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52.アーシャ様のお願い

 それからも安息日を除いて、わたくしは毎日のようにフレデリク様と共に王宮に向かっていた。もちろん王太子妃教育を受けるためだ。

 しかし、これはわたくしがフレデリク様の隣に立った時に、わたくしやフレデリク様が恥をかかないための準備だと思えば辛くなかった。というか楽しい。


 そんなある日の午後、わたくしは王宮のある一室にアーシャ様から呼び出しを受けた。


 いつもなら王太子妃教育の授業が午前と午後、それぞれに二つずつある。

 しかしその日の午後はひとつ終わると、そこにヘレンが「王妃殿下がお待ちです」とわたくしを迎えにきたのだ。


 案内されるままについて行くと、そこには既に座ってお茶を嗜んでいるアーシャ様と、それから──


「フレデリク様!? どうしてこちらに……」

「イェニー。先ほどぶりだな」

「ひとまず座って頂戴な」


 失礼いたします。わたくしはそう淑女の礼を取り、フレデリク様の座っている二人掛けのソファに腰を下ろした。

 それと同時にヘレンがわたくしの分のお茶を注いでくれる。彼女にありがとうの気持ちを込めて軽く会釈をすると、彼女もまたお辞儀をして部屋の隅へと下がっていった。


 アーシャ様が軽くお茶に口をつけたのを見て、わたくしも同じようにお茶を口に含んだ。


 カップがソーサーに戻されたのを合図に、口を開いたアーシャ様。それを見たわたくしも咄嗟にお茶をソーサーに戻す。

 音を立てずに戻せたのは淑女教育の域を超えた王太子妃教育の賜物(たまもの)だろう。


「イェニー。貴女には孤児院へ慰問(いもん)に行ってもらおうと思ったのよ」

「孤児院、ですか?」


 わたくしの言葉に首を縦に振るアーシャ様。それにしても、どうして突然孤児院への慰問という言葉が飛び出て来るのだろうか。

 わたくしは孤児院育ちだけれども、おそらくそういう問題ではないのだろう。


「わたくしは公務の一環として孤児院への慰問に行っているのだけれど……そこに、わたくしの名代(みょうだい)として行ってほしいの」

「理由をお教えいただいても?」

「そうね。アストランティアからの使者、といえば分かるかしら。二年に一度の交流会にさきがけて外務大臣が来たのよ。王太子殿下その人はまだらしいけれど」

「つまり、アーシャ様はその方のお相手をしなければならないから、わたくしに代わりに慰問に行ってほしいということですね?」


 アーシャ様が深々と頷いた。彼女はそこで一度話を区切り、再び紅茶に手をつける。空になったカップにヘレンがお茶を注ぎに来ている間にも彼女は続きを話しはじめた。


「なぜ二人一緒に呼んだのか、気になっているでしょう? 孤児院に行ってほしいと伝えるだけならば、貴女ひとりでいいのにフレッドを呼んだ理由を」


 今度はわたくしが頷く番だ。フレデリク様も短く応答している。


 わたくしたちは心を読まれているのか、それとも誘導されているのか。考えても答えが出ないので、わたくしはヘレンが机の側を立ち去っていくのを横目に見ながら、話の続きに集中することにした。


 アーシャ様は孤児院の慰問についての歴史から話し始めた。


 昔は、孤児院の慰問は国王をはじめとした領主の仕事だったらしい。しかし、ある時期から領主の仕事が増えてしまったらしく、やがて妻をはじめとした貴族女性が担うようになったのだとか。


「本来、言い方は悪いけれども──領民の管理は領主の仕事だったの。それには勿論孤児も含まれるわ。それが現在は形を変え、慈善活動を兼ねた慰問になったの。ここまではいいかしら?」

「はい」

「それで孤児院の慰問は貴族女性の仕事になっていて……本来王都はエナトス家直轄領だから王家の女性が慰問に向かうべきなの。とは言うものの、今の女性王族といえばわたくしのみ。そしてそのわたくしには予定がある……だから、将来王太子妃となる予定の貴女に慰問に行ってもらうことにしたのよ」


 そこまで説明を受けて、わたくしにはふとある疑問が浮かぶ。

 というわけでアーシャ様に質問してもいいかの可否を尋ねた。彼女が首肯したので、わたくしはありがたく疑問に思ったことを口にした。


「今の話で、わたくしがアーシャ様の代役を果たす必要があるという点については理解できました。しかし、その……先ほどアーシャ様も少々おっしゃっていましたが、この場にフレデリク様がいらっしゃるのは何故なのでしょうか?」


 そう。今の話はわたくしを呼ぶ理由にはなっても、フレデリク様も話を一緒に聞く理由にはならないのだ。


 会話の流れから、彼が孤児院に行くという旨は感じ取れなかった。一緒にいられるのは嬉しいのだが、理由がわからない。

 すると、オホホと上品に扇で口元を隠しながらアーシャ様はおっしゃった。


「それはね……フレッドに釘を刺すためよ」

「フレデリク様に、ですか?」

「ええ。貴方には()()()()があるでしょう? 片付けるまではイェニー嬢の送り迎えと、公務や仕事の関係以外で王宮の外に出ては駄目よ?」


 その視線が射貫いているのは隣に座っているフレデリク様のはずなのに、わたくしまで身震いしてしまう。

 甘いラベンダー色の瞳から放たれるものとは思えないほどの迫力に末恐ろしさを感じた。


「あの、他の仕事って」

「イェニー? 自分以外の相手と話している、自分より身分の高い相手に尋ねたいことがある時は」

「話が終わるまで待つか、せめて質問をしてもいいか、という相手に負担をできるだけかけないことを心がけるのを忘れないこと!」


 その言葉にアーシャ様が笑顔を取り戻す。先ほどまで頭の中にあったことが飛んで行ってしまう緊急事態。


 最近これは軽い嫁いびりか何かなのでは、と思うようになったのだが。お母様いわくどこまで大丈夫なのかを見極めるのは上手な方とのことなので、それを信じることにしている。


「忘れていないのならいいわ……公的な場では()()()しては駄目よ」

「はい。それでアーシャ様。質問よろしいでしょうか?」

「……どうぞ。何かしら?」


 わたくしはそこで一度深呼吸して心を落ち着かせた。同性でも見惚(みと)れてしまう、彼女の(とろ)けるような瞳をしっかりと見据える。先ほどの迫力は見る目もない。


 こうでもしなければ、きっと答えてくれないだろうから。せめてわたくしが真剣に尋ねているのだということを知らせなければ。

 そのことを強く意識して、わたくしは慎重に口を開いた。


「フレデリク様のお仕事とは何の話でしょう。アーシャ様の話しぶりからは、日常業務とはとても思えないのですが」


 そのまま、わたくしは彼女の瞳を真っ直ぐと見つめ続ける。彼女が口を開くのをそのまま待った。しばし、重い沈黙が訪れる。


 永遠のように感じた──しかし実際は一分となかったのだろう──物音ひとつしない時間は、アーシャ様の溜め息であっけなく破られる。


「そうね……ヘレン、少し外の様子を見てきて頂戴」


 その言葉でヘレンが部屋を出ていったのを確認したアーシャ様は、囁くようにこう言った。


「バナーク家が、アストランティアの反現国王派と内通している可能性があるの。このことはララにも言っては駄目よ……危険な目に会いたくはないでしょう?」


 アーシャ様は人差し指を口元に立てる。本当に先ほどの覇気はどこへ行ったのだろう?


 しかし、その忠告には重さを感じる。バナーク家とは以前北の修道院で一生を過ごすように命じられ、貴族籍を剝奪されたあの変なおじさんの実家だ。家の爵位自体も降爵されたのだったか。


「えっと……」

「フレッドの仕事はそういうことだから、誰かに言えるものではないの。ごめんなさいね──ヘレン。戻ってきていいわよ」


 そう品を保った大きな声でアーシャ様が呼ぶと、彼女は再び扉を開けて部屋の中に戻ってきた。

 アーシャ様の散歩に行っていいという話はやはり建前だったのだろう。それはともかく、これ以上この話に関わるなということらしい。


「それで、孤児院の慰問、お願いね」

「はい。承りました」


 そうして話し合いが終わると、わたくしはいつものようにフレデリク様に伴ってもらい馬車で帰路についた。フレデリク様がぽつりとこぼす。


「イェニー、本当に私がいなくて大丈夫か?」

「たしかにフレデリク様がいてくれたら嬉しいですけれど……でもフレデリク様にもお仕事が」

「私のことを気遣ってくれているのか? イェニーは優しいな……だが、もっと我儘になってもよいのだぞ? イェニーは我慢のしすぎにも程がある」


 「いや、これは私の願望なのだろうな……」とひとりごちるフレデリク様。わたくしは彼の言葉に首を振った。


 きっとアーシャ様が言っていた仕事はフレデリク様にしかできないことなのだろう。

 だから本当は寂しいけれど。本当は一緒にもっといたいけれど。今だけはその気持ちに蓋をしよう。


「いいえ。フレデリク様にご迷惑をかけるわけにはまいりません。その……お仕事、頑張ってくださいね」

「そうか……当日は孤児院まで気を付けて()()のだぞ」


 そう言ってフレデリク様は、孤児院にいた頃と比べてすっかり長くなったわたくしの髪を一房手にとり、口づけした。その様子を目にしたわたくしの頬は上気する。


 この時、そのことばかりに意識を取られていたせいで、わたくしはフレデリク様の言葉に少しおかしな所があったことにちっとも気がつかなかったのである。


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