110.懐かしの孤児院
本日、昼と合わせて計2話更新しております。
そのため、未読の方は1つ前のお話からお読みください。
また、明日は午前中に残り2話を投稿して完結する予定です。
「イライザ? わたく……私のこと、忘れちゃった? ヤンは元気?」
「イェニーなの? やっぱり! あたし、さいしょから分かってたから!」
雪合戦をやめ、わたくしたちの会話に注目する子供たち。これはきっとイライザの強がりだな、とつい笑顔になってしまう。
しかし、彼女はわたくしの様子など気にしていないらしい。
「イェニー! 王子さまなの?」
「えっと……」
「ああ。私はフレデリク。イェニーの王子様だ」
「もうっ!」
わたくしが頬を膨らませながらフレッドに抗議の視線を向けると、彼はやれやれといった様子だ。
肩を竦めなかったのは、きっとわたくしを抱えているからだと思う。しかし、わたくしの努力は虚しく、そんな視線は軽く流される。
「イライザ嬢、といったか? 見ての通りイェニーは靴が脱げてしまってな。彼女が霜焼けしないか心配で」
「……すてき!」
目をキラキラと輝かせながら、ほう……という溜め息とともにわたくしたちを見るイライザ。
「あの……イライザ。私、靴を履かないと寒くて死んじゃう」
「ダメ! イェニーは死んだらダメ! 王子さまと幸せになるの!」
「うん」
わたくしは彼女の言葉にコクコクと首肯する。それはまったくのその通りだ。フレッドも同じように頷いていた。
「それじゃあ、村まで案内してくれる?」
☆☆☆☆☆
イライザたちに三十分ほどついて行くと、なつかしい景色が見えてきた。わたくしが暮らしていた村だ。
そういえば、馬車から落とされる直前にテリーから「孤児院のある村はこの近く」といった内容のことを言われた気がしないでもない。
今は春に収穫する小麦がちょっと育ち始めた頃らしい。村にいた頃はカレンダーなんてお年寄りの皆様の勘だけが頼りだったので、侯爵家に引き取られるまでは意識したことがなかったのだ。そして──
「せんせーい!」
わたくしたちは今、孤児院の前に来ていた。宿は整備されているらしいけれど、わたくしが孤児院へとお願いしたからだろう。イライザはちゃんとここまで連れてきてくれた。
そうわたくしが感動していると、建物の奥から出てきたのは。
「……! 先生……っ!」
わたくしは先生との再会につい、涙を流してしまった。
☆☆☆☆☆
「ちっとも変わっていないな」
「……はい」
わたくしたちは、院長先生のご厚意で中に入れてもらった上、おまけに靴まで借りてしまった。
いや、これはここを出て行くまでわたくしが履いていた靴だ。少し窮屈になってしまってはいるけれど、わたくしの靴で間違いない。
ただ、どちらにせよ本来孤児たちのための場所だから、わたくしが中にいられる理由はもうない。まだここを出て一年すら経っていないのに懐かしいな、と感じてしまう。
今わたくしたちがいるのは厨房だ。端の方には蜂蜜をはじめとした各種材料が置かれている。
「ここで貴女と話したのだったか。あの日は大雨だったな」
懐かしそうに目を細めるフレッドにわたくしは頷く。ふと、視界の端に目に入ったのは……
「スーの実……?」
「どうした、イェニー?」
わたくしはフレッドへの返事もそこそこに、院長先生のもとへと向かった。だって──
「院長先生っ!」
「イェニー? どうしたんだい?」
「えっと……」
わたくしは厨房や材料を使ってもいいかを確認する。先生は一も二もなく許可してくれたので、わたくしは早速子供たちの分も合わせてスーの実のクッキーを作ることにした。
「何を作っているのだ?」
「完成したら分かりますって」
竈に火を入れたわたくしは材料を混ぜ続け、ちぎって次々とクッキーの形にする。
蜂蜜を塗ると、それらを大皿に乗せて中へ放り込む。あとは完成を待つだけだ。だんだんといい香りが漂ってきた。
「これは……もしや」
「はい。この前、フレッドにあげようと思っていたクッキーです。結局あれは暖炉にくべてしまったのですが……」
「そうか。もっと早く食べたかったが……そういうことなら仕方ない」
手紙も燃やしてしまったけれど、あれをもう一度書くのは恥ずかしいからフレッドには秘密にしておこう。
それはさておき。しゅん、と小さな子供のように残念そうにうなだれているフレッドを見ていると、クッキーが焼き上がるのを待っている間にわたくしの身体の方が先に熱くなってしまいそうだ。
と、わたくしがひとり羞恥に悶えていると、外からパタパタと……いや、バタバタと足音が聞こえてきた。
「イェニ……そいつ誰?」
「イェニー、彼は?」
わたくしに尋ね終わるが早いか、ヤンとフレッドは互いを睨み合い始めた。というわけで両方と知り合いのわたくしが二人を紹介することになった。
「ヤン……なるほど、私がはじめてここに来た時にいたのか」
「……! おま……あなたはイェニーと一緒ぐらいだった! イェニーよりも年上だったのか!?」
「ちょっとヤン」
「ああ。イェニーより年上だがどうした」
「中身はやっぱ全然年上に見えねぇよ!」
どうしていつもはわたくしより大人びたフレッドが、こんなに子供っぽくなっているのだろう? 悩んでも答えは出ない気がする。
というわけで、和気あいあい(?)と話し合っている二人を後目に、わたくしは竈を覗いてみた。そろそろ頃合いだろう。
わたくしはクッキーを取り出すと、大きな木の皿に移す。侯爵家には木の皿なんてなかったから、見るのも久しぶりだ。
その後わたくしは椅子に座っているようにとフレッドに告げると、孤児院のみんなを呼び回った。
もちろん、わたくしが帰ってきていたことを知らないみんなを驚かせてしまったわけだけれど、今日ぐらいいいだろう。
☆☆☆☆☆
一年弱ぶりに帰ってきた孤児院だけれど、新しい子は入ってきていないらしい。
孤児になってしまう子が増えていないといいな、と両親の暖かさを思いながら、わたくしはみんなと共に久しぶりにいつもの席についた。
「先生、こちらフレッド……じゃなくて、フレデリク殿下です」
「ご紹介にあずかりました、フレデリク・エナトスです」
わたくしが先生に紹介すると深々とお辞儀をする彼。それが終わると、今度は先生がお辞儀を返す。
「お久しぶりです、殿下。あの日からずいぶん大きくなられましたね」
言われてみれば先生も知っていて当然だった。孤児院のことで、わたくしが覚えていることを院長先生が知らないはずがない。
そこまで思い出してわたくしはスーの実のクッキーをひとつ口に運んだ。おいしい。
子供たちもきゃあきゃあとおいしそうにクッキーを食べている。いちおう最近作りはしたけれど、ちょっと自信がなかったから喜んでもらえてよかった。フレッドも顔を綻ばせている。
「ん……美味いな。さすがイェニー」
「ありがとうフレッド」
「それは私の言葉だ、イェニー。それから……先生、イェニーを育ててくださり、ありがとうございます」
フレッドが再び院長先生の方を向いたかと思えば──座ったままではあったけれど、フレッドは深々と礼をした。
一国の王太子殿下がいち平民に、である。これは公的な場であればあり得ないことだ。
しかし、子供たちはクッキーに夢中だし、先生は平然と受け止めているし……というわけで、焦っているのはたぶんわたくしだけだ。
先生が静かに、でもはっきりと聞こえる声でフレッドに語りかける。
「殿下、頭をお上げください。殿下のお気持ちは承知しましたが、素晴らしいのは私ではなく彼女ですよ。非常に困難な状況に置かれたというのに、笑顔で過ごす彼女が……彼女が素晴らしいのですから。このような場所で育ったがゆえ、貴族社会の常識に疎いところもあるでしょう。イェニーをよろしくお願いいたします」
「彼女のことでしたら心配には及びません。彼女は厳しい王太子妃教育にもめげることなく、素晴らしい成績を納めていると聞いております」
フレッドの言葉に、わたくしは再び自身の頬が上気するのを感じる。彼に信頼されているのが嬉しい。
笑みをこぼした院長先生は、わたくしのもとまでその──いつの間にか少々頼りなげになってしまった足取りでやって来た。そして──
「イェニー……これは私から言うことではないのかもしれないね。でも、育ての親として言わせておくれ。私はあなたが幸せなら、それでいいんだ」
ここを出る時も似たようなことを言われた覚えがある。それでも、今はよりはっきりと、自身を持ってこう言える。
「私、フレッドと一緒に幸せになるね」
わたくしの言葉をうんうんと聞いてくれる先生。
足取りこそ少々危ういけれど、それでも一生先生にはかなわない気がする。わたくしは、きっと最後になるであろうこの穏やかな時間をゆっくりとかみしめた。
昼食の黒パンと一緒に食べることになったクッキーも空になり、これから午後の仕事──もとい遊び──がある子供たちは次々と部屋を出ていく。
今食堂に残っているのはわたくしとフレッド、そして院長先生の三人だ。
「──それで、イェニーのご両親が生きているということは知っていたんだけれどね」
「えっ!?」
続きが気になる。そう思ったその時、院の入口の扉が叩かれる。すぐには動けなさそうな院長先生のかわりに、わたくしが玄関に向かおうとすると。
「イェニー、私も行こう」
「ですが……」
「もし先ほどの誘拐犯だったらどうする?」
「それは、たしかに」
「誘拐されたのかい? でもイェニーが今ここにいるということは助かったんだね。よかった」
「うん。ちょっと行って来るね」
わたくしたちが玄関に向かうと。そこにいたのは──
「失礼する」
扉はすでに開けられており、そこには仕立てのよい黒の服を着た、明らかに貴族の……というか。
「探しましたよ殿下。イェニー嬢もご無事なようで」
わたくしたちがよく見知った方──フランツさんがいた。




