49.アーシャ様とドレスの注文(1)
今日は安息日。というわけで王太子妃教育はない……のだけれど。わたくしは今日も王宮に向かうことになっている。結婚式で着るドレスをフレデリク様と共に決めるのだ。
そして、予定があるのはわたくしだけではないらしく。朝食を終えるとすぐにお母様が「友達に会いに行く」と言って出ていった。珍しい。
他にもお姉様はヴィクトー様の元へ向かうらしく、お兄様も婚約者の方に会いに行くのだとか。というわけで、今日家に残るのは次々と届く釣り書きに辟易としているシェリーとお父様だけだ。
わたくしは朝食を終えて一度部屋にロマンス小説を読みに戻ってきていたわけだけれど。
アニーがフレデリク様の到着を告げるや否や、準備万端なわたくしは本に栞を挟んで玄関ホールへと向かった。
笑顔のお父様に見送られ、いつも通りフレデリク様のエスコートで馬車に乗り込む。扉が閉まり出発すると、すぐに今日の予定について説明された。
「事前に伝えていた通り、今日は結婚式に向けてドレスを用意する手筈になっている」
「ウェディングドレスの準備はそれほど大変なのですか?」
「そうだな。正確には結婚の式典で使うドレス一式を用意することになっている。ウェディングドレスはもちろん、民へのお披露目用、舞踏会用……伝統的に三着は必要だ」
「さ、三着ですか?」
フレデリク様が頷く。それは大変だ。一着でも高いドレスを三つも用意するなど、わたくしの感覚からは考えられない。
以前フレデリク様からはドレスを三着いただいたが、一着いただくのすら恐れ多いのだ。そう考えていると、フレデリク様は「それに」と続ける。
「今年はアストランティアの使節団がこちらにやって来る。そうなっては時間も思うようには取れないし、何よりドレス自体一朝一夕にできるものではない。彼らの滞在より先に済ませておいた方がいいだろう」
「そう、ですね。失念しておりました」
アストランティア王国はこの国の南に位置する大国だ。わたくしは行ったことはないけれど、以前の話を聞く限りはどうやら王都よりもリチェット侯爵領の方が近いらしい。
また王妃様、つまりフレデリク様のお母君はアストランティアのもと王女様だと聞いている。
その後はたわいもない会話が繰り広げられる。またチョコレートが食べたいだとか、色々だ。そうして会話に興じている間に王宮に到着したらしく、馬車が止まった。
いつも通り馬車の乗り降りを手伝ってくれたフレデリク様に感謝の言葉を告げる。もちろん、御者の方にも軽く会釈した。
フレデリク様に先導されるまま王宮の一室へと案内されていく。扉を開けてもらい中に入ると、そこにいたのは意外な人物たちだった。
「母上が来るとは聞いていましたが……リチェット侯爵夫人もお呼びなさったのですか?」
「ヘレンに聞いておいてよかったわ……こんな楽しそうなことをリチェット家のご令嬢と二人きりでしようだなんて。ねぇララ?」
「その通りよアーシャ」
お互いを愛称で呼び合っているお母様と王妃様。お母様が咎められる様子もないので、二人は本当に親しい間柄のようだ。
友人というのは王妃様のことだったのだろう。心なしか「楽しそうな」という所が強調されていた気がする。
結婚式用のドレスを準備するという国家の一大事であるはずのこの場に流れていた空気は、しかし、非常に軽いものだった。
ツーと言えばカーといった表現がピッタリな二人の会話に切り込んでいったのはフレデリク様だ。
「お二人とも。この場はあくまでもイェニーのドレスを決める場です。そのようなよそ事を放すようであればハッキリ言って邪魔でしかありません。東屋でもどこでも、お茶を楽しんできてはいかがでしょう?」
「あらフレッド。言うようになったわね……反抗期かしら? でも、これだけは言わせてもらうわ。……夜会用のドレスを袖つきでオーダーしようとしていた貴方は、一歩間違えばリチェット侯爵令嬢に恥をかかせてしまいます。ですから、わたくしたちが選ぶことにしたのです。貴方は服飾のマナーについて隅から隅まで学んでから戻っていらっしゃい?」
王妃様の目が怖い。パニエで広げたスカートのおかげで気づかれていないと思うが、半歩後ずさってしまった。
甘い顔だというのに、そこはかとなく悪役感が漂っている。
同じように目の端が垂れ気味のお母様やわたくしだが、とてもこのような凄みをきかせることはできないだろう。お母様から有無を言わせぬ勢いを感じたことはあったけれど、あれとは別種のものだ。
だが共に過ごしてきたからなのか、フレデリク様は少しも動じていない。
「母上、イェニーが怯えています。私に効かないとわかっているでしょうし、お止めいただきたい」
「ハァ……とにかく、リチェット侯爵令嬢が恥をかくようなドレスはララとわたくしが認めません。いいですね?」
「は、はい……」
「貴女が謝る必要はなくてよ」
王妃様の言葉にわたくしは我に返った。今の言葉はフレデリク様に宛てたもので、わたくしに対するものではない。
うっかり返事をしてしまったわたくしに、王妃様はその優しげな顔つきに似合わない厳しい視線を向ける。先ほどの比ではない。
他の人を見つめているのを見ているのと、自分に直接向けられるのとではわけが違うのだ。
「母上」
「あらやだ。先ほどリチェット侯爵令嬢が手で口を隠していたものだからつい……貴婦人は扇で隠すものよ」
そう言って見本を見せるように広げた扇で口元を隠す王妃様。どうやらわたくしは返事以外にも無意識の内に王妃様の逆鱗に触れる行いをしてしまっていたらしい。
何が間違いで、何が正しいかを教えてくれるあたり優しい方なのだろうけれど。
「イェニーちゃん。アーシャは貴女のためを思って言っているだけだから嫌いにならないであげて頂戴ね? 娘がいなかったから、将来の義娘とドレスとかお洒落の話ができるのが嬉しいのよ」
「ララ!?」
「でも本当のことでしょう? アーシャだけ抜ける?」
そうお母様が提案すると、王妃様は何事かを短く呟いた。結局、この部屋にはわたくし、フレデリク様、お母様、王妃様、そしてはじめから部屋の端にいたらしいヘレンの五人全員が残ることになった。
王妃様が立っていたわたくしたち二人に席に座るようにとおっしゃったので、ありがたく座らせてもらった。一応、ヘレンは部屋の隅に控えているのが仕事なので立ったままだ。やがて、廊下からドレス職人の到着が告げられる。
王妃様が入室を促すと、入ってきたのはふくよかな初老の婦人だ。後ろには色々な小道具を持っている少女もいる。二人とも着ているもの自体にそこまでの豪華さはないものの、上品さが漂い、平民としてはかなり洗練された服装をしていた。
婦人は平民が貴族に対して行う最敬礼──だと最近習った──をとった。
わたくしは平民式の最敬礼をしたことはないが、六年前に院長先生がフレデリク様たちにしていたのをちらりと見た覚えがある。このあたりは全国共通なのだろう。
「王妃殿下のお招きに与り参りました。エイミーでございます。将来の王妃殿下のお召し物をしつらえる機会をいただき、誠に光栄にございます」
「面を上げて頂戴」
「はい」
そう言って顔を上げるエイミーさん。髪は平民に多い茶色なのに対して、瞳は少々珍しい蜂蜜色だ。
とても難しい言い回しを使っている気がするが、それが正しいのかわたくしには判断する術がない。王妃様が再び口を開いた。
「彼女はわたくしが輿入れした時のドレスを用意してくれたの。以前リチェット侯爵令嬢にフレデリクが送ったものも彼女の仕事よ。だから心配は不要。……それからフレデリク。座ってもらって早速で悪いのだけれど」
「わかりました。一旦この部屋から出て行くようにということでしょう?」
「話が早くて助かるわ。さすが将来を嘱望された王太子殿下との噂は伊達ではないわね。隣の部屋かどこかで待っていて頂戴な」
フレデリク様は王妃様が話し終わるが早いか否か、腰を上げて部屋を出ていった。




