27.わたくしとフレデリク様と王都(1)
やがて、目的地のチョコレートのお店に到着したことが告げられた。
気づけば、フレデリク様は先に馬車から降りており、わたくしに手を差し述べた。それも、何事もなかったかのように、である。
ということは、さっきのは夢だったのだろうか。女性が苦手だという彼があそこまでするとは考えにくいから、そうなのかもしれない。
でも、馬車の中の出来事が夢だったのだと思うとちょっと悲しい。
「ありがとうございます」
「こ、婚約者なのだから当然だ。でも、ひとつだけ約束してくれないか? 今日はフレデリク様呼びは禁止だ。フレッドと呼んでくれ」
「フレッド……様?」
「様も禁止だ。その、今日は平民のフリをしているのだ。呼び捨てにしてくれ……」
尻すぼみにそう告げるフレデリク様は目を逸らして困ったような顔をしている。わたくしは彼の願いを聞き入れることにした。彼の役に立てているだろうか。
「わかりました、フレッド」
「丁寧語もやめてくれ。初めて会った時みたいな感じで頼む」
「それはちょっと……だってフレデ、フレッドはおう」
「駄目か……?」
「……うん。わかった」
わたくしは首肯した。不敬だとわかりながらも、彼の言葉に従わないという選択肢など、わたくしにあるわけがない。
それに、貴族だとばれないためのお忍びなのだから、彼の言うことはもっともだ。
わたくしたちは二人だけで店に入った。護衛の方は外で待ってくれるらしい。
店内は一階の入口付近に持ち帰り用のカウンターがあり、一階の奥と二階がカフェスペースとなっていた。
店の壁にはパステルカラーの壁紙が貼ってあり、明るい店内はカップルや女性客で賑やかだ。客の服装を見る限り、ある程度以上のお金持ち向けの店なのだろう。
もしかしたら、わたくしたちもカップルに見られているのだろうか。彼の気持ちはわからないが、少なくともそう思うだけでわたくしの身体はポカポカする。
まだ非公式とはいえ事実上の婚約者なのだから、カップルという表現は当たらずとも遠からずだろう。わたくしたちは二階の奥の部屋に案内された。
「こちらがメニューになります」
そうして差し出されたメニューを開けば、そこには様々なスイーツが載っていた。以前食べたチョコレートはもちろん、果物やケーキまである。
まだ昼食もとっていないせいで、ちょっと罪悪感がある。そこで何の前触れもなく、目の前のフレデリク様は小さく呟いた。
「失敗した……」
「フレッド?」
「いや。昼食後に来るべきだったな、と思っただけだ」
「私もお昼より先にデザートを食べるのは少し罪悪感を感じるかも」
「そうか。なら他の店に……」
「大丈夫。たまにはこういうのもいいし」
「イェニーがそう言うなら」
彼が笑みを浮かべる。つられて、わたくしまで笑顔になってしまう。再びメニューに視線をやると、気になるものを見つけた。
「それがいいのか? 他にも頼んでいいぞ」
「うん。これがいい」
「ホットチョコレートだけじゃ足りないだろう。飲み物だからな。この店はケーキも絶品だというから、ケーキも頼まないか」
「飲み物なんだ……でも、固形でもこの前の量だと足りないかな」
「そうだろう」
そう話す彼の目は若干食い気味で。もしかしてフレデリク様が食べたいだけなのでは? と思ってしまった。
結局、わたくしたちはホットチョコレートとコーヒー、そしてショートケーキ二つ、計四点を頼んだ。皆へのおみやげには、以前王宮で彼に用意してもらったチョコレートを買っていくことにしたのだけれど。
「えっと、自分のお小遣いがあるから、私はそれで」
「いや、私に贈らせてくれ」
「でも」
「他の男たちは幼いころから婚約者がいて、たくさんプレゼントを送っているのだ……私は彼らより身分が高いのだから、こうでもしないと私が笑われてしまう」
そうか。彼はわたくしの婚約者である以前にこの国の王太子なのだ。見栄とか、そういうものもあるのだろう。
それに、わたくしは自身のわがままのせいで彼が笑われてしまうなんてことには耐えられない。
「わかりました。ありがとうございます」
「ああ。当然のことだ」
そう言う彼は、少し頬を赤らめているような気がした。そのとき、甘い香りが漂ってきたな、と思えば給仕の方の足音が聞こえてきた。
「失礼します。ご注文の品をお持ちいたしました」
「ありがとうございます。……おいしそう!」
「そうだな。よし、食べるか」
わたくしはまず、ホットチョコレートに口をつけてみた。それはわたくしが今までに口にしたどんな物よりも甘かった。相当な贅沢品ではないだろうか。
甘味を取り過ぎると体型に影響が出るとミアは言っていたので、それもちょっと気になる。
しかし、どれほど罪悪感があろうとも、甘味は取りたくなるのだから仕方がない。どうしようもないことなのだ。
じっさい、わたくしは熱で溶かしたというチョコレートを空っぽになるまで一気に飲んでしまった。
「イェニーは美味しそうだな」
「へ?」
「い、いや。美味しそうな顔で飲むのだなと思っただけだ。別に取って食おうだなどとは思っていない」
フレデリク様は顔を再び赤らめている。訂正したが、人間を食べてはいけないだなんて、子供でも知っている。間違えて言ってしまっただけだなんて言わなくてもわかる。
「あの、大丈夫。言い間違いだってわかるから」
「私が大丈夫ではない……」
言い間違えたのがよほど恥ずかしいのだろう。そう結論づけて、わたくしはフォークでケーキを口に運んだ。
「くどくないのか?」
「うん、大丈夫。フレッドは食べなくていいの?」
「あ、ああ。食べる」
ケーキを先端から順にフォークで一口大にとっていき、ついにわたくしは主役の苺のところまでたどり着いた。ここまで甘いものづくしだったこともあってか、酸味が程よいアクセントになっておいしい。スイーツたちは今やすっかりわたくしのお腹の中だ。
フレデリク様はまだケーキを半分も残していた。湯気が立っておらず、冷めてしまったであろうコーヒーもまだいくらか残っている。
彼の顔を見れば、こちらを凝視していた。もしかして、わたくしがあっという間に平らげてしまったせいで、彼の婚約者としてふさわしくないと思われているのだろうか。
そう思った刹那、彼は白いハンカチを持った右手をこちらに伸ばした。
「クリームがついている」
「……! すみません。お手数をおかけしました」
「……これくらい何てことない。あと言葉が戻っている」
「あ、ごめんなさい……じゃなくてごめん」
わたくしのせいで汚れてしまったハンカチを、彼はそのまま元のポケットにしまった。大丈夫なのだろうか。
彼が着ているのはお忍び用の服だから、そうそう着ることもないし、買い替えれば問題ないのかもしれないけれど。
その後、わたくしはフレデリク様が食べ終わるのを待つ間、彼の手元ばかりを見ていた。所作が美しくてつい見とれてしまったのだ。たぶん。
そうして会計を済ませたわたくしたちは、店を後にした。




