105.侯爵領への帰路
翌朝。わたくしはお父様たちと共に三人で馬車に揺られていた。
王家の力を使えば王都から出さないようにすることもできただろうとはお父様。そうなっていないのはつまり、フレデリク殿下はわたくしに興味がないということなのだろう。
シェリーとも朝食の席では一緒になったのだけれど、当然あのようなことがあった翌朝に会話が弾むはずもなく。
「あんたたち、二人とも何かあったの?」
「……何でもない」
「お姉様、イェニーが昨日……やっぱり何でもないわ」
以前から侯爵領に帰る準備はしていたらしく、荷物を詰め込むだけでほとんど旅支度は済んでしまった。今は、春頃に四人で乗ってきた道を三人で進んでいる。
一応護衛の皆様の馬車や、荷物用だったりベスたちが乗っている馬車もあるのだけれど、それはそれだ。
途中で泊まった宿屋で食べたものは、どれも普段食べるものと違って新鮮……なのだけれど、いつもと違うせいかどこか落ち着かない。
王都では食べたこともないものもあるからだろうか。
それとも、落ち着かないのはフレデリク殿下やシェリーがいないから、あるいは彼らに思うところがあるからか。
わたくしたちは王都に向かった時よりもゆっくりと、時間をかけて侯爵領へと向かった。
道中遠方に見えた山の頭には以前と違い、雪が積もっているようだ。小麦もすっかり刈り取ってしまった後らしく、荒涼とした風景が広がっていた。
わたくしの正面に座っているお父様とお母様。わたくしに気を使ってくれているのか、進行方向になるように座らせてくれている。
「イェニーちゃん、寒くない?」
「……ありがとうございます、お母様」
「…………」
斜め向かいに腰かけているお母様は、自身が肩にかけているショールに手をかけた。
わたくしは宿を出発する時にショールはなくて大丈夫とミアたちに伝えたのだけれど、全然大丈夫ではなかった。
というわけで、今のわたくしにとってはとてもありがたいものだ。
二人に心配ばかりかけている自覚のあるわたくしは、ここで断っても空気をさらに悪くするだけだとわかっている。
座ったままでお辞儀をすると、お母様がわたくしの肩に手ずからショールをかけてくれた。彼女は心なしか悲しそうな顔をしている。
姉妹喧嘩があったのだから、当然のことだとかもしれない。
肩が包み込まれると、わたくしは自然と、いつの間にかショールの上から自身の肩をぎゅっと抱きしめていた。暖かい。
わたくしの凍えきってしまった心までもを暖めてくれる気がした。
☆☆☆☆☆
領都に近づくほど、雪は深くなっていく。
一歩でも道をはずれてしまえばたちまち雪に足をとられてしまいそうだ。
リチェット領は王都より南の方にはあるのだけれど……それでも、山奥にある地域なので雪が深い。
わたくしが住んでいた村では、きっともっと深く積もっているはずだ。
「イェニー、今日の昼過ぎには邸に着くと思うよ」
「はい……でも、お父様もお母様もよろしいのですか?」
「何がだい?」
そう尋ねられてわたくしは俯いてしまう。だって、今そのことを考えるのは本当につらいのだ。できるだけ手短に終わるように、そう頭の中でコトバを組み合わせていく。
わたくしはおそるおそるお父様の目を見る。わたくしの質問を待ってくれているらしい。
いつも通りの、優しい優しいお父様。でも、目を見ながら尋ねるのは怖い。
わたくしは二人のために、今一番口にしたくないコトバを使って質問を紡ぐ。
「えっと、その──」
車輪がカタコトと回る音だけが聞こえてくる。それでも、わたくしは尋ねなければならない。
だって、これはわたくしのこんな我儘がなければ、決して起こりえなかったことなのだから。
「お父様、お母様……お兄様の結こん、式には出席しなくてよろしいのですか……っ?」
わたくしはおそるおそる、俯いたまま二人に訊いてみた。馬車の中に沈黙が流れる。
心配になって顔を上げると。二人は顔を見合わせたかと思えば……笑みを浮かべた。再びお父様の視線がわたくしの方に向けられる。
「そんなことを気にしていたのかい?」
「えっと……」
子供の結婚式を「そんなこと」で済ませてしまうお父様。いつものお父様らしくないと思ったのだけれど。
「旦那様はヴァンのことを本当に信頼しているの。あの子は子供らしくない、本当に大人びた子だったの。それに」
ヴァンお兄様はとうの昔にローザ様の紹介を済ませていたらしく、その辺りは問題ないらしい。さらに言えば、結婚式で娘には途中まで付き添わなければならない一方、お兄様につきそう必要はないのだ、とお父様。
「ヴァンが言っていたんだ。結婚式だろうと何だろうと、自分よりも妹たちのことを優先してやってほしい、と。本当によくできた息子だよ」
窓の外を眺めてしみじみとするお父様。
一瞬、お兄様はよくできた息子なのにわたくしは……なんて考えてしまったけれど、お父様はそう言いたいわけではないだろう。
お父様やお母様ならきっとフレデリク殿下との婚約が解消したとしても、わたくしに優しく接してくれる。
自分に都合がいいことではあるのだけれど、これだけは自信を持って言える。
でも、わたくしは夢見てしまうのだ。中庭でシェリーと話していたフレデリク殿下は幻で、あの場にわたくしが立っていたらのなら、ということを。そんなはず、ないのに。
今のわたくしには胸の痛みに気づかないフリをして、そっと蓋をしておくのが精一杯だった。




