェニー、愛してるよ」


 それは物語の中ではありふれた、けれども私にとっては、はじめての言葉だった。


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