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47.フレデリク様とダンスのレッスン(1)

 翌日もフレデリク様は馬車に乗ってわたくしを迎えにきた。

 ちなみに、わたくしが着ているドレスは昨日のものとは別のもので、フレデリク様からいただいたドレスではない。


 夜会用が一着と昼間に着られるものが二着とはいえ、残りは別の機会にとっておきたかったからだ。


 というわけで、今日も今日とて馬車に揺られるわたくしたちは並んで座っていた。


「それでイェニー、昨日の今日ですまない。このような時だけで構わないからフレッド、と呼んではもらえないだろうか」

「む、無理です……」


 そう告げると「そうか」と隣からは溜め息混じりの答えが返ってきた。


 繰り返すようだが、いつもお世話になっているフレデリク様のわがままの一つや二つ、きいてあげたい。


 しかし、初対面が六年前とはいえ、わたくしたちが親密な関係を築きはじめたのは、ここ数ヶ月のことだ。それに、昨日の今日で何かが変わるほど、わたくしの中に何らかの変化があったわけではない。


 たとえ、フレデリク様がわたくしをどう思っていたとしても、である。これはわたくしの心の問題だ。


 しかし、それはわたくしのわがままを押しつけていることに変わりないわけで。そう思うと、歯がゆい。


「……ている」

「ふぇ?」


 突然のことだったからだろうか。わたくしはフレデリク様が言ったことをはっきりと聞き取れなかった。顔を見上げると、彼は再び口を開く。今度は耳の奥まではっきりと届いた。


「いつまでも待っている」

「は、はい」


 今のわたくしには、心の中で「フレッド」と呼ぶことすら道が長そうだ。




☆☆☆☆☆




 このように、わたくしはフレデリク様に行き帰りを伴われながら、毎日のように王太子妃教育を受けて過ごしていた。


 内容は言葉遣いに限らず、いずれも高度なものばかりだ。厳しいなと感じていたセルマ夫人のレッスンがかわいく思えてくるほどだ。


 そんなわたくしは今、ダンスのレッスンを受けている。王宮で王太子妃教育の一環としてペアの練習するのは、今日がはじめてだ。


 これまでは先生の動きを手本に、見よう見まねで練習していた。

 端的に言えば女性の先生に女性パートの踊り方を教えてもらっていてばかりだった。というわけで、相手を伴って踊るのはデビュタント以来だ。


 あの時にフレデリク様と踊ったダンスはそれほど難しいものではなかった。


 しかし王太子妃たるもの、貴族たちの手本とならなければいけないのだという。というわけで今日は難しい曲を練習することになっている。そんなわたくしは現在、先生と向かい合わせで立っていた。


 そこに響き渡ったのは扉が開かれる音だ。突然扉が開けば、誰もが何事かと思ってそちらを見てしまうのは仕方のないことだと思う。


 実際わたくしもそうだ。そちらを見て現れた人物に驚いて声も出ないわたくしの心の声を、先生が代弁してくれた。


「フレデリク殿下? いかがなさいました?」

「イェニーがダンスの練習をしていると聞いてな……やはり其方が選ばれていたのか」


 今日のダンスの先生は壮年の男性だった。名前を聞いてお父様に教えてもらったのだが、彼は既婚者で、愛妻家で、女遊びの噂ひとつ立たないという方だ。若い頃はモテたらしく、その雰囲気はこの歳になっても現役だ。


 それはともかく。人選を知っているなら、フレデリク様はどのような用事でやって来たのだろうか。彼に問題があったなら、彼が担当すると知った時に対処するはずだ。


 何と言ってもフレデリク様は対応が早い。だから彼がここに来た理由がちょっと気になった。


 しかし、先生は自身に何か問題があったのだと考えたらしい。どこか震えているように思われた。王太子殿下がやって来たのだから、仕方がない。


 わたくしだって王妃殿下に急に呼び出されたら何事かと緊張するし、今のように見に来られた時はなおさらだ。

 もっとも、フレデリク様がやって来ただけならわたくしは驚きこそすれ、そこまで緊張しない。近くまで来られたら別だけれど。


「いや、其方を責めているわけではないのだ。だが……」

「?」

「だが……イェニーが他の男と踊っていると思うと、気が気ではなくてな」


 それを聞いてわたくしはさっと血の気が引いた。結局、わたくしはフレデリク様の執務を邪魔していたのだ。

 わたくしがいなければ彼は自分のなすべきことを都度中断せずに集中できたはずだ。


 わたくしの顔が青白くなってしまっていただろうか。こちらを見たフレデリク様は顔色を変えてすぐさま駆け寄ってきた。そうして、わたくしは後ろに立ったフレデリク様の腕に軽く支えられる格好になった。


「イェニー? イェニー!」

「フレデリク……様」

「どうした? 大丈夫か?」


 大丈夫、です。そう告げたところで、彼の顔色は変わらなかった。というか、先生に向かって険しい視線を投げかけているように見える。


 先生は先ほどとは比べものにならないほどガタガタと震えていた。このままでは何の罪もない先生が咎められてしまうかもしれない。わたくしは必死で声を振り絞った。


「あの……っ! フレデリク、様」


 わたくしがそう呼びかけると、フレデリク様はこちらを向いてくれた。

 その顔に浮かんでいる表情からは、紛れもなくわたくしのことを心配してくれていることが読み取れる。だから、正直な思いを告げた。


「その、わたくしのせいで……ごめんなさい!」

「イェニー、何があったか説明してはもらえないか? あいつに何かやられたのか?」


 先生を「あいつ」呼ばわりするなんて。フレデリク様にしては珍しい。

 もちろん、先生に問題があるわけではないので、わたくしは首を横に振った。ちょっとずつ落ち着いてきているのが自分でもわかる。


「いいえ。先生のせいではありません。その、わたくしがフレデリク様の足を引っ張っているのではないかと……」

「! そのようなことは決してない。むしろ足を引っ張っているとしたら私の方だ……教師に教えてもらった方が早く上達できるというのにな。私はイェニーが他の男と踊ることを許せない狭量(きょうりょう)な男だっただけだ……貴女が心配する必要はない」

「そんなこと! それなら、フレデリク様に他の女性と踊ってほしくないと思ってしまうわたくしだって同じです……っ」


 最後は若干涙声になってしまった気がするが、彼にはそれで伝わったようだ。

 いつの間にか方向転換していたわたくしは、「イェニー……!」と慈しむように呟くフレデリク様の腕の中に優しく抱擁されていた。


 しかし、人目があるからだろうか。わたくしが事態を認識した時には、すでに彼はわたくしから離れつつあった。それに気づくと同時に、わたくしの身体はわずかに熱を帯びる。


「殿下……」

「くれぐれもこのことは内密に」

「もちろんでございます!」


 先生に軽く釘をさしたフレデリク様は、わたくしの方を向いてこう言った。


「私と踊っていただけますか、お嬢様?」


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