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48.フレデリク様とダンスのレッスン(2)

 王太子妃教育の一環として行われたダンスのレッスン。今日はダンスの先生、つまり壮年の男性の方とペアで踊る際の練習をするはずだった。

 しかし、フレデリク様がやって来てその予定が変わったのだ。


 フレデリク様はさながら物語の騎士様のように片膝をつきながら、わたくしをダンスに誘う。

 これは「わたくしと先生が一緒に踊ってほしくない」という思いからきたものらしいのだが、わたくしにとってはこれ以上にない幸せだ。


「はい、フレデリク様」


 わたくしも淑女の礼を返す。とはいえ、舞踏会気分はここまで。今日は練習なので、課題曲がある。フレデリク様は先生に今日の課題曲について尋ねた。


「今日の課題曲は『月夜の炎のワルツ』ですね。基礎の足さばきは今まで何度か練習していただいたので、本日はそれを速いテンポでも正確にこなせるように練習していただく予定でした」

「ああ……あのテンポがかなり速い曲か」

「えっと、すみません。どのような曲ですか……?」

「そうか。イェニーはまだ音楽については学んでいなかったのだったな。演奏を頼めるか?」


 フレデリク様の言葉に、先生はピアノの前に座っていた演奏家の方の方を向く。

 彼は演奏を承諾してくれた……というかさせられたのだろう。ちょっと申し訳ない。


 演奏を聴いている間、わたくしたちは部屋の奥に置かれた椅子に座ることになった。


 部屋の端に控えていた演奏家がピアノの前に座り、鍵盤に指を置く。最初はそこそこ速くて踊るのはちょっと大変な曲かな、という程度の印象だった。

 しかし、やがてクライマックスに向けて加速していくと、いよいよ足がついていける気がしない。演奏が終わるとわたくしたちは拍手を送った。


「一般的なワルツは先日踊っていらっしゃったということで、この曲を課題とさせていただきました。もちろん、今日だけで完璧にとは考えておりませんので、まずはゆったりとした速さから始めていくことにしましょう」


 先生がそう言い終わると、フレデリク様は立ち上がってこちらに手を差し出した。ほんの少しの距離なのに、エスコートしてくれるらしい。

 わたくしはその手をとり、二人で大部屋の真ん中あたりまで歩いていく。


 わたくしたちが向かい合ったのを確認した演奏家の方は、曲を弾き始めた。


 フレデリク様の手がわたくしの腰にあてられ、わたくしたちはそのままダンスの基本姿勢をとった。最初の特徴的なメロディが始まると、わたくしたちはステップを踏んでいく。

 ワルツという形式の曲自体は基本的に三拍子なのだが、この国で主流のステップは六拍。二小節を一まとまりと見なすのが一般的だ……と先日習った。


 それはともかく。わたくしは基本のステップならそれはもう、セルマ夫人に嫌というほど叩き込まれている。

 しかし、曲が加速していくにつれ足もだんだんと(もつ)れていく。基本のステップすら滅茶苦茶だ。


 それでも何とか踊れているのは、フレデリク様のリードがとても洗練されているからだろう。しかし、問題がないわけではなく。


「イェニーは可愛いな」

「は、はい?」


 このようにフレデリク様の言葉でわたくしの思考がたびたびショートするのだ。たしかにそう言ってもらえるのは嬉しいのだが、今はやめてほしい。

 せっかく足に集中していたのに、その一言でそこまで気が回らなくなってしまう。そういうのは時間と場所をわきまえてほしいな、と思う。


 少なくとも今は練習中なのだ。常識的に考えて、そういったことを口にするものではない。

 ……と、頭の中で必死に考えていないと羞恥で悶え死んでしまう気がするのだ。


 フレデリク様に心を乱された上についにはよそ事を考えてしまった、ど素人のわたくしがこのような状況で上手にターンできるわけがなく。


「!」

「イェニー!」


 世界が傾いていく。いや、わたくしの方が傾いているのだ。そう気づいた時にはもはやなすすべなどなかった。

 王宮の絨毯はフカフカだし、頭を打っても大丈夫だといいな。そんなことを考えていたのだが、予想していた衝撃が来ることはなかった。かわりに感じたのは背中を包み込む温かさだ。


「大丈夫か?」

「大丈夫、みたいで……って、えええ!?」


 わたくしはすっかりフレデリク様にもたれかかってしまっていた。どうやら、フレデリク様は空中に仰向け方向で放り出されたわたくしの背中側に回り込んで助けてくれたらしい。


「ご、ごめんなさい」

「イェニーが謝る必要はない」

「あの、わたくし、フレデリク様にご迷惑を」

「かけられていないから大丈夫だ。少し休もう。……迷惑をかけたのは私の方だというのに」

「はぃ……」


 最後の方はうまく聞き取れなかったけれど、今のわたくしには彼が何と言ったのかを尋ねる余裕はなかった。


 というわけで、わたくしはフレデリク様に支えられて先ほどの椅子まで向かった。座ると、侍女の方から冷水の入ったグラスを渡される。


 ふと彼女を見ればよくフレデリク様の側によくいる侍女の方だ。感謝の言葉を伝えたのだが、ここでもお礼は不要だと言われてしまった。


 水を飲みながら、わたくしは以前から気になっていたことをフレデリク様に尋ねる。


「ところでフレデリク様、この方の名前は?」

「そういえば紹介していなかったな……彼女はヘレン。アリヤード子爵の娘だ。普段は母上つきの侍女をしている」

「ご紹介にあずかりました。ヘレン・アリヤードと申します。どうぞヘレンとお呼びください」


 そう言って彼女は深々と頭を下げる。ブルネットの髪は後頭部でひとくくりにされており、王宮の侍女の制服をかっちりと着こなしている。

 灰色の瞳ははっきりとした感情をのせておらず、しっかり者の印象を受けた。現に、わたくしがやってしまいそうな「さん付け」を先回りして忠告するぐらいには優秀だ。


 しばらく休んだ後、わたくしたちはもう一度ダンスの練習に戻った。先ほどわたくしが痴態をさらしたためか、今度はかなりゆっくり始めてくれた。


 当然、本来の夜会では一度目のようにアップテンポで演奏されるので、慣れなくてはならない。わたくしは王太子殿下の婚約者なのだから、なおさらだ。


 しかしそのおかげで、回数を重ねるうちに徐々にコツがつかめてきた。

 そして、今わたくしたちは何度目かの休憩の最中だ。とはいえ、もう今日はこれで終わりなので休憩という言葉はふさわしくないのかもしれないけれど。


 先生からもここまでくれば次回はもう少し何とかなりそうだというお墨付きももらった、のだが。


「フレデリク、様……」

「どうした?」

「その、練習中に愛の言葉を(ささや)くのはどうかと思うのですが」


 練習中、フレデリク様は息をするように甘い言葉を次々と口にしてきた。

 そうした言葉の雨あられに耐えながら、どんどん速くなっていく曲について行けているようになったわたくしはもっと褒められていいと思う。


「そうは言ってもな……これが本当の舞踏会だったら、貴女はもっと甘い言葉をかけられていたはずだ。婚約者の私の言葉で耳を染めていては先が思いやられるぞ」

「フレデリク様はそう仰いますが、わたくしはその……フレデリク様の言葉だから赤くなってしまうのです。他の殿方から投げかけられていたら、きっとあのようなことには」


 そう言い終わるが早いか、彼は盛大に溜め息をつき、そのまま俯いてしまった。

 わたくしをこかせてしまったのを申し訳なく思っているのだろうか。フレデリク様? そう尋ねるが返事はない。


 どうしたものかと周囲を見渡すが、目線があったヘレンには首を振られてしまった。


「ずるい……」

「はい?」


 フレデリク様がボソッと何か呟いた気がするが「何でもない」と返ってきたのでわたくしが気にすることではないのだろう。


 わたくしたちの間に流れていた空気もだんだんといつも通りのものに戻っていく。空が茜色に輝き始めた頃、わたくしたちは馬車に向かうために部屋を後にした。


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