33.デビュタントの打ち合わせ(2)
部屋に到着してフレデリク様にからかわれることしばらく。入室を求める誰かの声でわたくしは正気を取り戻した。といっても、身体は熱いままだ。
フレデリク様が入室を促すと、入ってきたのはフランツさんとベス、そして何人かの王宮の侍女だ。フランツさんはどこか呆れたような目でわたくしたちを見ていた。
彼はこちらに進み出て開口一番、フレデリク様にお小言を口にした。
「殿下。どうやらイェニー嬢をお一人で迎えに行ったと見受けられますが」
「その通りだが。悪いか?」
「はい。婚約もしていない男女が会うというのは醜聞もいいところです。それに、女嫌いと噂される殿下が好いておられるイェニー嬢、彼女に対する嫌がらせの可能性を考えられないほど殿下は落ちぶれてしまったのですね」
「そうだな。私は少しでもイェニーと一緒にいたいと思っている。それを其方が落ちぶれたと言うのならその通りだ」
そう言うと、彼はわたくしの腰に手を回して、わたくしを抱き寄せた。王都からの帰りでも同じようにエスコートをしてもらったというのに、これだけで心臓がバクバクするのは先ほどのフレデリク様のせいだろうか。
ベスは立場上言葉を発してはいないが、フランツさん同様、その平然とした表情の裏ではどこかわたくしたちのことを呆れて見ているような気がしてならない。
「ところでイェニー。当日はどれが着たい?」
「ドレス、ですか?」
「その通りだ。三着の中からにはなってしまうが、選んではくれないか?」
彼はそう言ってわたくしの背をポンと軽く押した。わたくしはドレスに近づいてどれがいいか検分する。どれも彼の瞳の色に近い青系で、光沢ある布が使われているところまでは一緒だ。
しかし、当日のことを考えると一択だった。もしかして貴族令嬢としての常識を試されているのかもしれない。わたくしはそのドレスの前に立ってみんなにこう告げる。
「当日は夜会ですよね? だったら、これがいいです」
くつくつとフランツさんが笑ったのは気のせいだろうか。もしかして、本当に試されていたのかもしれない。フレデリク様の方を見れば、彼はたいそう不機嫌な顔をしていた。
「そのドレスも綺麗だと思う。いや、イェニーならどんなドレスも似合うだろうな……だが、このドレスは少々露出が多すぎるのではないか……?」
「えっと、でも夜会ですよね? 他の二着は昼用だと思うのですが……フレデリク様?」
「あのな、イェ」
「殿下、やはり夜会に着るドレスは、ご自身の感情よりもその場に相応しいものを選択すべきでしたね。彼女の素肌を他の貴族に見られたくないという殿下のお気持ちは耳にタコができるほどお聞きしております。ですが、夜会のドレスコードに合わないドレスを着ていれば彼女の、ひいては殿下の評判が下がることは明らかでしょう」
彼女に感謝すべきです、とフランツさんは締めくくった。内容が内容だけにいたたまれない。後で聞いたところによると、三着のドレスのうち、二着はフレデリク様が選んだものだったそうだ。だが王妃殿下、フレデリク様のお母様が「夜会に相応しくない」として夜会用の肌の露出が多めのドレスを追加したのだという。
といっても、それでも夜会で貴族女性が着るものとしてはむしろ少ない方なのだそうだ。
この露出少なめのデザインはフレデリク様の最後の抵抗ゆえだったとのことで、それを聞いた時は気が気でなかった。さすがにお姉様みたいな肩出しドレスはちょっと着たくない。
「イェニー嬢も災難でしたね。この通り、殿下は独占欲の強いお方ですので。どうか殿下のことを頼みましたよ。駄目な時はきちんと駄目と叱ってください。私の言葉など殿下の心には響かないようですので」
「フランツ、イェニーを使って私を傀儡にできると思うな」
「というわけでイェニー嬢。殿下の評判のためにもよろしくお願いします」
「わかりました。フレデリク様のためですからね!」
「殿下のことをよろしくお願いいたします、イェニー嬢」
「イェニー!? イェニーは孤児院の時といい、どうしていつも私をフランツに売るのだ……」
彼は意気消沈していた。その後、わたくしたちは先ほどの応接室に戻り、フレデリク様に当日の打ち合わせを兼ねたお茶会を開いてもらった。
といっても、席についてお茶をしているのはわたくしとフレデリク様の二人だけだ。
残りのみんなは部屋の隅に控えていたり、ティーセットを持ってきてくれたりと、ちょっと悪い気分になる。
フレデリク様いわく、彼らは後ほど休憩を取ることになっているので、問題はないというが、それはそれだ。
そこにティーセットとお茶菓子が運ばれてくる。中にはチョコレートも入っていたのだが。
「この前のお店のじゃないんですね」
「ああ。それもあるが……この店の方がより質の高いチョコレートを出しているとヴィクトーに聞いてな。でも、イェニーがそう言うならあれも出そう」
「ありがとうございます。ところで、ヴィクトー様ってお姉様の婚約者の方ですよね?」
「ああ、その通りだ。店の情報源は知らないがな」
続けて「食べ比べるか?」などと彼は言い、わたくしは少々申し訳ないな、と思いながらも両方用意してもらった。皿に盛られたチョコレート。
目の前のフレデリク様は少し考え事をしたかと思えば、その中から一枚とり、「あーん」という言葉と共にこちらに差し出した。
これは、あれだろうか。ロマンス小説でよく見た気がするが、まさか現実にこのようなことをする人がいるとは思わなかった。
羞恥心は捨てた。むしろ、フレデリク様の方が恥ずかしいのではないか。わたくしは目を閉じて口唇に触れる感覚だけを頼りに、チョコレートを食んだ。とてもおいしい。
続いて、今日がはじめてのお店のものも同様に差し出されたので、こちらも同じように食べた。
「えっと……新しい方はちょっと辛いというか、でもそれ以上に甘いというか。味が濃いですね」
「そうか……なるほど。濃厚な味をしているな」
フレデリク様は自分でチョコレートを食べていた。うまいな、と言いながら口を動かす彼はちょっとかわいい。年頃の男性に対して出てくる感想が「かわいい」なのは彼に失礼な気もするが、それが正直な感想なのだからどうしようもない。口にはしないけれど。
「イェニー、どうかしたか?」
彼はわたくしに見つめられていることに気づいたらしく、その理由を尋ねてくる。さすがに、かわいいと思っていましたなんて言えるわけがない。
「また行きたいですね、王都」
「ああ。そうだな」
結局、話を逸らしてしまった。たしかに、彼と王都に繰り出したいと思っているのは紛れもない事実だ。しかし、今考えていたのはフレデリク様がかわいいということで。
つまり、わたくしは彼に対して不誠実な行いをしてしまったといっていいだろう。いつか正直に告白できる日が来るだろうか。
ちょうど王都に行った時に大聖堂についたぐらいの昼下がり。わたくしたちの間にはそろそろお開きにしようという空気が流れ始めた。
「今日はありがとうございました。フレデリク様」
「ああ」
「ところで、今日はヴィクトー様はいませんでしたね……どうかしたんですか?」
「ヴィクトーか。今日は休みだ……私よりヴィクトーの方が好き、なのか?」
「え? どうしてそんな話になるんですか? わたくしが好きなのはフレデリク様だけですよ?」
「ならいいのだが……」
突然話を逸らされてしまったが、あまり彼のことは詮索するなということだろうか。返された質問には正直に答えた。
フレデリク様のことが好きなのは事実だし、そのことを彼に伝えるだけでは嫌われないと確信しているので、隠す必要もない。
「それではイェニー、私が馬車まで送ろう……と言いたいところだが、私たちはまだ正式に婚約を結んだ仲ではない。本当にすまないが、今日のところは侍女に送らせてもかまわないだろうか」
非常に残念だが、彼の言うことももっともだ。従うしかない。むしろ、これまでが例外的だったのだ。
そんな中、彼がお開きを寂しそうに思っている様子なのが嬉しい、と思ってしまうのだから、つくづくわたくしも趣味が悪い。
「あ、はい……わかりました」
「彼女たちを案内してくれ」
「かしこまりました」
こうして、わたくしたちは王宮を後にした。今度来る時はデビュタントとわたくしたちの婚約発表を兼ねた夜会の当日だ。
あんなにも素敵なドレスをいただけるというのだ。わたくしは、それまでに何としても彼に贈るハンカチを完成させなければと、もう一度改めて心に決めた。




