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111.二度目のおわかれ。そして、

「チッ……フランツか」

「はい。お二人が崖から落ちたとヴィクトーに聞きまして」


 フレッドによると、今回侯爵領に来ているのは彼以外だとヴィクトー様と何名かの護衛の方だけのはずだったらしい。

 彼もフランツさんがやって来ていたことを知らなかったのだそうだ。


「殿下、侯爵閣下もおそらくこの冬はこちらで過ごされるでしょう。ですから、馬車の手配が必要かと思いましてこちらに来ただけです。まさか王太子殿下ともあろうお方が馬でここまでやって来るとは誰も思わないでしょう」

「えっと、フレッドはここまで馬車で来たのではないの?」

「フレッド……まあいいでしょう」


 フランツさんの指摘に、わたくしはまた二人きりでないことも忘れて「フレッド」と呼んでしまったことに気づいた。

 自分の単純な失敗に顔が熱くなる、いや、失敗というか貴族令嬢としてどうかというか……ひとまず今回もお目こぼししてもらえるとのことなので安堵する。


「イェニー! お貴族様の馬車が……って」

「小僧……まあよい。殿下、出発しますよ。侯爵邸には明日には到着できるかと……侯爵から馬車を借りて来ましたので」


 そう告げられたわたくしたちは、出発の準備を始めた。と言っても、院長先生や子供たちを呼びに行くぐらいなのだけれど。

 今思えば、ここを出発する時に持って行った荷物も、ペンダントぐらいだった気がする。


「イェニー、辛くなったらいつでも帰って来ていいからね。ここはあなたの家なんだから……幸せそうだからその必要もなさそうだけどね」

「でも私、先生にそう言ってもらえるだけで嬉しい。ありがとう」


 二度目のお別れ。でも、今度は大丈夫、怖くない。だって、これからわたくしが向かう先は前回の時と違って知らない場所ではないし……何より、そこにもしあわせがあると知っているのだから。


 先生とわたくしは、お別れのハグをする。フレッドとはまた違う温もりが愛おしい。


「それじゃあみんな、元気で」

「ああ。イェニーもな!」

「こんどこそ本読んでね! イェニー!」

「うん。院長先生、みんな、大好きだよ」


 わたくしは院長先生や孤児院のみんなに別れを告げ、フランツさんが乗ってきたという馬車に乗り込んだ。もちろんフレッドのエスコートで、である。侯爵家の紋章が描かれているから、フランツさんの言った通り、お父様が貸してくれたものなのだろう。


 わたくしたちが乗り込んだのを確認すると、フランツさんが外から扉を閉める。寒くないのだろうか?

 馬車が動き出すと、わたくしは貴族令嬢らしさなんてかなぐり捨てて、みんなの姿が見えなくなるまで、窓の外に身を乗り出して手を振り続けた。




☆☆☆☆☆




 ヴィクトー様をはじめとした護衛の皆様ともその日のうちに合流し、夜は領都までの途中の街にある宿に泊まることになった。


 よくよく見れば、はじめてわたくしが泊まった宿であるということに気がついた。

 もし、はじめての馬車がシェリーとではなく、フレッドとだったら……なんてどうしようもないことを考えてしまう。


「イェニー? どうした」

「だ、大丈夫です。以前ここに泊まった時のことを、思い出していただけですから」


 夕食の時間。わたくしたちが話しているところに、ヴィクトー様が仕事の報告を入れた。

 本人に聞いた通り、彼の名はテリーで、わたくしが小さい頃に共に孤児院で育った方だった。

 そしてわたくしたちが慰問した孤児院でパンを焼いているドロシーさんの夫らしい。


「イェニー様を誘拐した理由は、妻の弟、つまり彼の義弟の薬代を融通してもらうためだったと聞いています。テロスという名でバナーク家に仕えていたらしいので、もう元バナーク家の使用人の行方(ゆくえ)を心配する必要はないかと思われます」


 バナーク家が取り潰しになり、解雇された彼はそれまでの経歴のせいで裏稼業から抜け出せなかったのだとか。フレッドが口を開く。


「イェニー、今回は残念だが……」

「極刑は免れられない、ということですか?」


 わたくしの質問に、彼は静かに頷いた。平民が貴族を、それも法に反する重税を課したり、汚職に手を染めてもいない──自分で言うのもあれなのだけれど──人物を誘拐したのだから、どうしようもないとのことだった。

 侯爵令嬢になってから一年弱。わたくしははじめて身分社会の残酷さを感じた。けれど。


「あの、せめて……ドロシーさんたちのことは……」

「イェニー、夫を亡くした妻が生きていくのは大変だ。ましてや平民だ。病み上がりの弟もいる。それでも貴女は彼女に生きていてほしいと願うのか? 本当の意味での罪もないのだから、きっと神々の世界で幸せに過ごせるはずだ」

「それでも、です。テリーは駄目でも、せめて二人には生きていてほしいのです」

「……わかった。イェニーがそう言うのだ。そのように取り図ってもらえるように父上に進言しよう」


 貴族的な価値観からはきっと大きく外れているのだろう、わたくしの力説を受け入れてくれるフレッド。優しい。

 でも寡婦(かふ)が一人で生きていくのは大変だ、というのは考えたこともなかった。やはりわたくしはまだまだ勉強が足りないらしい。


 食事を終えたわたくしたちは、フランツさんの手配によって、別々の部屋で寝ることになった。

 さすがに婚約者とはいえ、結婚前の男女が同じ部屋で寝るのは駄目とのことらしい。フレッドは他の皆様と同じ部屋で寝ることになったけれど、気にしていないようだ。


 翌朝早くに宿を出発した馬車は、夕方に領都まで到着した。もちろん向かう先は侯爵邸だ。


 邸宅の前で馬車が止まると、わたくしはフレッドのエスコートで馬車を降りた。玄関ホールの扉が開かれると、そこにはお父様とお母様が待っていた。


「おかえり、イェニー」

「イェニーちゃん。大丈夫だった、のよね?」

「ただいま帰りました、お父様、お母様」


 両親はかなり恐縮していたけれど、この日、わたくしたちはフレッドと共に夕食をとった。


 そういえばフレッドと両親が一緒に食べているのははじめてな気がする。

 今思えば、成り行きだったとはいえわたくしたちはお父様を差し置いてフレッドと共に食事したことを思い出したのだけれど。


「心配しなくて大丈夫だよ。僕は陛下に呼ばれて殿下と一緒に昼食を取ったことがあるからね」


 どうやらわたくしの心配は不要だったらしい。そんなこんなで過ぎていった一日。


 翌日、わたくしは連日の疲れがたたってか、ついに寝込んでしまった。


「イェニー。水だ」

「ありがとう……」


 フレッドが看病でわたくしの部屋を訪ねるたびに、赤くなってしまったわたくし。

 熱が下がるまでの五日間、お父様からフレッドに面会禁止令が下ったのもあって寂しかったのはわたくしだけの秘密だ。


 そして熱が引いた翌日。わたくしたちは王都に向けて出発した。乗る馬車は、フランツさんが王宮から手配してくれた馬車らしい。


「僕たちは春頃に王都に行くからね」

「アーシャによろしくね、イェニーちゃん」


 お父様とお母様に見送られて家を出る。


 年越しを王都への途中の街で向かえたわたくしたちだったけれど、街の皆からは気づかれなかった。街がお祭り騒ぎだったのと……それから、紋章が王家のものではなかった──ただし、貴族間では王家のものと周知のそれ──からだとか。


 それはさておき。こうして、わたくしの強行軍並みの帰省は終わりを迎えた。


 領地の侯爵邸を出てから一週間ほどが経ち、今わたくしがいるのは王都のリチェット邸だ。フレッドの手を借りて馬車を降りたわたくし。玄関ホールに足を踏み入れると、突然前方から何かがわたくしに向かってきた。


 後ろからフレッドに支えてもらっていなかったら倒れていたかもしれない……と思いつつそのぶつかってきた影の方を見ると。


「シェリー?」

「イェニー、ごめんなさい! わたくしが悪かったわ!」

「もう大丈夫だよ。わたくしもごめんね」


 わたくしの答えに、彼女は恐る恐るといった様子で顔を上げる。わたくしのことを視界に収めた彼女は、強くわたくしを抱きしめた。

 それと同時に、わたくしはフレッドから離されてしまう。


「シェリー嬢、イェニーは私の婚約し……」

「イェニー……本当に?」

「うん。本当に」


 イェニー大好き! という言葉と共にさらに彼女の腕に込められた力が強くなる。さすがに苦しいからちょっとやめてほしい……と思っていると、それが通じたのだろうか。フレッドが間に入って引き離してくれた。


「シェリー嬢。この辺りにしてもらいたい」

「殿下。お二人の間に築かれた信頼関係を台無しにしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」


 シェリーの深い礼に、わたくしは「もういいよ」と言おうと思ったのだけれど。


「その通りだ」

「フレッド!?」

「だが、おかげで私たちの信頼はより高まったのだから、感謝もしている」

「恐悦至極に存じます」


 フレッドはちょっとだけ不機嫌らしい。そんな大渋滞のホールに二階から下りてきたのはお兄様と、


「ローザ様!? そうですよね……結婚しましたもんね。ご結婚おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「殿下。ヴィクトー様もフランツ様も、今夜は我が家でおもてなしをしても?」

「ああ」


 フレッドがお兄様の質問に代表して答えたけれど、フランツさんは帰るとのことだった。ヴィクトー様はお姉様と会えると喜んでいるので、参加するのは七人だ。


「さあ。こちらへ」


 一度自室の前までフレッドにエスコートしてもらったわたくしは、着替えを済ませることにした。別の馬車でついて来ていたミアたちに髪やらメイクやらを仕上げてもらうと、わたくしはベスにお願いしてフレッドを呼んできてもらった。


 ちょっと恐れ多いけれど、これがルールだというのだから仕方がない。やがて、扉が叩かれる。


「イェニー。入るぞ」

「どうぞ」


 わたくしは笑顔で立ち上がり、扉へと向かう。廊下に立っていたフレッドは、旅装のままのはずなのに、輝いて見えた。


「……」

「フレッド?」


 わたくしの呼びかけに何の反応も示さないフレッド。おかしいなと思い近づいてみると、わたくしは彼に突然抱きしめられる。今度はわたくしが固まる番だった。


「イェニーは……」

「──……!」


 すっかり日も落ちた冬の夜。部屋からの明かりだけが差し込む侯爵邸の廊下に広がっていたのは、わたくしたち二人だけの世界だ。


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