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36.デビュタント

 わたくしはお父様と共に会場のホールの入口近くに移動した。ここで家族と合流する予定だったが、そこにいたのはお母様だけだった。


「お母様、みんなは?」

「ヴァンとフアナは婚約者のもとに行っているわ。婚約者のいないシェリーも仲のいい子と一緒に会場入りしたみたいよ」

「行こうか、二人とも」


 お母様が頷く。会場に入ると、中はすでにおおくの貴族でごった返している。


 一見、談笑しているように見えるが、彼らは皆一様に紳士淑女の仮面(ほほえみ)を浮かべている。裏ではどんなことを考えているかわからない。

 幼き日のフレデリク様が嫌だと言った理由がなんとなくわかる気がする。


 目についたのは、若い令嬢のほとんどが青や銀、あるいは非常に淡い、ほとんど白といってもいいような黄色といった、同じような色合いのドレスを着ていることだ。


 お父様に理由を尋ねると、フレデリク様がこの夜会で婚約者を発表するという話が流れているからなのだとか。お母様がわたくしのハンカチを例に上げて説明してくれる。


 納得した。しかし、ハンカチのことを家族にも知られていたのだと思うと、何だかむずがゆい。


 三人で話していたけれど、やがてファンファーレが吹き鳴らされる。音が止むのと、国王陛下が奥の部屋から入ってきたのはほとんど同時だった。

 そのまま、陛下は玉座に腰掛ける。陛下の顔を見るのはこれで二度目だが、やはり王者の風格を感じさせる風貌だ。


 彼は隣に立っている宰相から、巻物を受け取ると、長々とした挨拶を読み上げた。

 要約すると「集まってくれてありがとう。これからも国のため、民のために力をつくすように。今日はシーズンはじめの舞踏会だから今日社交界デビューする者はこちらに来るように」といったところだろうか。


 わたくしは両親に促されるまま、その列の中に入っていった。順番は、家の爵位が高いほど前に立つことになっている。

 リチェット家は侯爵家なので、わたくしは公爵家の方の次、伯爵家の皆様の前に並ぶ。ちなみに、シェリーは昨年済ませているので、今年デビューするのはリチェット侯爵家ではわたくしひとりだ。


 前の方が挨拶を終えたらしい。次はわたくしの番だ。

 わたくしはいつも通り微笑みを浮かべ、顎を引いて、真っ直ぐ国王陛下の方を見る。彼の前に進み出て、あの時のように挨拶をし、淑女の礼をとった。

 以前お会いした時よりもうまくできているのではないか、と内心自画自賛する。


「イェニー・リチェットか。其方のことは()()から聞いておる。これからも気を抜くことなく精進するように」

「はい。もちろんでございます」


 「あれ」とはフレデリク様のことだろうか。返事を終えるたわたくしは、もう一度淑女の礼をとる。


 そのままわたくしは前の方と同じように周囲の大人たちの方へと歩いていった。その後わたくしは、淡々と進んでいく挨拶の様子を横目に見ながら、みんなを探す。


 すると、後ろからふいに声をかけられた。


「シェリー様? 探しましたわよ」

「えっと、あなたは……」


 振り向くと、そこには亜麻色の髪に亜麻色の瞳という、女神様のような少女がいた。彼女はそのウェーブがかかった豊かな髪をそのまま下している。

 目鼻立ちも整っており、美の女神というのがピッタリな容姿をしている。同性でも見とれてしまう美貌だ。ちょっと羨ましい。


「いつの間に着替えたの?」

「あの、わたくしはシェリーではなく妹のイェニーです」

「またまたぁ。何のドッキリかしら?」

「いえ、本当にわたくしはシェリーではないのです」


 そう言うと、彼女は少し思案し始めた。もしかして、お母様が言っていたシェリーのお友達というのは、彼女のことだろうか。そう考えているうちに、彼女は結論を出したらしく。


「たしかに……話し方が少し違いますわね」

「はい……ところでシェリーはどこに」

「それがね、ちょっと目を離したすきにいなくなったのよ。方向音痴だからかしら……」


 初耳だ。シェリーが方向音痴だったとは。王都で迷ったわたくしが言えることではないかもしれないけれど。

 そして、彼女はまだ名乗っていないことにはたと気づいたようで。


「自己紹介がまだでしたわね。わたくしはリュージュ伯爵が長女、メイ・リュージュと申しますわ。よろしくお願いしますね?」

「わたくしはリチェット侯爵が三女、イェニー・リチェットと申します。シェリーはわたくしの双子の姉です。こちらこそよろしくお願いします」

「双子……そういうことでしたの」


 そう言うと、彼女は納得してくれたらしい。「双子忌み」のことを何とも思っていないのかと聞けば、以前シェリーに実は妹がいたとか何とか、色々聞かされたからなのだとか。その色々が少々気になるが、これは今度シェリーに聞いてみよう。


「どこにいるのかな……」

「あの子のことですから、わざわざ会場の外に一人で出ようとは思っていないでしょうけれど……」


 そう話していると、遠くに見覚えのある人物を見つけた。

 というか、その隣の人物にもどこか見覚えがあった。なぜあの二人が並んでいるのかはわたくしには理解できないが、ひとまず何か手がかりがあるかもしれない。

 彼らは並んで会場の外、庭園に向かった。


「イェニー様、どちらに?」

「あちらにフアナお姉様がいたので、何か知っているのではないかと思って」

「たしかにそうね……でも、お隣にいらっしゃった方はご婚約者様ではございませんわよね」

「はい。ヴィクトー様は黒髪ですから、違うと思います」


 そうしてわたくしたちは二人のもとに向かう。広間の隅の一角から外に出て、バルコニーから庭園へと続く階段を下りた。ところどころに逢瀬を楽しむ男女の姿が見える。


 声を頼りに庭師が整えたであろう迷路を進んでいくと、お姉様と、三十路(みそじ)ほどの男性がいた。わたくしたちは二人に近づいて声をかけた。


「お姉様……と、どちら様でしたっけ?」

「イェニー?」

「お嬢ちゃんは……あれ、お嬢ちゃん。このコのこと、イェニーって言った? そんなはずはないんだけどなぁ……」


 わたくしに何かを尋ねようとしていた男は、途中でお姉様に質問の矛先を変えたようだ。

 暗がりでよく見えないが、彼は不思議そうな顔をしているのだろう。なんとなく声のトーンからわたくしが()()()()()()()を疑問に思っているように感じられた。


「もう名前を忘れたのかい? 俺はオックス・バナークだよ……まあいいや。ドレスも着替えてきたの? 俺のために着替えて来るなら、俺と同じ茶色にしてほしかったよ……俺の眠り姫ちゃん」


 思い出した。フレデリク様と王都に行った帰り、わたくしがひとりになったところで話しかけてきた胡散臭いおじさんだ。

 茶色の髪に茶色の瞳。そこそこ容姿がいいというだけの、まあほとんど特徴がないおじさん。そして、彼はわたくしに話を続ける。


「そういえばお嬢ちゃんは王都で卑しい男に付き合わされていたんだっけ。あの時はお嬢ちゃんが貴族だなんて気づかなかったよ。でも、あんな平民と結婚しちゃダメだ……平民だったよね、彼? 身分差のある結婚なんてきっとご両親も認めてくれないって。ところでそのドレスが青の理由がわかったよ。お嬢ちゃんも殿下狙い、だよね? ダメダメ。そんなのよりも俺とお揃いの茶色の方がもっと似合うって。保障する。あんな女嫌いの王太子殿下と一緒にいたって何もイイコトないよ。俺にしない?」


 そう言って彼はウィンクした。よく息が切れないなぁ、と感心しながらおじさん、もといオックス様のお話を聞いていると、横からお姉様が彼の話に割って入った。


「はぁ? 今夜はアタシと一緒にいてくれるって言ったからアンタと一緒にいたのに……この浮気男!」

「ひどいなぁ。婚約者を無視して俺に喜んでついて来たのはお嬢ちゃんだよね。どうして俺の責任になるの? それに、お嬢ちゃんと二人きりだなんて言ってないよね俺。二人もおいでよ。楽しいよ? モテる男と一緒にいられる大チャンスなんだから。今日を逃したら二度と巡ってこないだろうねぇ……どうする?」

「はぁ? アタシだっていも」

「こんなにカッコイイ俺よりも、この場にいない女の方がいいんだ……妬けるなぁ。まあでも、お嬢ちゃんが一目置くぐらいのコだったら、そのコも俺の女に相応しいかも。ねぇ、みんなで幸せになろうよ」

「はぁ? さっきアンタが」

「それ以上言っちゃう? あ、でも彼女婚約者がいないんだっけ……俺がお嬢ちゃんたち全員分の責任を取るからさ。皆で仲良く一緒に暮らそう……結婚、しよう?」


 彼は微笑んでいるつもりなのかもしれないが、あいもかわらず、わたくしの目にはその笑みが下卑(げひ)たものに映った。

 お姉様やシェリー、そしてここにいるメイ様と一緒に彼を囲う生活など、想像しただけで吐き気がする。もちろん、仮面をかぶって顔には出さないよう努力しているけれど。


 好きですらない相手とのハーレム生活など、お断りだ。フレデリク様であってもハーレムは作ってほしくないぐらいなのだ。

 とにかく、このおじさんは頭の先から足の先まで胡散臭さが詰まっている。


「あの、フアナお姉様……シェリーはどこに」

「お嬢ちゃん、シェリーって誰だい? いや、そんなことは関係なかったね。いいよいいよ。そのコも俺たちと一緒に暮らそう」

「シェリーは、この男が」

「この男……へえ、俺を怒らせるんだ。そもそも俺、シェリーなんてコ知らないし、何か濡れ衣を着せようとしているのかな? お嬢ちゃんたちのことは俺が一生大切にしようと思ったけど……そんなに反抗的なら、地下に閉じ込めておいた方がいいかも? あ、時々は相手してあげるから何も心配はいらないよ。だから、俺と一緒に」

「話は聞かせてもらった」

「誰だ!?」


 後ろからゆっくりと足音が近づいてくる。振り返れば、そこにいたのはフレデリク様だった。どうして……口を動かしたが、わたくしは驚きのせいか声も出なかった。


「オックス・バナーク……先日私が注意したことを覚えていないのか? イェニーは私の婚約者だ」


 その優しい響きを聞いた途端、瞬く間にわたくしの涙腺は崩壊した。どうやらわたくしはフレデリク様が来てくれるだけで、簡単に涙を流してしまうらしい。


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