38.忘れられない出会い(フレデリクside)
フレデリクがイェニーと出会ったのは、今となってはもう六年も前の話だ。その舞台となったのは、イェニーの生活していた孤児院だ。
王族のフレデリクと、本来は侯爵令嬢でありながら、当時孤児として暮らしていたイェニー。普通、そんな二人が辺鄙な村の孤児院で出会うというのは、あり得ないことだ。
彼女が実家の侯爵家に引き取られてからであればいざ知らず、王族が田舎のいち孤児院を視察のために訪れるなど、まずない。
百歩譲って視察したとしても、そこにいた少女が実は高位貴族の娘で、社交界に迎え入れられるなど、ありえない。まさに奇跡といえよう。
とはいえ、それはよいことばかりに支えられてなされた奇跡ではない。フレデリクにとって、災い転じて福となるという言葉はまさにこの事態を表すのにふさわしい言い回しであった。
フレデリクの母、アレクシアは、彼を伴ってエナトス王国の南に接する母国アストランティアに帰っていた。
理由は、アストランティアの前国王、つまりフレデリクにとっての母方の祖父が天に召されたからだ。
本来は父王エリックも行くことができればよかったのだが、政務に支障が出るという理由で王家からは二人が向かうことになったのだ。
しかし、その帰り道、アストランティア側の国境付近で事件は起こった。エナトス王国の王族二人を抱えた馬車の列に、賊が襲い掛かってきたのだ。
二十ほどの馬車があったが、その中でも特に大きかった後方の一台とその付近の馬車が襲われた。
彼らは中に王族が乗っていると思ったのだろう。しかし、それは見せかけであり、フレデリクとアレクシアはそれぞれ、別の馬車に乗っていた。
中に王族がいないことが相手に知られるのは時間の問題だった。ゆえに、一部の馬車と兵を残し、残りの馬車は別々の道に分かれ進んだ。
通常であれば前方を足止めするのが普通だ。しかし、相手は人数が少なかったこともあってか、王族がいる可能性の高いとみられる馬車付近のみを狙ったようだ。それは幸運だった。
のちに新に即位したアストランティア王からは謝罪を受けたが、馬車が壊れた以外の被害は特になかった。そのためもあってか、王妃アレクシアが両国の架け橋となることで、国際問題に発展することもなく事件は収束していった。
それはさておき。この襲撃をきっかけに、残りの馬車は皆それぞれ別のルートを進むことになったのだ。
そのうち、フレデリクとフランツが乗っていた馬車は帰国後、リチェット侯爵領を進んでいった。その中で、イェニーが住んでいた村に入る少し前ぐらいに嵐がひどくなり、結果的に村のはずれにあった礼拝堂、もとい孤児院で一晩の泊まることになったのだ。
「殿下。このような場所で一夜を過ごすというのがどういうことだかご理解していらっしゃるのですか?」
「いや。だが、他に方法もないだろう。礼拝堂があるのだ。泊めてはくれるはずだ」
「しかし、殿下」
「くどい。このままでは御者も風邪をひいてしまうではないか。そうなれば余計に問題だ」
「……そこまでおっしゃるなら。かしこまりました。交渉してきましょう。ですが、付近に安全な宿があればそちらに向かいます」
「ああ。それでいい」
嵐の中、フランツが孤児院と思わしき建物に入っていく。
しばらくして戻ってきた彼からは付近に宿がないことが知らされた。中には教育のなっていない田舎娘がいると聞いたが、フレデリクにとっては問題ではない。今はただひたすら、早く王宮に帰りたかった。
そのためであれば、馬車が壊れないように、御者が風邪をひかないようにする。劣情を向けられるのには慣れていた。だから、今度の少女もそうなのだろうと高を括っていた。いたのだが。
「なあ、何してるんだ?」
「パンを焼いているの」
「へえ、すごいな。私にはできないことだ」
「ありがとう」
彼女はちっとも、その片鱗すら見せなかった。金色の髪に桃色の瞳という、平民では珍しい色をもった少女。そして垂れ下がり気味の瞳。この容姿をもってすれば、社交界の大物すら篭絡する様子も想像に難くない。
しかし、彼女は色気を含んだ視線すら見せなかった。そして、貴族慣れしていないのか、対等な目線で話してくれる。
このような相手は、この国で最も貴い身分に属するフレデリクにとっては新鮮だった。フランツはそのことを問題だと言ったし、実際貴族たちに知られれば、弱みとなるだろう。しかし、フレデリクはこの幸せな時間が少しでも長く続いてほしかった。
「小娘も、このお方にそのような口のききかたをするのは慎め」
「私が許した。フランツ」
だから許した。そして、こうも思っていたのだ。こうすれば、この村には場違いな少女のことについて、より深く探れると。そして──彼女の本性を暴くことができるとも。
しかし、結局予想していたことは何も起こらなかった。いや、彼女について知ることはできたのだが、彼女について知れば知るほど、彼女は本当に心の底からフレデリクに色目を使うことなど考えていないのだということがわかった。
夕食の際、彼女よりも年下の、本当に幼い少女の方がフレデリクを熱心に見ていたぐらいだ。
夜にあれば何かあるかもしれないと思ったが、何も起こらなかった。翌朝も、結局馬車で出立するまで何も彼女との間には起こらなかったのである。
運命の神は残酷だ。好きでもない相手から好意の視線を向けられ、肝心の惚れた相手からは何のアプローチもない。
いや、そんな相手だからこそ、フレデリクはイェニーに惚れてしまったのかもしれない。
そして帰りの馬車の中。思い返すと、彼女はリチェット侯爵の娘なのではないかと思い当たった。容姿、これまでの道のりから考えられる孤児院の立地。そして高価なペンダント。どうして院にいる間に気付かなかったのか。
しかし、もう手遅れだ。彼女がリチェット侯爵の娘であると知らしめれば、他の女性ではなく彼女と婚約できるというのに。昨日までとは違い、今日は王宮に帰りたくなかった。
「フレデリク様。彼女は平民です。貴族の世界とは縁もなく、そのまま散りゆく存在です。どうか思い違いなどなさいませんように。彼女のような容姿の方がお好みでしたら、リチェット侯爵家のシェリー嬢に婚約を申し込んではいかがでしょう?」
「いや、いい。そういうことか……」
最後の独り言はとなりの彼には聞こえなかったらしい。どうしてもあの侯爵が彼女を孤児院に入れるということが考えられなかったのだが、フレデリクはフランツの一言ですべてを理解してしまった。
しかし、それは希望でもあった。齢七つの双子を失った王子妃の昔話。つまり、彼女が十四を過ぎれば、彼女は侯爵のところに迎え入れられるのではないか。そうすれば……はたして、彼の予想は当たったのである。




