40.婚約者の資格
わたくしたちが会場に戻ると、たちまち騒めきに囲まれた。理由はわかりきっている。わたくしがフレデリク様と一緒に戻ってきたからだ。
「殿下、その方は」
「婚約を発表するのですよね?」
「もしやその方と」
「彼女は双子ではありませんでしたかな?」
こうして見ると、女性たちはみんなまるで王太子殿下に魅了されているようだ。男性たちもこちらに注目している。
フレデリク様はチョコレートは媚薬ではないと言ったけれど……フレデリク様の存在自体が惚れさせ薬だと思う。
「皆、今日は私の婚約者を発表すると言ったが……当然本人にはあらかじめ伝えてある。そしてその本人というのは皆気づいているだろうが……私が婚約者に選んだのは」
「フレデリク殿下」
フレデリク様が婚約者を発表しようとしたちょうどその時。一人の少女の声が割って入った。そちらを向くと、そこにいたのは青いドレスに身を包んだ令嬢だった。
おおくの令嬢が青いドレスを着ている今の状態は、すごくつらかった。理由を聞いてしまったから。そして、彼女のことも嫌だなとわたくしも思っていたのだ。彼女は先ほど、わたくしよりも前に国王陛下に挨拶していた方で、名前は
「フレデリク殿下、お戻りをお待ちしておりました」
「エリーゼか」
フレデリク様のその呼び方にちょっとモヤモヤするのはわたくしの心が狭いからだろうか。
エリーゼ様、彼女はスメイム公爵の娘で、十三歳だという。先ほど国王陛下に挨拶しに行った時にわたくしの前にいた方だ。
複雑に編み込まれた薄いブロンドの髪は、腰の辺りで青を銀で縁取ったリボンで結ばれている。青と白の花で彩られた花冠をつけ、青いベルラインのドレスを纏っている姿は年齢も相まってか、花の妖精のようだ。
彼女は、そのエメラルドグリーンの瞳を細めながらわたくしたちの前にやって来た。
「はじめまして、イェニーさん」
「はじめまして、エリーゼ様」
貴族の世界に年齢は関係ない。いや、完全に無関係ではないが、家の爵位の方が重視されるのだ。
スメイム公爵家とは、この国の筆頭公爵家にして、建国当初に王家の分家として生まれた家系だと聞いた。つまり、王家に次いで高貴なる家系だ。
「イェニーさんがフレデリク殿下のご婚約者になるとお聞きしたのだけれど……貴女は『双子』なのですよね?」
「はい。姉のシェリーがおります」
「そして、つい最近まで両親から見放されていたと。まず、孤児として育てられたという時点で埒外なのですが……貴女はフレデリク殿下のことをお守りできるのかしら?」
「守る、ですか?」
その通りです。そうエリーゼ様は言った。
「そう、例えばフレデリク殿下の悪評が立てられるのは心苦しいとは思いませんこと?」
「それは……エリーゼ様のおっしゃる通りです」
「では、婚約者の座をわたくしに譲ってくださる? 双子の貴女が婚約者ではフレデリク殿下が悪く言われてしまいますわ」
「え?」
言われてみればそうだ。わたくしはシェリーと「双子」で。「双子」はあの昔話のせいで縁起の悪い存在だと思われているのだ。
家族や使用人たちはそのようなことは言っていなかったし、フレデリク様に村のみんな、わたくしの周囲にいた人たちは皆双子であることを気にしていなかった。でも、気にする人の方が多いのだ。
フレデリク様と結婚したい。でも、わたくしが婚約者では、フレデリク様にご迷惑がかかってしまう。どうすればいいのだ。わたくしがひとり絶望する中、隣にいたフレデリク様の口から紡がれた言葉は「希望」だった。
「エリーゼ、其方は彼女が双子であることを理由に私に相応しくないと言うのだな?」
「その通りでございます、殿下」
「どうやら私と其方では考えが違うらしい……彼女が双子か否かは関係がない。そもそも、なぜ双子ではいけないというのだ」
「それは……先人を範とすれば、疑うべくもございません。殿下はこの国の伝統を無視するとおっしゃるのですか?」
「私が無視する、だと? そうだな……自身の身分に胡坐をかいて民のため国のためにならぬ者は、たとえ伝統の中にあろうとも必要ない」
周囲からどよめきが起こる。当然かもしれない。わたくしはつい先日、セルマ夫人から貴族の何たるかを教えてもらったばかりだ。
貴族はこの国の建国当初から代々王家に仕え、この国を発展させてきた者たちの総称だ。そのため、その大小で自分たちの格付けを行っており……結果、たとえば王宮で働く平民階級出身の者に対する風当たりも強いという。
その王家に仕えてきた伝統が否定されるのだから、彼らの動揺はもっともだと思う。フレデリク様は続ける。
「皆の者、よく聞け! だから彼女なのだ。其方ら王家に仕える貴族が納得できる家柄の者であり、なおかつ民のことを思って行動できる彼女こそ、私の婚約者に相応しいと考えたのだ。みずからの保身のため、私に取り入ろうとした者は後を絶たない。だが、彼女は一度たりともそのような素振りを見せたことはないのだ」
一度媚びるような視線を向けてしまいました! なんて言える雰囲気ではなかった。そこにエリーゼ様がツッコミを入れる。
「本当ですの? それ……」
「ああ。取り入ろうという気をまったく感じたことがない。彼女の父母についてもそうだ」
「でも、これから先のことはわかりませんわよ?」
「万が一の時のことは考えてある。例えイェニーの家族であろうと容赦はしないし、イェニーが悪いことをした時は……それはここで言うのはやめておこう」
こちらを向いてそう言うフレデリク様はなぜか笑顔で。「やってもいいぞ」とは言うものの、何をされるかわからないのに、やるはずもない。
それに、わかっていても悪事に手を染めようとは思わない。わたくしは首を軽く振る。
「いいえ。いたしません。わたくしはつい最近まで、平民と共に育ちました。大切な人たちもいます。ですから、決して彼らの不利益になるようなことはいたしません」
「そう……期待しているわ。でもね、貴女は双子よね」
「それなら問題はない」
「殿下には聞いておりませんわ。わたくしはイェニーさんに聞いているのです。……貴女は双子なのに、どうして殿下の婚約者に?」
「双子では、駄目なのですか……?」
「その通りよ。昔話にあるとおり、縁起が悪いのよ……だから、譲ってくださる?」
────嫌。わたくしはエリーゼ様との身分差も忘れて、そんなことを口走っていた。ああ、これでは駄目だ。
きっとわたくしはフレデリク様に、身分をわきまえない、自身の婚約者に相応しくない女だと思われてしまうのだろう。
エリーゼ様にそう思われるのは現在進行形だし、一向に構わない。しかし、フレデリク様には嫌われたくないのだ。しかし。
気づいた時にはわたくしはフレデリク様の腕の中にいた。当然衆目を集めてしまっていて、いたたまれない気分だ。
「本当はそんな高尚な理由ではない。たしかに、それらの条件をイェニーは満たしている。他にもそういったご令嬢はいるだろう。だが、イェニーでないと嫌なのは私の我儘だ。私がイェニーがいいと言ったのだ。双子であろうがなかろうが、私の結婚相手はイェニーだけだ」
「それでは、イェニーさんはきっと傾国の美女となってしまうのでしょうね……先ほど口にできなかったのは、彼女の実家が裏切った時でも彼女だけは内通の可能性があっても咎なしとするという意味でよろしいでしょうか?」
「そうはさせない。彼女が本当に悪いことをしたら、王宮の奥の一室に閉じ込めて、そこで一度外部との繋がりを遮断させる。そうすれば以降、彼女の潔白が保証されるだろう」
「……! まあ!」
フレデリク様はついうっかりという顔をしていた。目の前のエリーゼ様も驚きが声に出ている。わたくしも閉じ込められては麦畑も見られないし、それは嫌だ。絶対に何があろうと、逆らわないということを伝えなくては! そう意気込んでいたのだが。
「とはいえ、彼女の場合は自分の故郷の麦畑が好きなようだから、そのようなことはしないと思うが」
言わなくてもすっかり彼には筒抜けだったようだ。彼にわかってもらえていたことは嬉しいけれど、みんなに知られてしまったことはちょっと恥ずかしい。そんな風に騒がしくしていたからだろうか。突如、ホールの奥の方から人波が割れたのだ。




