68.夜会への往路
あのお茶会から三日後。わたくしはアストランティア王国からやって来たロナルド王太子殿下一行に歓迎の意を示す夜会に参加するため、朝から徹底的に磨かれていた。
湯浴みにマッサージ、香油を塗られてとここ最近は受けていなかった色々なケアを久々に受けさせられる。
当初はどのドレスを着ていけばいいのかわからず、ベスたちと共に頭を抱えていた。
しかし昨日の昼間、わたくしが王宮に行っている間にフレデリク様から夜会用のドレスが届いたらしく、それを着ていくことになった……のだけれど。
そのドレスはデコルテが黒いレース素材で透けていたのだ。ちょっと露出が多すぎるような気がしてしまうのはわたくしの気にしすぎだろうか。
「あの、ベス。このドレスはフレデリク様から贈られてきたのですよね……?」
「はい。そうお聞きしておりますが。こちらに」
そう言うと、彼女はドレスと一緒に送られてきたという小さなカードをわたくしに差し出す。開くと、そこには幾度となく見たフレデリク様の筆跡でこう綴られていた。
────親愛なるイェニー。私は母上にイェニーの肌を見せたくないと言ったのだが、母上は勿体ないと言って憚らなかったのだ。そのせいで肩周りに透けた素材を使う羽目になってしまった。肩より下は死守したから今回はこれで許してはくれないだろうか? 今度からはウェディングドレスの時のようにイェニーを交えて決めるように母上を説得しておく。
「この話は貴女の母君には内緒だ。二対二になってしまっては元も子もない」といった文で締めくくられており、思わず吹き出してしまった。
やはりフレデリク様もわたくしと同意見なのだと思うとちょっと心が温かくなる。
一通り読み終えると、わたくしはその手紙をしまっておいてほしいとミアに伝え、ベスたちにそのドレスに着替えさせてもらうことにした。
「ところでベス。どうして急に決まった夜会用のドレスが届くの?」
「お嬢様はこの交流会が二年に一度開かれていることはご存知ですか? つまり、以前から決まっていたのでそれに向けて準備していただけですよ」
なるほど。納得した。この式典は時期こそ不明だが、必ず今年のどこかでやるということがわかっていたから準備していたということらしい。基本は社交シーズンらしいけれど。
会話を交わしている間にも彼女の手は動いており、今はミアと二人がかりでコルセットを絞めている最中だった。
☆☆☆☆☆
着替えが終わり、改めて鏡の前に立ってみる。
こうして見ると以前のドレス同様、配慮してくれている気もしなくはない。あの時に見た限りでは肩周りの素肌をそのまま晒しているご令嬢が大半だった。
それに対してこのドレスはデコルテこそ透けているものの、二の腕のあたりをかなり長めのシフォンレースのあて布が隠してくれていた。それも、フレデリク様の瞳と同じ濃紺の布だ。
背中側はコルセットのように紐で編み上げたようなデザインになっており、その下にはこれまた大きなシフォンレースのリボンが垂れている。
裾の広がりは控え目になっているが、これはどちらかというとドレスを見ただけでどのパニエを使うべきかわかるベスの職人芸のおかげかもしれない。
この裾は現在アストランティアで広まっているらしく、そしてとても動きやすい。交流会ならではのスタイルだろう。
普段王宮に行く時のドレスもこうなればいいのにな、と思ったのは内緒だ。
それからはいつものごとくメイクを施され……と更に細かく仕上げられていく。何度目かわからない、芸術品になったかのような気持ちで過ごしていると、いつの間にか終わったらしい。
「お嬢様、こちらを」
最後に差し出されたのはドレスと揃いのジュエリーだった。
これもフレデリク様からの贈り物なのだとか。値段が気になってしまったが仕方がないことだと思う。
聞いたら大きなショックを受けることが目に見えているので聞かないけれど。
こうして飾り立てられたわたくしは、ベスに伴われて玄関ホールへと向かった。
季節は一応夏なのでまだ西日が差している時間だ。二階から見下ろす玄関ホールは神秘的な光で満たされていた。
階段を降りていくと、そこには既に着替えた家族の皆が待っていた。といってもフアナお姉様はヴィクトー様が迎えに来たらしく、もういなかった。
ヴァンお兄様も婚約者の方を迎えに行ったそうでこの場に残っていたのはお父様とお母様、それにシェリーだけだ。
「イェニー! 貴女、とっても素敵よ! わたくしも婚約者がいたらな……なんて思うのだけれどね」
「ありがとう。シェリーは皆に優しいからきっといい人が見つかると思う」
そう返すと、彼女は花が綻ぶような笑顔を見せた。彼女はわたくしと違い、淡いラベンダー色の肩周りを露出したドレスに、長手袋というオーソドックスな組合せだ。
社交界では、この年で婚約者がいないと「行き遅れ」などと言われがちだと最近理解したわたくしは、ちょっと愚痴をこぼしながらも前を向いて歩いているシェリーってすごいのでは、と最近思うようになった。
早く心の傷が癒えて素敵な方が見つかりますようにと心の中で神様方に祈っておくことしかわたくしにはできないけれど。
そう物思いにふけっていると、今度はお母様から話しかけられた。
「デビュタントの時とは見違えたわ。アーシャのおかげかしら……とにかく、貴女はきっとたくさんの努力をしてきたのよね。そして、これからも大変なことはあると思うけれど……」
「アウロラ。まだ結婚式じゃないんだ。僕らのイェニーはもうしばらくここにいてくれるから、そういうのは式の時に言うべきだと思うんだ」
「あら。いつ伝えたっていいでしょう?」
話だけ聞いていると、お父様とお母様は一見痴話喧嘩をしているように見えなくもない。
しかし、二人の表情はとても明るいし、何より朗らかで笑い声まで上げているのだ。
というわけで、今日も二人は仲良しらしい。さすがお兄様が生まれるよりも前から一緒にいるだけはある。
わたくしもフレデリク様とこういう関係が築けたらいいなと思う。
彼は侯爵とか領主なんてものではなく、次期国王なのだから色々と勝手が違うのだろう。
でも、互いに敬意を持って仲睦まじく歩んでいくことはきっとできるはずだ。
やがて玄関の扉が開かれ、馬車の準備ができたことが告げられる。わたくしたちはお父様の手を借りながら馬車に乗った。
わたくしはフレデリク様と婚約者ではあるが前回のように王城で合流する手筈だ。というわけでお父様が家族三人の馬車の乗り降りを補助してくれることになっている。
わたくしたちの集合が王宮なのは、フレデリク様がパーティーの開始ギリギリまでロナルド王太子やクローベル侯爵のお相手をしなければならないからなのだとか。
わたくしも一緒に相手をするとそれとなく進言したのだが、やんわりと断られた。
ふと、わたくしはお父様がとても優しい目をしていることに気がついた。
そして、隣ではお母様がそんなお父様を柔らかな視線で見つめている。と、お父様は前触れもなく口を開いた。
「シェリー、それにイェニー。せっかくだからこの際言っておこうと思うんだけれど、いいかな?」
そう言われて、わたくしはぴんと背筋が伸びた。視界の端に映る様子から、シェリーも同じだったらしい。
「二人には今まで本当に迷惑をかけたね……いや、これからもかけてしまうから、今までという言い方は間違っているね」
「お父様。それは、わたくしたちが双子だからでしょうか」
シェリーがわたくしが疑問に思ったことと同じことを口にする。
しばしの沈黙の後、お父様は深く頷いた。顔が先ほどとは違いちょっと暗くなっている。
日は暮れつつあるが、日が暮れたせいではないと思う。お母様も一転、不安を隠せない様子だ。
「そうだ。僕は正直『双子忌み』だなんて風習はふざけていると思うのだけれどね、事実として残っているからね。君たちを双子としてこの世界に送り出してしまってすまなかった……特にイェニー。君には本当に大変な思いをさせてしまったと思う」
「いえ、わたくしは……」
わたくし紡ぎかけた言葉は、しかしここにいる誰にも届くことはなかった。
たしかに、わたくしは孤児院で育ったとはいえ、幸せだったのだ。非常に稀有なことなのだろうけれど、少なくともわたくしはそうだった。
それに、孤児院にいたからこそフレデリク様と出会えたわけで。むしろ感謝したいぐらいだ。
しかし、お父様とお母様は「孤児院に送った」という事実を気にしているのだろう。
だからここでわたくしが問題ないと言っても問題解決にはならないと思う。
というわけで、わたくしは言葉を続けることができなかった。
「そんな思いをさせた私たちにこんなことを訊く権利はないと思うのだけれどね……よければ教えてほしいんだ。君は今、幸せかい?」




