65.エリーゼ様の謝罪
謁見の間でロナルド王太子たちを迎えたその日の午後。わたくしはフレデリク様と共に王宮の中庭にいた。
歓迎の茶会まではもう少しあるが、王太子妃教育も中止になり手持ちぶさたになので早めに会場に来てしまったのだ。
まだ使用人たちが準備にせわしなく走り回っているので、わたくしたちは邪魔にならないようにいつもの東屋で休憩している。
「参ったな……」
「フレデリク様?」
フレデリク様は先ほどから浮かない表情をしている。心配事が頭から離れないといった様子だ。
「イェニー、クローベル侯爵が外務大臣として来ていただろう? 私たちはどうやら彼と悪い意味で縁があるのだと思ってな」
「つまり、それはどういうことですか?」
「以前、孤児院でイェニーと会うことになった経緯を説明しただろう?」
わたくしは彼の言葉にその話を思い出してみた。フレデリク様は六年前、母方のおじいさまが亡くなったのを理由にアーシャ様と共にアストランティアに行っていた。
そしてその帰り道、アストランティア国内で賊に襲われたという話だった気がする。
「その際に賊が出たのがクローベル侯爵領だったのだ」
「そういうことですか……」
たしかに、ある意味悪い繋がりだ。たしかアストランティアの元王族だったアーシャ様が間に立ったことにより、関係悪化は免れたのだったか。それから、とフレデリク様は続ける。
「もう一つはクローベル侯爵自身も言っていたことだが……貴女に手を出したオックス・バナークの血族を身内に招き入れている。その上……母上を交えて以前話したこともあるだろう?」
もう過ぎたことではあるけれど、言われてみればそうだ。
王都へお忍びで出かけた時。そしてわたくしがデビューした夜会。わたくしやシェリー、お姉様はオックス・バナークという方から話しかけられた……という程度では済まないことをされた。たしかに両者は婚姻を通じてつながっているのだ。
加えて、アーシャ様がこうも言っていた。「バナーク家はアストランティアの反現国王派とつながっている」と。それがクローベル侯爵のことなのかはわたくしにはわからない。
しかし、フレデリク様が襲われた場所といい、あまりよくない関係なのではないかと思えて身震いしてしまう。
ここまで来ると、平民の反乱とか賊とかではなく、裏で誰かが手を引いているのではないか、と思うほどに。
「イェニー……大丈夫か?」
「フレデリク様の心配には及びません」
「貴女は私の婚約者……いや、大切な人だ。そのような様子を見ていて心配にならないわけがないだろう」
「わたくしのことはよいのです。フレデリク様が襲われた場所の領主様だと思うと少し怖くて……」
「イェニーのことは必ず守る。相手が何を仕掛けて来ようとな」
フレデリク様はそう言ってわたくしの手を包み込む。ああ、この人はなんて優しいのだろう。とても温かい手が恐怖で冷えてしまったわたくしの心を溶かしていく。
それだけできっと大丈夫だと思えてきてしまう。すると、他のことを気にする余裕も出てきて、わたくしはふと思い出したことを尋ねた。
「フレデリク様。それで、エリーゼ様は大丈夫なのでしょうか?」
「エリーゼか……たしかに、我々が手助けをする必要は多少あるかもしれない。彼女はまだ十三だ。将来的には母上に続く両国の架け橋となってもらう予定だが……」
そこで言葉を切ったフレデリク様。彼が王宮の方を見たので、わたくしもつられてそちらを向いてしまった。すると、そこにはこちらに向かってくるエリーゼ様がいた。
彼女はこの東屋までやって来ると、テーブルを挟んでわたくしたちの向かい側に腰掛けた。わたくしと目が合うと、彼女は申し訳なさそうに口を開く。
「フレデリク殿下、イェニーさん」
「エリーゼ。どうした?」
フレデリク様のその一言で、先ほどまでエリーゼ様のことを案じていたわたくしの心は、あっという間に彼女に対する負の感情に染まってしまった。
先日送られてきた手紙を見れば、彼女がフレデリク様の婚約者になり替わろうと考えるような方ではないとわかるし、フレデリク様にも他意はないとわかっているのに。
それなのに嫉妬してしまうわたくしはなんて醜いのだろう。
「まずはイェニーさんにお伝えしたいのですが……ごめんなさい」
「えっと、いつのことでしょうか? デビュタントの時の話でしたら、もうお手紙で謝罪いただきましたし……」
嘘だ。わたくしはそれで本当の意味で彼女を許せているかといえば、きっとそうではない。
なのに、不誠実にも手紙での謝罪だけで満足しましたと彼女に伝えている。侯爵令嬢となって上っ面を綺麗に取り繕うのはうまくなったけれど、心の中は汚れたままだ。
わたくしはひとり心の中で自嘲した。
「いいえ……イェニーさんが許してくださっているかどうかではなく、これはわたくしの我儘なのです。取り急ぎお手紙でお伝えいたしましたが、わたくしはイェニーさんに面と向かって謝罪したかったのです」
エリーゼ様が眩しい。わたくしなんかより、彼女の方がフレデリク様の夫として相応しいのだと思えてしまうほどに。
いや、そんな彼女だからこそ、エナトスとアストランティアを結ぶ役割を任されたのかもしれないけれど、とにかくわたくしなんかと比較にならないほど素晴らしい方だ。
「ごめんなさい。わたくしが先にイェニーさんと殿下にお伝えしておくべきでした」
「…………」
「その……イェニーさん。こんなわたくしですが、お友達になっていただけませんか?」
「えっと」
これはどういう状況だろう。わたくしは侯爵令嬢で、目の前に座っている公爵令嬢のエリーゼ様から誼を結びたいとお願いされていると言えばいいのだろうか。
しかし、彼女はわたくしよりも身分が上で、言葉遣いとしては「わたくしとお友達になって頂戴」とか、アーシャ様が言いそうな言い回しを使うのが本来のはずだ。
「あの、エリーゼ様はわたくしよりも身分が上ではございませんか? どうしてそのようなお言葉を」
「イェニーさん。今はそうですけれど、貴女はいずれこの国の王妃となるのですよ。一方、わたくしは彼国の王妃になれるかどうか、今の状況ではわからないのです」
「大丈夫ですよ。ロナルド殿下との間はわたくしたちも受け持ちますから。それで、お友達ですが……本当に光栄なお話です。どうぞよろしくお願いいたします」
わたくしはそう言って座ったままで礼をとった。
こんなことを年下の子に言われては許さないだなんて言えるはずもないし、そんな気持ちもどこかに飛んでいってしまいそうだ。
すると、エリーゼ様はわたくしの心の中をお見通しと言わんばかりの言葉を口にする。
「イェニーさん……本当に無理する必要はないのですよ。わたくしはイェニーさんに無断であのような振る舞いをしたのですから。本来なら一生恨まれてしかるべきでしょう」
「たしかに、わたくしはフレデリク様から親しく呼ばれているエリーゼ様に思うところがなくはないのですが……それでも、お友達になりたいということに変わりありません」
わたくしがそう強弁すると、彼女は明らかにほっとした様子だった。今度こそ、この言葉に嘘偽りはない。
わたくしと話したいことはそれで一段落したようで。続けて彼女はフレデリク様の方を向いて謝罪を口にした。
「フレデリク殿下。殿下にも大変なご迷惑をおかけいたしました」
「結果的にイェニーとの婚約の地盤固めになったのだから感謝しているのだぞ。後はイェニー次第だが……」
わたくしは「もう許しています」という気持ちを込めて友好的な笑みを意識して頷いた。
「イェニー、友人であれば許さなくてはならないという決まりはないのだぞ」
「知っています。でも、結局フレデリク様と一緒にいられるようになったのはエリーゼ様のおかげですから」
そう言うと、再び曇りかけていた彼女の顔はまた緩んだ。かわいい。続いて彼女はこれまでのことから、これからのことについて話題を変えた。
「ロナルド殿下はわたくしのことをどう思っておられるのでしょうか。お手紙は何度かいただきましたが、お会いするのは初めてで」
「あいつなら六年前に会ったきりだったから何とも言えないが……私は其方らが、両国がよい未来を迎えるための助力は惜しまないつもりでいる」
そう言って王宮の客間が並ぶ一角を見つめながら微笑むフレデリク様。
あいつという彼が普段使わない呼び方には親愛の情が込められている気がした。もしかしたら六年前にアストランティアに行った時のことを思い返しているのかもしれない。
そして彼の言葉から察するに、暗にエリーゼ様とご自身の結婚は考えていないと告げているようだった。
それにわたくしは安堵しているのだから、やはりさっきのは勘違いだったのではないか! とツッコミを入れたくなってしまう。
だが、それはある意味吹っ切れたと捉えることもできなくはないだろう。少なくとも心の中で無意識に自分や他人に嘘をつきながら悶々としているよりはずっとマシだ。
こうして他国の貴族とのお茶会の直前に、エリーゼ様はわたくしにとって貴族社会ではじめての友人らしい友人となったのだ。




