112.婚礼の儀
本日も昨日に引き続き、二話投稿しております。
まだの方はひとつ前のお話からご覧ください。
冬が終わり、わたくしが貴族令嬢となってから二度目の春が過ぎ、初夏を迎えたエナトス王国。わたくしはベッドからいつもより早く起き上がった。
今は一年で一番昼の時間が長い時期だけれど、まだ東の空も明るみ始めたぐらいだ。
シンプルなドレスに着替え、部屋に用意してもらったパンに手をつける。
食事を終えると、ベスにこれまた軽い化粧を施してもらい、お守りにとあのペンダントをつけてもらった。
両親と共に馬車に乗り込み、夜明けと共に出発したわたくしたちが向かう先は王都北西の大聖堂だ。
そう。わたくしは今日、フレッドと結婚する。
「イェニーちゃんがこんなにも早くわたくしたちの手を離れてしまうなんて……」
「僕たちが一度手放してしまったからね。今更後悔しても時間は戻って来ないんだ。だから一年と半分もないけれど、イェニーがここに戻ってきてくれただけでも十分だ」
お母様は澄ました顔をしているし、お父様も落ち着いた表情をしているけれど、二人ともどこか泣いているような気がするのは、わたくしの気のせいだろうか?
「お父様、お母様。今日まで本当にありがとうございました」
「それはこちらの台詞だよ。僕たちもイェニーにありがとうを言いたいんだ。アウロラ、そうだろう?」
「ええ、旦那様の言う通りよ」
思い出話に花を咲かせていると、やがて馬車が階段へとさしかかった。
まだわたくしたちが婚約もしていなかった頃。はじめて大聖堂にフレッドと一緒に来た時にこの階段を一人で駆け下りたのも、今ではいい思い出だ。
どんどん王都の街並みが低くなっていくと、やがて頂上の大聖堂横に馬車が止まる。
お父様の助けを借りて馬車を降りたわたくしは、御者台に乗ってきたベスと共に大聖堂の方について行く。案内された部屋には、すでにアニーとミアが待っていた。
「式までに準備を終えてくださいね。それでは」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていくと、わたくしたちは準備を始めた。
言葉にすれば、マッサージを受けてウェディングドレスに着替えさせてもらい、メイクを仕上げてもらう……だけなのだけれど。
当然、貴族令嬢の、それも結婚式なのだから準備は大変だ。侯爵邸に引き取られてから、一番着替えにかかった時間が長かったと思う。
「イェニー様~とっても素敵ですね!」
「ミア、今は仕事中だからそういうのは」
「アニー、いいの。ありがとう」
鏡に映ったわたくしが着ているのは、見事な純白のドレスだ。フリルの段数こそ二段だけれど、部屋の床を覆ってしまうほどのロングトレーンのおかげで、とても豪華な仕上がりになっている。
裾周りには上から繊細なレースの透かし布がついており、しっかり小麦とイチゴの模様が刺繡されていた。
オフショルダーになっているけれど、腕の付け根あたりについているフリルのあて布のおかげか、恥ずかしさを感じない。
首元にも透かし布が使われているが、こちらもふんだんに施された刺繍のおかげでほとんど肌が見えないようになっていた。
いつの間にか背中まで伸びていた髪は折角なので、とベスが腕を振るって複雑に編み込んでくれた。
普段は準備に時間がかからない髪型にしてもらっているので、自分の髪だというのに新鮮だ。
メイクは相変わらず「気合いの入ったものを!」と勧められたけれど、わたくしの願いもあって普段社交のある日にしてもらっているぐらいのものに落ち着いた。
ヴェールを汚すといけないから、と言うと渋々といった様子ではあるものの、従ってくれた。
ヴェールを被り、銀色に輝くティアラをのせてもらい。準備が終わったわたくしはお父様の迎えを待った。もちろんロマンス小説もないので、ただ座って待つだけだ。
「イェニー様。皆様がいらっしゃったようです」
「わかりました」
ベスの呼びかけに、わたくしは部屋の入口へと向かった。もちろんというか、長い裾を引きずらないようにアニーとミアが持ってくれる。
扉が開くとそこにいたのはお父様にお母様、お兄様にお姉様。ローザ様にシェリー、そして……
「院長先生っ」
「イェニー、おめでとう」
車椅子に座った院長先生だった。聞いたところによると、お父様が「もしよければ」と呼んだのだとか。
冬が明けたからか体調が少々良くなったという先生は、こうして遠く侯爵領から見に来てくれたのだという。
ちなみにヤンやイライザはじめ子供たちは騒ぐといけないからお留守番とのことだった。
「先生……ありがとう。お父様もありがとうございます」
わたくしの言葉に相好を崩す皆。この後「おめでとう」と「ありがとう」がこの場を飛び交ったのだけれど、それはさておき。
わたくしはお父様や裾を持ってくれた皆と共に、大聖堂で一番大きな部屋に向かった。
部屋の前に到着すると、お父様以外は皆小さな扉から先に中へと入っていく。
大聖堂の正面扉は固く閉ざされており、今ここにいるのはわたくしとお父様だけだ。フレッドもきっと先に中で待っているのだろう。
「これで本当に最後なんだね……ありがとう、愛してるよ」
「わたくしも愛してます、お父様」
「ハハッ。殿下に聞かれていないといいんだけどね」
「……そ、それは……」
赤い絨毯の上、咄嗟に深くヴェールを被ったわたくしの表情は、たぶん隣のお父様にも見えていないと思う。
もし今の言葉がフレッドに聞こえていたら。たしかに今日のことをずっと言われ続けてしまいそうな気がする。
今のわたくしの顔は真っ赤に染まっているのだろうけれど……でも、それも悪くないと思う自分がいる。なぜだろう?
そうよそ事を考えているうちに、中からわたくしたちの入場が告げる声が上がり、扉がゆっくりと開かれた。
わたくしの視線の先、大聖堂の中ほどの位置には真っ白な衣装に身を包んだフレッドがいた。わたくしはお父様のエスコートでフレッドの側までゆっくりと進んでいく。
フレッドのところで立ち止まると、お父様が臣従礼をとった。
「殿下。イェニーをよろしくお願いいたします」
「もちろんだ。イェニー、手を」
「はい」
フレッドの言葉に、彼に手を預けたわたくし。右足を一歩進め、続いて二歩、三歩と絨毯の上を二人で歩いていく。
先ほどのお父様との話は声の大きさには気をつけたつもりだけれど、フレッドのことを思って顔が真っ赤になっていることはばれていないか、ちょっと心配だ。
それでも、これからはフレッドと共に進んでいくのだ。
赤い絨毯からわたくしたちの人生を思い起こされる。きっと、埃ひとつ見当たらない絨毯と違って、進んで行くのに幾多の困難が待ち受けているのかもしれない。
だからといって、わたくしは彼と共に生きることを諦めるつもりはないのだけれど。
司祭の方の前に到着したわたくしたち。目の前に広がるのは神々の世界を描いたステンドグラスだ。司祭の方の声が朗々と広間の中を響き渡る。
「両名、神々の前で誓いの言葉を」
司祭の方のその言葉に心なしか身体が震える。でも、大丈夫だ。
「私、エナトス王国国王エリック・エナトスが息子、フレデリク・エナトスはリチェット侯爵家当主ヨゼフ・リチェットが娘、イェニー・リチェットを愛することをここに誓います」
「わたくし、エナトス王国リチェット侯爵ヨゼフ・リチェットが娘、イェニー・リチェットはエナトス王国国王エリック・エナトスの御子、フレデリク・エナトスを愛することをここに誓います」
フレッドがわたくしのデビュタントの日に言ってくれたそれを、わたくしが忘れるはずがないのだから。でも、ここからが問題で。
「それでは神々の前で誓いのキスを」
わたくしたちは互いに向かい合った。ヴェールの向こうにはフレッドの綺麗な顔がある。
服や周囲の雰囲気もあってか、いつもより何倍も厳かに映ったそれを、わたくしは直視できなかった。視線を逸らしてみたのだけれど、その先の胸ポケットには──
「ん……かわいいな」
「えっ、ちょっ」
わたくしが胸ポケットの「それ」に驚いている間にヴェールが上げられる。
小麦畑のような色をしていたそのハンカチーフには見覚えが……いや、わたくしが贈ったものに違いなかった。
「イェニー。今は私だけを見てくれないか……?」
「は、はい」
再びフレッドをまっすぐ直視したわたくし。彼の濃紺の双眸が細められる。
わたくしは先ほどお父様に言った「愛してます」が聞かれていないか気が気ではなくて、余計に顔が熱を帯びてしまった。
「いつも通りキスをするだけだ。それも少しだけ。恥ずかしがる必要はない」
わたくしはコクリと頷くと、目を閉じる。そっと触れ合う互いの唇。フレッドのものだと思うと、とても愛おしい。やがて、その感触が離れていく。
「新たな夫婦の誕生に祝福を!」
会場から拍手が沸き起こる。いまだに彼と夫婦となったことが信じられない。けれど、いくら信じられなくても。顔が真っ赤でも。これはまぎれもない現実で。
「好きだ、イェニー。貴女と出会ったあの日から、ずっと」
「わたくしもですっ、フレッド」
「私たちは夫婦になったのだ。だから、これからは私以外の男に『愛している』と言わないと、そう誓ってはくれぬか?」
そう告げる彼の顔は少しだけ意地悪な気がして。もしかして聞かれていたのでは!? と再度わたくしの身体が熱を帯びる。
「も、もちろんです……っ」
「私が愛を囁くのも貴女だけだ。神々と貴女に誓って。イェニー、愛してる」
「わたくしもお慕いしております、フレッド」
わたくしたちは儀式を終えると、外へと繫がる赤いカーペットの上をゆっくりと歩んでいく。
孤児院ではじめて会った日。彼からの婚約を申し込む手紙を受け取ったあの日。王宮で再会したあの日。夜の東屋で語らい合ったあの日。あの日。あの日。あの日……。そして、今日。
わたくしはきっとフレッドと共に人生を歩むために生まれてきたのだ。どの思い出を思い返してもそう思う。
孤児院を去りたくないと、悲しみに暮れる少女はもうどこにもいなかった。
出会いとは、必然にやって来るものだ。わたくしが大好きな初恋の君の初恋相手もまた、わたくしだというのだから。
これにて本作品は完結です。ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
よろしければ感想、☆評価などなど、置いていってくださると私が喜びます。
イェニーたちのお話はここまでですが、また別の作品を上げる機会があれば上げたいと思っておりますので、その時はまたよろしくお願いいたします。




