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おまけ: 贈り物には真心をこめて

当初は本編に入れる予定だったエピソードですが、話の腰を折りそうだったのでおまけに回しました。

時系列としては「33.デビュタントの打ち合わせ(2)」と「34.はじめての夜会当日(1)」の間のお話です。

 シーズンはじめの夜会、つまりわたくしのデビュタント兼婚約発表会──婚約者がわたくしだと知っている人はほとんどいないという──まであと数日に迫ったところで、わたくしはある問題に突き当たっていた。


 彼に自分で刺繡したハンカチを贈ろうと決め、彼に王都の下町で材料を買ってもらった。

 裁縫道具も邸の中にある。必要なものは揃っているのだ。


 しかし、わたくしはどのような刺繡をするか、という悩みに悩んでいた。彼がどういったものを好きなのかがわからないのだ。


 では、こういう時はどうするべきか。そう考えてみると、ロマンス小説を指針とする以外の選択肢がないのではないか、という結論にいたった。




☆☆☆☆☆




 というわけで、気がついたら今日のわたくしは朝から今まで、昼食の時を除いてほとんどずっとソファでロマンス小説を読んでいた。日も傾き始めた頃、扉を叩く音がした。


「イェニー、入るわよ? ……って、イェニー?」

「あ。シェリー」

「その山積みになってる本……ロマンス小説? こんなにもどうしたの?」

「実は……」


 シェリーがこちらに歩み寄ってくる。わたくしはシェリーに、婚約者への贈り物のハンカチにどのような刺繡をすべきかわからなくてロマンス小説を読みふけっているということを説明した。返ってきたのは苦笑だ。


「そういうこと……それなら、お相手の方のイニシャルや家紋をモチーフにしてみてはどうかしら?」

「! どうしてわたくしはそれを思いつかなかったの……? ありがとうシェリー」

「このくらい何てことないわ」


 わたくしはフレデリク様のイニシャルを刺繡することに決めた。それを聞いたシェリーはうんうんと笑顔で頷いている。

 彼女がわたくしの隣に座ると、部屋の隅にいたアニーが二人分のお茶の準備をしてくれた。とても気がきく。


「でも、イニシャルだけじゃちょっと味気ないんだけど……どうしよう」

「婚約者様の好きなものを入れるとか?」

「えっと……わかんないよ」

「それじゃあ、貴女の好きなものを入れればいいのではないかしら」

「わたくしの好きなものを……無理無理! そんなの恥ずかしいって」


 そう言っても、シェリーは諦めてくれない。「恥ずかしいって口にできているうちは大丈夫よ」とか「今目の前でロマンスが始まろうとしているのね……もう始まっているのかしら?」とか。


 とにかく、既に「嫌だ」と言えるような状況ではなくなっている。ロマンス小説の主人公が、自分の心の中が他の人に覗かれていると知ってしまったとしたら、こんなふうにいたたまれない気持ちになるのかもしれない。


「でも、考えてもみなさい? 自分のモチーフと一緒に、自分の好きな人のモチーフが入っていたら? とても嬉しいことだと思わない?」

「それは……」


 当然だ。フレデリク様を感じられるものがご本人から贈られて来たら、わたくしも舞い上がってしまうだろう。彼が側にいない時でも、彼のことを身近に感じられるのだ。欲しくないはずがない。

 そのぐらい、わたくしはフレデリク様のことが好きだ。


 でも、いざ自分からプレゼントするとなると、わたくしも尻込みしてしまう。理由はわかりきっている。そんなものを贈り物にして、フレデリク様に嫌われないかというのが心配なのだ。

 「ずっとあなたと一緒です」というのはさすがに重荷になってしまうのではないか。ご迷惑ではないかと考えてしまうのだ。その場で消える「好き」という言葉とはわけが違う。


 そんなわたくしの思いを知ってか知らずか、シェリーはこんなことを口にした。


「それで嫌われたとしたら、相手はそこまでの男だったというだけではないかしら?」

「えっ、そこまでの男?」

「そう。イェニーはその人とずっと一緒にいたいのに、お相手の方はずっとは嫌だというのなら、価値観の違いからケンカしてしまうかもしれないわ? それに……」

「それに?」

「それに……の前に質問して悪いのだけれど、その方はどのくらいイェニーのことを大切に思っているとおっしゃったのかしら?」

「それは……」


 思い出すだけで顔が熱くなってしまう。とても言葉にできないぐらいには、恥ずかしい。先ほどシェリーが言った「恥ずかしいと言える間は大丈夫」とはこういう意味だったのか、とひとり納得してしまった。たしかにこれは大丈夫ではない。


 わたくしの様子を至近距離で観察しているのであろうシェリーの声は、心なしか少し興奮していた。


「そうなのね……! そうなのね!」


 キャ──! そう叫んだかと思えば、彼女はカップの紅茶を一気に(あお)った。それでもソーサーにカップを置く音が静かなのはさすがというか。彼女が受けた長年の淑女教育の賜物だろう。


 シェリーの奇行を目の前で見てしまったためか、わたくしの先ほどまでの感情の高ぶりはどこかへ行ってしまった。自分より感情的になっている人を見ると落ち着くというのは、どうやら本当らしい。




☆☆☆☆☆




 というわけで、一連の会話で感情が大きく揺れたわたくしたち双子だったけれど。しばらくすると、二人ともいつも通りの会話ができるようくらいには落ち着いた。


「それで、婚約者様はイェニーのことを何とおっしゃったの?」

「……わたくしだけを愛しているって。他の誰も、今まで愛したことはないし、これからも愛することはないって」

「え!? それは本当なの!? まるでロマンス小説みたいじゃない! 女嫌いの王た……げふんげふん。婚約者様がイェニーのことだけを好きになるなんて……さすがわたくしの妹ね」


 わたくしは同意した。シェリーがわたくしの婚約者──になる予定──の方からの手紙を盗み──いや、堂々と──見ているので、うっかり口にしそうになっていたけれど。


 それはともかく。この状況は、わたくしにとって都合がよすぎるのではないかとさえ思ってしまう。実際そうだ。求婚してきた方が初恋の相手でしたなんて、そうそうあることではない。


「というわけでイェニー。その方はきっとイェニーのことを大好きなはずだから……安心してイェニーの好きなものを刺繡しちゃえばいいのよ」

「んん……」


 話がふりだしに戻った。でも、彼女の言う通りだ。フレデリク様はわたくしの願いをできるだけ叶えようとしてくれた。それに、わたくしのことだけが好きだと言ってくれた。これからのことはわからないけれど、それは他の殿方と婚約したって同じだ。だから。


「ありがとうシェリー。わたくし、頑張ってみるね」

「ええ! その意気よ。でも、まずはそろそろ夕食の時間なのではないかしら?」

「そうだった! 今日から夜なべして完成させないと」

「婚約者様に寝不足の顔を見せることになってもいいの? 夜ふかしはお肌の健康にも悪いわよ」

「わかってる。あの方にそんな顔を見せないために、夜会の前日にはゆっくり休めるようにするから」


 そう言うと、シェリーからは笑顔と共に「はいはい」と呆れたような返事が返ってきた。

 この晩から、夜会前日にハンカチの刺繡が完成するまで、わたくしは就寝前の自由時間のほとんどすべてを彼への贈り物のためにつぎ込んだ。


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