51.王宮の昼食会
かくして、わたくしが着るウェディングドレスには、小麦とイチゴの模様が刺繡されることになった。
部屋に沈黙が流れること数分。落ち着いてきたわたくしはふと思ったことを口にする。
「それにしてもフレデリク様はイチゴが好きだったのですか……また食べたいですね」
「そうだな。近いうちにもう一度行こう」
その言葉にわたくしは笑顔を返した。それから話題は再びドレスに戻ったのだが。
「以前、夜会用に流行に背くドレスを婚約者に贈ろうとした殿方がいたと思うのだけれど……どこの誰だったかしらね?」
舞踏会用のドレスに話題が移ると、これまではフレデリク様とアーシャ様がわたくしのいない所でしていたであろう肩出し論争が目の前で始まった……のだが。
「ウェディングドレスには貴方の案を採用したのだから、残りはわたくしたちに分けてくれてもいいでしょう? ねえ、ララ」
──このアーシャ様の一言を皮切りにパレード用、舞踏会用とドレスが決まっていく。
さすが幼少の頃から貴族だっただけはあるのだろう。お母様とアーシャ様が話し合うとあっという間だった。素人二人を混ぜたウェディングドレス選びとは決まるまでの速さが段違いだ。
わたくしたちは夜会用ドレスの肩周りについて軽く注文をつけるのが精一杯だった。
☆☆☆☆☆
大枠が決まりエイミーさんたちが帰って行った頃には、もうお昼時に差し掛かっていた。緊張の糸が切れたからだろうか。わたくしのお腹が大きな音を立てて鳴ってしまった。
「も、申し訳ございません」
「頭を使ったのだし、普通のことよ。ここは私的な場だから心配も不要よ……そうだわ! 貴女たちも今日はこちらで昼食を取って行ってはいかが?」
すっかり角が取れたアーシャ様。初対面の時から一貫してマナーには煩いけれど、根はいい人なのだろう。
そして、そんなお母様の親友はわたくしたちを昼食に誘ってくれているらしい。
「えっと、よろしいのですか?」
「ええ」
「それではアーシャのお言葉に甘えることにするわね」
「ヘレン、料理長に二人の分も……いえ、フレッドとフランツの分も合わせて五人分用意するように伝えて頂戴。料理はすべてあの東屋に運ばせて」
「かしこまりました」
そうして案内されたのは、以前わたくしがデビューした夜会でフレデリク様と二人きりで話し込んだ東屋だった。
昼間は夜と違い、周囲の景色がはっきりと見える。
正面から見ると見晴らしのいい丘の上に立っている王宮。
しかし、ここは生垣や木々に囲まれているからだろうか。ちょっとした秘密の空間といった様相を呈していた。
少し離れたところにそびえたつ生垣の迷路。周囲に咲き誇る色とりどりの花々。青空を映す、鏡のように透き通った池。
ここだけ時間がゆっくりと流れているかのようだ。そんなふうに景色を楽しんでいると料理が到着したらしい。中央のテーブルに次々と置かれていく。
「さあ、どうぞ」
アーシャ様の一声でわたくしたちはカトラリーを手に取った。
本日のメインはベーコンと葉物野菜入りのスパゲティだ。チーズを主役にしたソース。そこに浸された麺の上には粉チーズがのっている。一緒にのっている黒くて細いものはノリという異国の食べ物らしい。
スープはじゃがいもや人参といった根菜をふんだんに使ったポタージュだ。
しかし、中にはわたくしがわからないものもあるわけで。その筆頭がグラスに入った少し赤みがかった黄色の液体だ。
これは何なのだろうか。昼間からお酒が用意されることはないと思うけれど、気になって仕方がない。
「あの、アーシャ様。この飲み物は」
「異国の柑橘類を絞ったジュースよ。見るのははじめてかしら?」
「はい。お酒ではないのですね」
「休日とはいえ、昼間から酔い潰れてしまっては勿体無いでしょう? それともお酒がよかったかしら?」
その言葉にわたくしは首を横に振る。やはり貴族でもよほど酒豪な方でもない限りはそのようなことはしないらしい。
というわけで、わたくしは恐る恐るそのジュースに口をつけた。
「少し酸っぱいですが、美味しいですね」
「……そう。それはよかったわ」
アーシャ様はちょっと渋い顔をしたけれど特に何か言われることはなく、次に見た時には元通りの甘い顔に戻っていた。
後でお母様に聞いてみると「言葉遣いが正しくないと指摘しようとした」らしい。何が間違いなのかわたくしには全くわからなかったけれど、それはさておき。
「……ニー。イェニー?」
「! フレデリク、様?」
わたくしはアーシャ様の様子に気を取られていたせいで、フレデリク様に声をかけられていたことに気がつかなかった。
何たる失態だろう。彼の方を向くと、今度は彼の手がこちらに近づいてきた。指が頬に触れたかと思うと、再び何事もなかったかのように離れていく。
「ノリがついていた」
「ありがとう、ございま、す……」
この時のわたくしの気持ちがわかるだろうか。恥ずかしい。とても恥ずかしいったらなかった。
以前王都のカフェにお忍びで行った時には、周囲の人は誰もわたくしたちを気にしていなかった。
しかし、ここにはお母様にアーシャ様、フランツさんにヘレンと、わたくしたちの方を見ている人が何人もいるのだ。ものすごくいたたまれない。
「母上、リチェット侯爵夫人。お二人のせいでイェニーが俯いてしまいました。彼女の顔を見ることができないのですが、どう責任を取ってくださるのですか?」
「フレッド、それは惚気?」
「……ゲホッゲホッ」
アーシャ様の言葉で突然むせてしまったらしいフレデリク様の方をこっそりと見てみると、彼もまた下を向いていた。
聞こえてくるのはお母様とアーシャ様の楽しそうな声だ。これは当分の間話の種にされることを覚悟しておかなければならないかもしれない。
二人はエナトスの社交界の華といっても過言ではない。というわけでこの話が広まるのも時間の問題なのだ。少なくとも二人がこの状況を楽しんでいることは間違いない。
やがて、昼食を食べ終えるとデザートにチーズが運ばれてくる。
ちなみに、フランツさんはいらないと断っていた。そういえば先ほどのスパゲティもチーズがかかっていなかったし、単なるオリーブオイルか何かがかかっていた気がする。
「あの、フランツさんはチーズが」
「嫌いだが何か? イェニー嬢」
「そうでしたか……」
チーズを食べ終えると、この日はこれでお開きだ。帰りも行きと同じように、わたくしはお母様と別でフレデリク様の馬車に同乗することになった。
大変ではないかとも思ったけれど、今日は安息日で仕事もないはずだ。というわけで、フレデリク様と少しでも一緒にいたいわたくしは甘えさせていただくことにした。
「大変などとは思っていない。私はイェニーと少しでも一緒にいたいのだ……その、フレッドと呼んでくれる日を待っている」
そう笑顔で告げるフレデリク様。彼がわたくしと同じ思いを抱いているのだと思うと、心がポカポカした……のだが直後の発言で心の中は羞恥一色に塗り替えられてしまう。
しかし、家に到着し、フレデリク様に別れを告げたわたくしは──途端に心の中にぽっかりと穴があいたような気分になってしまった。




