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57.フレデリク様と子供(1)

 その後、ダレンさんも部屋に戻ってきた。その手にはアニー同様、紙袋を抱えている。


「イェニー様はミア様やアニーとお知り合いだったのですね。それも雇用主の娘と使用人という関係とお聞きしました」

「はい。二人はいつもよく仕えてくれるのですが……せっかくの休日を邪魔してしまい申し訳なく思っています」

「わたくしたちは大丈夫ですから、お嬢様は謝らないでください」

「そうです!」


 二人に強弁されてしまった。ここはおとなしく言うことをきいておこう。


 そして、先ほどから気になっていた紙袋のことをダレンさんに訊いてみた。


「この中身はおっしゃる通りクッキーです。二人が時々……リリーという方もいましたか。とにかく、リチェット家の使用人の何名かが来て、焼いてくれているので助かっています。他の孤児院にはまずないものですから」


 それもそうだ。アーシャ様に聞いたところによると、国が出しているのは食費、被服費、建物の修繕費──などだ。

 クッキーの材料となる砂糖は、一応中産階級なら手に届くものの贅沢品とされている。そのため、孤児たちが口にすることはまずない。


 このあたりは各地の貴族領だと少々事情が違ったりするらしいが、少なくとも王家の直轄地ではそのような方針になっているらしい。

 リチェット侯爵領も砂糖の配布はなかったと思う。わたくしが食べたのは砂糖なしクッキーだ。


「あの、ミア、アニー。もしよければでいいのだけれど……今度、クッキーの焼き方を教えてくれたら嬉しいなぁ……なんて」

「いいですよ! みんなに持って来るんですか?」

「うん。わたくしも子供たちにクッキーを焼いてあげたくて」

「いけません! お嬢様は侯爵家のご令嬢。調理場に立つことはご主人様や奥様が許さないのではありませんか?」


 わたくしとミアが盛り上がってきたところを、アニーに制止された。たしかに彼女の言うことはもっともで、筋が通った話だ。しかし。


「ミアも貴族令嬢だったはずだけど……どうしてわたくしは駄目なの?」

「イェニーの焼いたクッキー……食べてみたいな」

「へ?」


 わたくしがアニーに理由を尋ねようとしたところに、フレデリク様が何かをぼそりと呟いた。

 前半はともかく、後半が聞こえなかったせいで、わたくしは思わず彼の方を向いて気の抜けた声を漏らしてしまった。


「フレッドさん? 今何か言いましたか?」

「ああ。イェニーの焼いたクッキーを食べてみたいな、と思っただけだ」


 フレデリク様はばつが悪そうに、額に手をあててそう口にした。


 視界の端に映ったミアが心なしか楽しそうにしているように見えたのは気のせいではないはずだ。

 彼女もまたロマンス小説愛好家なのだから、目の前でロマンス小説らしき展開が繰り広げられていることに興奮を隠せないのだろう。


 わたくしは孤児院でパンを焼いた経験があるとはいえ、普通貴族令嬢に「料理して」なんて言う婚約者はいない。貞淑さとかを求めるものだ。


 しかし、彼はしきたりを無視した、ロマンス小説の台詞にありそうなことを目の前で言ったわけで。それにミアは興奮しているのだと思う。


 実際わたくしもロマンス小説かと思ったので、わたくし以上の愛好家のミアもその口と考えて間違いない。でも、フレデリク様の心遣いが嬉しい。


「ニー? イェニー? ……ようやく戻ってきたな」

「あ、失礼いたしました。何とおっしゃいましたか?」

「今日はその言葉遣いは禁止だ」

「は、はい! それでフレッドさん、どうかしました?」

「いや、もしイェニーがクッキーを焼きたいというのなら、私がリチェット侯爵に頼み込んでもいいかと思っただけだ」

「あ、いえ。遠慮しておきます」


 フレデリク様に頼むなど言語道断である。そんなことをさせた日には、お父様とお母様の胃がもたない。


「クッキーは作りますから。作っていいと許可は貰いますから……フレッドさんはお願いだから何もしないで」

「あ……ああ」


 目の前の婚約者はわたくしの言葉に呆然としてしまった。そして気づけば、今度はアニーの視線が険しいものになっている。

 たぶん、たとえクッキーであろうともわたくしがキッチンに立つのは反対ということなのだろう。しかし今のわたくしは切札(ジョーカー)を手にしたも同然なので、怖くはなかった。


「アニー」

「何でしょうか」

「わたくし、婚約者様への贈り物にクッキーを焼きたいのだけれども」


 そう祈るように告げると、目の前でそのやり取りを見ていたからか彼女は「旦那様に相談してみます」と簡単に折れてくれた。


 それでも、視線が視線だっただけに拍子抜けしてしまう。

 そこでわたくしはある事実に気づいた。この孤児院を管轄しているダレンさんの方を振り向き、わたくしはお願いを口にした。


「ダレンさん。その……またこちらにクッキーを持って、というか焼きにというか、お邪魔してもよろしいでしょうか」

「……そうですね。高位の貴族令嬢の方が調理場に立つというのは、いささか問題があるかと思いますが……侯爵閣下がよいとおっしゃるなら、私に異はありません」

「……! ありがとうございます」


 そうお礼の言葉を口にして、頭を下げる。よかった。断られなくて。そうほっとしたのもつかの間、今度はダレンさんがわたくしにお願いを申し入れてきた。


「このようなことをイェニー様に頼むのはいささか失礼かと存じますが……」

「何でしょう?」

「その、子供たちを呼んできてはいただけませんか? そろそろおやつにしようと考えていたのですが……」

「いいですよ。子供たちは勉強中でしたっけ?」

「彼らのことは心配には及びません。外の子供たちを呼んできてはくれませんか? 皆イェニー様と、そちらの護衛の方に興味津々なので、きっと戻ってきてくれると思います」

「わかりました」


 わたくしが立ち上がると、フレデリク様も同様に腰を上げた。


「行きましょう、お嬢様。お手をどうぞ」


 そう言って差し出された手をわたくしは握り返した。




☆☆☆☆☆




 外に出ると、子供たちはきゃあきゃあと元気よく走り回っていた。


 木に登ったり、追いかけっこしたりと、小さな子供たちは疲れ知らずの勇者そのものだ。

 何人かがこっちを向いてくれたので、軽く手を振った。それを見た子供たちが手を振り返してくれる。かわいい。


 とはいえ、今わたくしがここに来たのは彼らに手を振るためでも、彼らの遊びに加わるためでもない。わたくしは彼らのいる方に向かってつとめて大声で呼び掛けた。


「みんな~! クッキーが焼けたよ~!」


 その言葉に、さらに何人かが動きを止めこちらを向いてくれた。


 絶賛追いかけっこ中の子供たち──といっても二人だけだけれど──は今なお走り回っているけれど。その子たちについては目を離さずに後で近くまで行って話しかければ大丈夫だろう。


 ひとまずわたくしは子供たちの方にもう少しだけ近づいて、叫ぶほどではないけれどある程度大きな声でもう一度呼びかけた。


「クッキーが焼けたよ! みんな入って入って!」


 その言葉を聞いた子供たちが次々と孤児院の中へと走っていく。「きゃー」とか「わー」とか楽しそうに歓声を上げながら入っていく様子は、どこか懐かしい。


 子供たちの人数は段違いだが、村の孤児院も夕食の準備ができたと言えばこのような感じになっていた気がする。


 この呼びかけで軒並み子供たちは入っていった。その様子を見届けると、わたくしは一度隣に立つフレデリク様の方を見る。


 彼が頷いたのを確認すると、わたくしは追いかけっこをしている二人組の方へと歩いていった。そして彼らからほど近い距離で、今度は叫ばない程度の大きさの声で話しかけた。


「ねえねえ、クッキーが焼けたよ。食べに行こ?」


 そう言うと、二人は足を止めてこちらを向いてくれた。「だれ?」と言わんばかりに不思議そうな顔をしている。ここはわたくしが名乗るよりも、彼らと親しんでいるミアの名前を借りた方がいいだろう。


「ミアお姉ちゃんがクッキーを焼いてくれたよ。食べに行きましょ?」


 そう告げると一人は目を輝かせていたけれどもう一人は不服そうだ。どうしようか。


 考えあぐねているうちに片方の子は行ってしまった。外にいるのはわたくしと男の子のただふたりだけだ。


「君はミアお姉ちゃんの焼いてくれたクッキー、食べなくていいの? 早く行かないとなくなっちゃうよ?」


 そう諭しても彼は頷いてくれず、すっかり俯いてしまった。どうしようかと再び思案しているといつの間にか後ろから近づいてくる気配を感じた。


 振り向けばそこには案の定というか、フレデリク様がいた。


 そのまま後ろから男の子をひょいと抱えて孤児院の方へと歩き出すフレデリク様。抱きかかえられた男の子は不満を顔いっぱいに表現している。


「フレッドさん、この子に嫌われたんじゃない?」

「そうだろうか?」


 とても不思議そうな顔をするフレデリク様。今にでも「イェニーはこの子供が考えていることがわかるのか?」とでも言い出しそうな表情だ。


 いつもの彼なら、わたくしの思っていることを理解してくれて、時にはわたくしが望む以上のことをしてくれるのだが……この子の考えていそうなことはわからないらしい。


 世の中不思議なこともあるものだ。わたくしたち三人は無言のまま、孤児院へと入っていった。


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