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37.夜の庭でフレデリク様と

 どうしてフレデリク様がこの場所をわかったのかは、わからない。しかし、彼がわたくしを探してくれていたのは明らかだ。そうでないと、主催者側で忙しい彼がこんな所に来るはずがない。わたくしの胸は暖かくなる。


「シェリー・リチェットは、私の婚約者イェニー・リチェットの双子の姉だが? 知らなかったのか?」

「ふ、双子だと……? そういうことだったのか。それなら、彼女は……」

「シェリー嬢のことか? 彼女なら信頼のおける侍女に言づけて、一時的に侯爵夫妻共々、王宮内の安全な場所に移動してもらった。庭園の迷路にある人目のつかない場所で、昏睡状態で見つかったのだが……覚えがあるのだろう?」


 フレデリク様がそう言い終えた瞬間、おじさんは膝から崩れ落ちた。ひとまず、シェリーの安全が守られているということにわたくしは安堵した。


 その後フレデリク様は衛兵を呼び出して、おじさんから事情を聴取するようにと指示を出していた。おじさんが兵士の方に両側から支えられながら歩いていく。


 その場にはわたくしとフレデリク様とお姉様、そしてメイ様の四人が残された。


「二人は会場に戻ることだ。私はイェニーと話がある」

「お待ちになって、フレデリク殿下」

「フアナ嬢、其方にはヴィクトーがいるであろう。すぐにでも戻るべきだ」

「ですが殿下」

「私は其方のようなその媚びる目が嫌いなのだ」

「……そうですか。では御前を失礼します」

「それではわたくしも失礼いたします」


 そう言って二人は会場の方に戻っていった。二人の様子は対照的で、メイ様は面白がっていた気がする。一方、お姉様はどこか寂しそうにしていた。


 二人の姿が見えなくなると、わたくしたちは場所を近くの東屋に移した。

 周囲にはおおくの花が植えられており、大きな池もある。今でも十分素敵なのだが、遠くまで見える昼間に来たらもっと美しい場所なのだろう。


 二人で隅の腰かけ部分に座ると、フレデリク様が口を開いた。


「泣いているのか?」

「え?」


 忘れていたが、その通りだった。わたくしの涙は、フレデリク様がやって来たあの時からずっと止まっていなかったのだ。


 でも、そんなことを伝えたら、わたくしがフレデリク様のことを怖がっているように聞こえて、嫌われてしまうのではないか。そんな思いが頭をよぎり、返事は味気ないものになった。


「そう、ですね……」

「そのままでは化粧が落ちてしまうのではないか? 母上が言っていたぞ。今はこれしかないが……これを使え」

「これは」


 差し出されたのは、わたくしが今日彼に手渡したハンカチだった。彼の髪の色の布地に、彼の瞳の色の糸で紋章とイニシャルを縫いつけたものだ。


「本当は綺麗なままで額縁に入れて飾っておきたかったのだが……すまない」

「フレデリク様が謝ることなんてないのです。これはフレデリク様のものですから自由に使ってください。でも、ハンカチは飾るものじゃないですよ」

「そうか。ならこれで早く拭け」

「でも……」

「私の自由に使ってよいのだろう? ならイェニーの涙を拭くために使ってほしい」

「わたくしの涙なんかついたら、汚れてしまいます」

「ではどうすればいいというのだ、イェニー。貴女はこれは飾るものではないというが、使わないのであれば、どうすればいい? 他の誰かの涙ならいいのか?」

「それは」


 嫌だ。気がついたらそんな言葉が漏れていた。独占欲が強すぎて、嫌われてしまうのではないかと思ったが、彼は何も言わなかった。

 ふと彼の方を見ると、彼もまた涙を浮かべていた。月明かりがなければ、気がつかなかっただろう。


「フレデリク様……フレデリク様もお涙が」

「私は大丈夫だ。イェニーのことを嫌いになったわけではない。貴女が私のことを好いてくれているのが嬉しいのだ。ハンカチは貴女が使えばいい。ただ部屋に飾っておくのは駄目、なのだろう?」


 たしかにフレデリク様の言うとおりだ。わたくしはもったいないなと少しためらったが、ありがたく使わせてもらうことにした。

 汚れたなら後で洗えば問題ないとフレデリク様は言うし、事実その通りなので返す言葉もない。これはわたくしの心の問題だ。


 ひとしきり涙を拭き取ると、わたくしはフレデリク様にハンカチをお返しした。


「ありがとうございました」

「これぐらい、どうということはない。ところで今の涙はオックスが?」

「いいえ。フレデリク様のせいですね……でも、あの涙は安心したからこぼれたのです。助けていただき、ありがとうございました」

「感謝はいい。もうたくさん貰っている。私は貴女が無事でいてくれただけで嬉しかった」


 そう告げる彼が浮かべるのは綺麗な涙と心からの笑みで。わたくしもつられて笑顔になってしまう。


 たった二人だけの世界。王都に行った時も今の状況に近かったが、今は夜だ。

 隠れて見ている兵士たちも、細かいところまでは見えていないだろう。他に誰もいない、静かな夜。


 しかし、今わたくしは今夜婚約発表をするフレデリク様を独り占めしている状態だ。早く戻るべきではないのか。そう尋ねると、返ってきた答えは意外なものだった。


「もう少しでいい。イェニーと一緒にいたい」


 フレデリク様はわたくしを喜ばせる天才なのではないだろうか。今だってわたくしが欲しい言葉を言ってくれる。しかし、これは本心なのだろうか。無理をしていないか、といつも心配になるのだ。


「あの、本当のことをおっしゃってくださいね? わたくし、怒ったりしませんから」

「本当のことだ。私は社交界が嫌いだと言ったのを覚えていないのか……? あの帰り道、馬車の中でフランツに叱られて災難だったのだぞ。ほら、孤児院で」

「そういえば、そうでしたね。すっかり忘れていました」

「まったく、イェニーは……」


 そう口にする彼は呆れ顔で。わたくしは可笑しくなってクスッと笑ってしまった。その様子を見たせいか、彼は自身の頭を掻きむしりながら盛大に溜息をついた。


「孤児院ではじめて出会った時のことを忘れているわけではないよな?」

「それは覚えています。フレデリク様は名乗ってはくれませんでしたよね」

「この通り、私は王族だからな。あの状況で身分を明かせば、何が起こるかわかったものではなかった」

「そうですね。たしかに護衛が少なすぎたといいますか、いなかったですからね。ところで、あの日は何をしていたのですか?」

「そうだな……周囲に誰もいないようだし、貴重なイェニーの頼みごとだからな。少しぐらい昔話をすることにしよう」


 そう言って、彼はあの日何があったのか、その話を始めた。


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