34.はじめての夜会当日(1)
「やっと完成した……」
わたくしがフレデリク様に贈る刺繡入りハンカチを完成させたのは、結局夜会前日の夜だった。
とはいえ、いつもなら寝る時間までまだ一時間ほどある。それくらい早く寝られる目途が立ったのだから、十分だろう。
今、わたくしは目の前にある完成した二枚の絹のハンカチを見てほくほくしている。
わたくしの髪の金色に似た色のハンカチに、わたくしの瞳の桃色で収穫前の麦畑を描いたものがひとつ。
もうひとつは彼の髪のプラチナブロンドに近い布地に、彼の瞳と同じ濃紺色の糸で刺繡してみた。こちらのモチーフは王家の家紋と彼のイニシャルだ。
わたくしたちそれぞれをイメージしたハンカチを並べるだけで幸せな気分になれるのだから、わたくしもなかなかチョロいのかもしれない。
わたくし自身、これらは売り物になってもおかしくはない出来栄えだと自負している。じっさい、孤児院にいた頃はわたくしも刺繡布を旅商人に売っていた。
とはいえ、これはフレデリク様への感謝の気持ちで、そしてドレスへのお返しだ。だからこれを誰かに売ろうとは考えていない。
とにかく、フレデリク様への贈り物が完成したわたくしは、いつも以上に幸せな心地でベッドに身を沈めた。
明日の社交シーズンはじまり兼デビュタント兼婚約発表会の夜会とそれに伴う諸々の準備というハードスケジュールも、今のわたくしならなんとかできる気がする。
羞恥心に耐えながら、フレデリク様のために二枚のハンカチを仕上げるのに比べたら造作もない。
連日の徹夜のせいだろうか。興奮冷めやらぬはずのわたくしに、強烈な睡魔が襲ってきた。この日のわたくしは久しぶりに、そのままあっという間に深い眠りについてしまった。
☆☆☆☆☆
翌朝。昨夜は久しぶりに早寝したからか、孤児院にいた頃と同じくらい早く目が覚めた。
いつ以来だろうか。わたくしはバルコニーへと繋がる扉を開けた。
早朝とはいえ、もうすぐ夏というだけあり、蒸し暑い。王都の夏は暑いことで有名なので、これからどこまで暑くなるのかと考えると、ちょっと心配だ。
「お嬢様、おはようございます! あ、今日は起きていたんですね。こんなに早く起きるの久しぶりじゃありませんか~?」
「ええ。おはようミア」
その後ソファに座り、ロマンス小説を読むことしばらく。ミアがわたくしを起こしに来た。わたくしはすでに起きていたため、そのまま持ってきた服に着替えさせてもらう。
ちなみに、彼女がわたくしのことを「お嬢様」と呼ぶようになったのはここ最近のことだ。
ベスいわく「自分の仕える相手は名前で呼ばないのが普通」らしい。
わたくしが孤児院で育ったため、お嬢様呼びに慣れていないだろうとの配慮だったのだと聞いた。
今日の朝食は軽めだったので、さっといただく。
食事を終えると、わたくしは王宮に行くために恥ずかしくないように、という理由で午前中ずっと身体中のありとあらゆる箇所を磨かれ続けることになった。
お風呂にはじまりマッサージに肌のケア──などなど、どれもこれも普段の数倍は念入りだ。わたくしはだんだんと竈に放り込まれたパン種のような気分になっていった。
☆☆☆☆☆
昼過ぎ。わたくしはベスと共に王宮へと向かった。今日も当然馬車だ。他のみんなは邸で支度してから、夜会の開始時刻の少し前ぐらいに来るという。
「いってらっしゃいませ」
使用人たちの見送りを受け、王都の中を走ることしばらく。わたくしたちはいつもと少し違うところで馬車を降りた。
そこで待っていたのは以前フレデリク様とお会いした時に部屋の隅に控えていた侍女の方だった。
「イェニー様ですね。ご案内いたします。どうぞこちらへ」
そのままわたくしたちは彼女について王宮の廊下を歩いていく。案内された先は、前回フレデリク様と共にドレスを見た部屋だ。
そこには、王妃殿下が選び、フレデリク様がちょっと注文をつけたというあのドレスが置かれていた。
その後のことは言うまでもなく。邸から着てきたドレスを一度脱がされ、わたくしは今朝のように、いや、今朝以上に余すことなく磨き上げられた。それこそ毛先、指先、つま先と寸分の隙もない。さすが王宮というべきだろうか。
でも、二回もやるのは資源の無駄遣いだと思う。
それはさておき。わたくしがフレデリク様から贈られたドレスに着替えた。
濃い青のドレスは光沢を放つ絹で織られているようで。小さなダイヤモンドが光を白く反射して、さながら星空を切り取って仕立てたかのようだ。
大きく膨らんだスカートは、幾重にも重ねられたフリルがついており、可愛らしい。色合いから大人らしさを感じるからだろうか。スカートが多少子供っぽさを強めに演出する形をしているものの、わたくしの年齢を考えるとそれがむしろ全体のバランスをとってくれている。
肩には、現在流行しているイブニングドレスとは異なり、大昔に流行したというスリーブがついている。
薄絹のロンググローブと合わせることで、可能な限り露出を減らしているが、これもフレデリク様が選んでくれたのだろうか。
着替えが終わり、メイクもばっちり決めた頃には、夜会の始まりまであと一時間をきっていた。やることもないので、わたくしは今日のパーティーですべきことを頭の中で復習する。そんな中、扉が叩かれた。
ここで家族が来るのを待つ手筈となっていたので、お父様か誰かが迎えにきたのかと思ったが、入ってきたのは思いもよらぬ人だった。
「フレデリク、様……?」




