42.フレデリク様の来訪(1)
大変長らくお待たせいたしました。
第二章更新開始します。
今日のわたくしはいつもより早く起きてしまった。
理由は自分でもわかっている。今日は我が家にフレデリク様を招いて二人でお茶会をするのだ。正式に婚約したわたくしたちは、大々的にお互いに行き来しても問題ない関係になった。
というわけで今日わたくしは一日中自宅にいる予定ではあるものの、フレデリク様に会っても恥ずかしくないようなドレスを着ていた。
以前フレデリク様にいただいた昼間用のドレスだ。彼の瞳よりちょっと明るい空のような青のドレスは、スカートや袖にあしらわれた多段フリルが愛らしい。
ここに来たばかりだった頃のわたくしなら、着るのも躊躇いそうなドレスだ。
しかし、フレデリク様からの贈り物というだけでそんなことは気にならなくなるらしい。
支度を終えたわたくしは、ベスの助けを借りて食堂に向かった。いつものように一家全員が一堂に会する朝食。
そこにはもちろん、フレデリク様やあのおじさんに色目を使ったフアナお姉様もいる……のだが。わたくしたちの間には以前ほどの険悪なムードは流れていない。
こうなったきっかけは、夜会であのおじさんが起こした事件の結果だろう。あの後、お姉様は王城で聞き取り調査を受けたらしい。
フレデリク様に聞いた限りでは、お姉様はシェリー──当時わたくしと告げられていた──を人質に脅されたからあのおじさんに付き従っていたのだとか。
そんなお姉様が今話題にしているのは、わたくしのドレスだ。
「あんた、それはもしかして殿下から?」
「はい。フレデリク様にいただきましたが……どうかしましたか?」
「……よかったわね、それなら王宮に行っても全く恥ずかしくない装いよ」
「ありがとうございます」
周りを見渡せば、みんながわたくしたちの様子を生暖かい目で見守っていた。
以前のような空気が流れていないせいもあるだろう。そんな目で見られていることに気づいたお姉様は照れ隠しなのか、お兄様に向かってジト目を向け始めた。
「な、何よお兄様……あたしが婚約者とうまくいっていないことをからかっているの?」
「どうだろうな? 俺も殿下と同じで婚約者のところに遊びに行く予定だ。フアナもヴィクトー殿の元に行ってみてはどうだ?」
「ふ、ふん……!」
このように、お姉様と婚約者との関係といった火種はあるものの、家庭内の会話はおおむね平和そのものだ。
そこで「そういえば……」と口にするお父様。皆は視線を一点に集中させ、その続きを待った。
「べ、別に静かにしなくても大丈夫だよ」
「それであなた、どうかして?」
「その、だ。シェリーに縁談がたくさん舞い込んで来るようになったんだ。ここ数日で十件ほど、かな……」
そう。これまで婚約者のいなかったシェリーに婚約の申し込みがたくさん届くようになったのだ。以前から多少はあったものの、今ほど多くはなかったという。
とはいえシェリーは数日前のことがまだ癒えないらしく、最近は以前にも増してロマンス小説にはまり込んでいる。現実逃避ともいう。
婚約の申し込みが増えた理由は単純なもので、王太子妃となることが実質確定したわたくし、ひいてはリチェット侯爵家との関係を強くしたいというものだそうだ。
お貴族様って面倒くさいなと思うが、権力者に縋るのは人間の性とはお兄様の言葉だ。
朝食を終えたわたくしは自室に戻りロマンス小説を手に取った。
その後昼食をとり、と怠惰に過ごすこと半日。ふと目を向けた庭に王家の紋章のついた馬車が見えると、一分と待たずにベスがわたくしを呼びに来た。
「お嬢様、殿下がおいでです。お迎えに上がりましょう」
「ええ、わかったわ」
そう言葉を交わし、わたくしたちは玄関ホールに向かう。そこには、すでにお父様がこの邸の筆頭使用人と共に殿下の到着を待っていた。もう六十歳になるというにもかかわらず、背筋がピンとしている使用人の鑑だ。
お父様がここにいるのには理由がある。つい忘れがちだが、わたくしの婚約者は王太子殿下──つまり侯爵家より身分が上の方なのだ。
このような場合、当主が歓待するのが正しいマナーなのだという。
しばらく待っていると、外から馬車が止まる音が聞こえてきた。やがて扉が開かれると、そこにいたのはわたくしの大好きな人だ。
「イェニー、会いたかった」
「ようこそフレデリク様。わたくしもです」
ここにはお父様やみんながいるので、寂しいけれどハグをしたりはしない。かわりに、わたくしは彼を淑女の礼で迎えた。
隣にいたお父様が前に進み出る。
「王太子殿下、本日はご足労いただきましてありがとうございます。リチェット家が当主、イェニーの父ヨゼフ・リチェットです」
「ああ、知っている。イェニーとの婚約を了承してくれたこと、感謝する」
「それはこちらの台詞です。その、娘は」
「皆まで言わずともわかっている。問題ない」
フレデリク様が手で制止する。お父様は以前言っていた、孤児院から貴族社会に入ったばかりの者を婚約者とするのは稀という点を気にしているのだろう。
血統は問題ないとはいえわたくしはこの国で縁起が悪いとされる双子。
そんなわたくしが王族、しかも次期国王たる王太子殿下のフレデリク様の婚約者など、普通ではない。
だから手紙が届いたとはいえ、お父様がこの婚約が事実だと信じられないと思ってしまうのは当然だ。
わたくしですら、今でも都合のよい夢なのではないかと思ってしまうのだから。
「歓迎いたします、殿下。立ち話をするわけにもいきませんから、こちらへどうぞ」
「すまない」
わたくしたちは応接室に移動した。
淡いワインレッドの絨毯に白い壁、上からはシャンデリアがぶら下げられたりと重厚な雰囲気を醸し出している室内。
三人で中央のローテーブルを囲んで座ると、タイミングを見計らっていたのだろうか。お父様つきの使用人がお茶を運んでくる。
それが終わると、使用人たちはいそいそと退出していった。この部屋に残されたのはわたくしたち三人だけだ。
「さて、いくつか話があって人払いをしてもらったが……イェニーはオックス・バナークのことを覚えているか?」
「えっと……はい」
オックス・バナーク。わたくしが彼とはじめて会ったのは王都でフレデリク様から逃げた時だ。
そして、数日前のデビュタントの夜会でフアナお姉様と一緒にいる所を見たのが二回目。お姉様も嫌がっていたらしいけれど、彼がどうかしたのだろうか?
「あの男だが……貴族籍剥奪の上、北方のティーガの修道院に送られることになった」
ティーガ。お父様が説明してくれた。いわく、この国の北の果ての山中にある修道院なのだとか。
標高のせいもあって寒く、山頂に至っては年中雪に閉ざされる世界なのだそうだ。そういった過酷な環境で生活することで神の意思に近づくのだという。
神々の世界は実り多き世界と院長先生に聞いてきたわたくしには、雪山で神の意思がどうとかいう話はちょっと理解できなかった。
「彼はあちこちの夜会で年頃の娘を手玉に取り、場合によってはお手つきにも至っていたとの話だ。中には貴族令嬢もいたらしい。今後彼の子のことを考えると、貴族社会の秩序を乱しかねないという点から、身分を剥奪して社交界への影響力をあらかじめ摘んでおいた。それ以外の処分は近日中にも決まる予定だが……バナーク家は多大な犠牲を払うことになるだろうな」
結婚を通じた家同士のつながりを重視する貴族社会では、婚外子は何かと問題になりやすいという。子供たちに罪はないが、扱いに困るというのが正直なところらしい。
わたくしにできることは実質何もない。そこまで話して一息ついたのか、彼はお茶を口にしていた。
「あの、毒見は」
「必要ない。イェニーやリチェット侯爵に限ってそのようなことはないと信頼している」
この茶葉はリチェット侯爵領の山奥で採れたもので、わたくしの故郷の隣村でも栽培されているものらしい。
ちなみに、わたくしが侯爵邸に迎え入れられてはじめて飲んだお茶もこれだ。
「うむ、美味いな」
「お褒めに預り光栄です。ところで殿下。他にも話があるようで」
「其方はなかなかに勘がいいらしい。その通りだ」
そうして、フレデリク様は再び、あの夜の話を再開した。
「エリーゼのあれがアストランティアに間違った伝わり方をしてしまったらしい」




