54.孤児院への慰問(1)
アーシャ様の代理として孤児院へと慰問に行ってほしいと言われてから数日。いよいよその日がやって来た。
昨日聞いたところによると、既に先方にはわたくしが行くということが伝えられているらしい。
いつも通り早起きしたわたくしはベッドに腰掛けながら、昨夜読み切れなかったロマンス小説の続きを読んでいた。
やがて入室してきたベスに支度を軽く手伝ってもらう。アニーもミアもお休みなので今日は彼女だけだ。二人は早朝から街に繰り出していったのだとか。
今日向かうのは平民街にある孤児院だ。というわけで目立たないコットンのブラウスに袖を通し、裾に可愛らしい刺繡が施されたミモレ丈のスカートに穿き替える。
アーシャ様いわく、向かう先の孤児院の子供たちは先日訪問した時は元気だとのことだった。特に服装についても何も言われなかったので、動き回ることを考えて、なるべく動きやすい服装を選んだのだ。
最後に、小さい頃からつけていたお守りのペンダントもつけてもらう。
そうしてわたくしは、貴族らしさほとんど皆無の服装で朝食へと向かった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。今日は孤児院に行くと聞いたよ。行ってらっしゃい」
「はい。あの……ところでお姉様。そのような服装は珍しいですね」
席につき、お父様と挨拶を交わす。そこまでは普段通りなのだが、その中で唯一、お姉様の服装だけが普段通りではなかった。
今のお姉様はさながら白馬の王子様だ。乗馬服に身を包み、長い髪は後ろでひとまとめにしている。
わたくしも普段通りではないと言われたら、その通りではある。
でもわたくしが何度かお忍び用の服を着ているのと違い、お姉様がズボンを穿いているのを見るのははじめてだ。さらに言えば、彼女は若干頬を赤らめている。
「淑女が乗馬服を着ていて悪いかしら?」
「いえ、そうではなく、物語の中の王子様のようで素敵だな、と」
「それはからかって……いえ、その、ね。今日はあたしヴィクトー様と……のよ」
「えっと……」
「ヴィクトー様と遠乗りに行くのよ! 何か悪いかしら!?」
ついには、お姉様の顔が真っ赤に熟れたリンゴのようになった。淑女がどうとかいうお姉様だけれど、こういう時は声がちょっと大きい。
婚約者と共に出かけるということは、つまりロマンス小説で言うところのデートということなのだろう。
自分のことを聞かれて恥ずかしくなったのか、今度はわたくしがお姉様に質問された。
「その、イェニーは今日王妃殿下のかわりに孤児院に慰問に行くそうじゃない」
「はい。それがどうかしましたか……?」
「しっかり自分の役割を果たしてきなさいよね。そんな恰好するぐらいなら」
「……はい」
腕を組んでよそ見しながらそう告げるお姉様。これはお姉様なりの激励なのだろう。少なくとも八つ当たりではないと思う。そうこう考えているうちに、お父様はお兄様にも話題を振っていた。
「ヴァン。最近王宮に通い詰めているが、君は婚約者のことを蔑ろにしてはいないかい?」
「神々に誓ってそのようなことはいたしておりません、父上。彼女と共に執務に励んでおりますので、時間はいくらでもあります」
その言葉を聞いて、満足そうに頷くお父様。わたくしもフレデリク様の部屋に一緒にいられたらと少し思ったけれど、それはやはり迷惑にも程がある。
今のわたくしにできることは王太子妃教育をしっかりと受けて、それをフレデリク様のために役立てることぐらいだ。
「いくら仕事で会っているとはいえ、デートしないことは問題なのではなくて? 婚約した方の家にはよく行っているようだけれども……」
「お母様の言う通りよ! お兄様ってデートしたことあるの?」
「シェリーがそれを……コホン。デートぐらいあるぞ。彼女の家に行って古典詩の読み合いをしたり、歴史書を……」
「それ、あたしに言わせてみればデートじゃないから」
わたくしがお姉様の言葉にコクコクと頷く。四人の視線が集まり参ったな、と告げるお兄様はタジタジだ。少し黙り込んだ後、思い出したかのように口を開いた。
「フアナは『お家デート』という言葉を知らないのか? それに、俺だって王都の図書館に二人で行くことぐらいあるんだぞ?」
「そちらを先に言ってくださいまし!」
シェリーのツッコミはもっともだ。デート。その言葉を聞いてわたくしもまた行きたくなってしまったのは仕方のないことだろう。
フレデリク様に会いたい。そうした思いが心をよぎったが、わたくしは毎日のように彼に会っているではないか。一日や二日顔を合わせないぐらいで愚痴をこぼすべきではない。
それに、彼には大切な仕事があるのだから、なおさらだ。
☆☆☆☆☆
朝食を終えたわたくしはいよいよ孤児院へ向かう。御者の方に侯爵家が保有する馬車の中で一等質素なものを準備してもらい、それに乗っていくことになっている。
さすがに豪華な馬車で向かうわけにはいかないのだ。
今日はエスコート役の方がいないので御者のおじさんに手伝ってもらうことになった。一人でも十分乗れるのだけれど、貴族の流儀なのだから仕方がない。
続けてベスにも乗ってもらう。わたくし一人ではもしもの事があってはいけないというのが理由で付き添ってもらうことになったのだ。
とはいえ向こうではわたくしだけが滞在することになっており、ベスは御者の方と共に付近で休憩してもらう予定だ。一応王太子の婚約者という理由で王宮から護衛が出されるのだとか。
馬車の外は、最初こそ見慣れた貴族街であった。しかし進んでいくにつれ、一度も来たことがない景色へと変わっていく。
通り慣れた王宮への道を途中で曲がり、そこを囲む城壁の際を進み。どこまでも続くように思われた壁を途中で離れ、進んで行った先は雑然とした生活感と活気に溢れた街だ。
やがて馬車はちょっとした広間の前で止まる。地面に埋めた木の棒を縄でつないだだけの、簡易な柵で囲まれたその敷地の奥には礼拝堂と一軒の大きな家があった。
わたくしが暮らしていた場所と似ている気がするのは、やはり孤児院だからなのだろうか。もちろん違う点もあり、街中にあることやレンガ造りということ、後は強いていえば柵の有無だろう。
「お嬢様、到着いたしました」
「ありがとう」
外側から御者の方が扉を開き、わたくしに孤児院への到着を告げる。家を出てここまで一時間ほどだろうか。
先にベスがさっと降り、続いてわたくしは御者のおじさんの手を借りながら降車した。
広間を見ると、そこにはここを取り仕切っていると見られる老齢一歩手前のおじさんと明るい髪色の若い青年、そして青年を取り囲むように子供たちがいた。
それを確認すると続いて建物の方に目をやる。孤児院と思わしき建物の入口からは何人かの子供が外の様子を窺っているようだ。
そうこう状況を確認していると、おじさんがわたくしの視線に気づいたらしくこちらに視線が向けられる。わたくしは軽く会釈した。
そのご老人がわたくしに会釈を返したのが目に入ったからのか、青年がこちらを振り向いた。ばっちり目が合ってしまうと、彼の紺色の双眸が細められる。青年はこちらへと歩み出した。
その瞬間、わたくしはやっとのことではあるものの彼の正体に気がついてしまった。いや、彼とはあんな関係なのだから、いくら何でも遅すぎるのかもしれない。
そして彼の正体に気づいたわたくしは危うく声を上げそうになった。が、しかしわたくしが彼の名を叫ぶことはなかった。
かわりに感じたのは唇に触れる熱。それはすぐに離れていったが、わたくしは驚きを隠せなかった。
「どうして貴方がここに……」
「貴女に会いたくて仕事を昨日までに終わらせておいたのだ。会いたかった、イェニー」
そう。わたくしの目の前にはここにいるはずのない、フレデリク様がいるのだから。




