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103.目の前に映る景色

 その日もわたくしは王宮にいつも通り王太子妃教育を受けに来ていた。


 いや、いつもと違う点がひとつだけある。今日は誕生日パーティーでフレッドにあげると約束していたクッキーを焼いて持って来たのだ。

 ヤンやイライザをはじめとした孤児院のみんなが大好きなクッキー。ミアに教えてもらったものとは違うそれ。


 結局、あれからひと月ほど時間があったので、スーの実を領地から届けてもらうことにも成功した。王都にもあったら、と思ってもないものは仕方がない。


 それはさておき。フレッドの誕生日も過ぎてしまったので少し練習をして、できるだけ彼に上手にできたクッキーを贈ることにしたのだ。

 今度ドロシーさんに会った時に怒られないように、本当に少しだけだけれど。


 そして今。わたくしはいつものようにフレッドと共に馬車で王宮に向かっている最中だ。

 荷物の中には、フレッドへの感謝の気持ちを綴った手紙を添えたクッキーがあるのだけれど。


「今日はいつも以上にいい香りがするな」

「は、はい」

「やはりイェニーはおいしそ……コホン。いや、何でもない」


 狭い馬車の中で、クッキーもホットチョコレートも敵わないぐらいに甘い言葉を投げかけられているわたくし。手紙入りの袋は、いまだにポケットの中だ。


 何が言いたいかというと、わたくしは贈り物をするタイミングを完全に見失ってしまっていた。

 その後、王宮につくまでの間、ずっとこのような調子だったのだから、わたくしがクッキーを渡せなかったのは当然だと思う。




☆☆☆☆☆




 そして昼食の席で向かい合ったわたくしたち。もちろん、場所はいつもの部屋の中だ。


 以前は時々東屋でも食べていたのだけれど、肌寒くなってきた最近はこうしてもっぱら室内で食べるようになった。

 そして、この時のわたくしはまた今朝と同じ問題に直面していた。


「今朝はいつも以上にイェニーからおいしそうな香りがしたのだが」

「えっと……わたくしはおいしくありませんよ?」

「イェニーを食べるつもりなど毛頭(もうとう)ない」


 そう言って肩を竦めるフレッド。わたくしがクッキーを持ってきたことに気づいているのではないだろうか。

 気づいているのに待ってくれているフレッド。優しい。


 しかし、問題がひとつ。今、わたくしのポケットの中にはクッキーが入っていないのだ。


 理由は単純で、ダンスのレッスンを受ける前にポケットから出してしまったからだ。

 今もヘレンが持ってくれているはずなのだけれど、まさかこのタイミングで彼女から受け取るわけにもいかない。


「あの、本当に帰りの馬車でおいしいものをあげますから、わたくしを食べないでくださいね?」

「私がイェニーを食べるわけがないだろう?」

「そ、それもそうですね。でも、どうしても贈りたいものがあるのです……っ」

「わかった。イェニーから貰えるものなら何でも宝物だ。たとえ糸くずや落ち葉だとしてもな」

「そ、そんなものではありませんよ?」


 わたくしは手をあわあわと動かす。以前思ったけれど、フレッドなら本当に宝物にしてしまいそうで怖い。

 もちろん、一生ごみをあげるつもりはないけれど。


 そうして、わたくしたちの昼食はこの日も終わっていった。




☆☆☆☆☆




 そう。それから午後の一つ目の授業が終わるまでは「帰りにクッキーをプレゼントしよう」と心の中で息巻いていたのだ。


 ──そんなわたくしがクッキーを渡せなかった理由は。


 クッキーを返してもらい、一つ目の授業を受け終えて。ヘレンと二人で王宮内を移動していた時のことだ。


 視界の端に映る庭園。そこに誰かがいる気がしたのだ。だから、足を止めて外をじっと観察したのだけれど、そこにいたのは


「いかがなさいました?」

「あれは……フレッドと、シェリー?」


 どうして彼女がここにいるのだろう? いや、彼女もまたお兄様の婚約者のローザ様に婚約者を探してもらっていたのだから、いてもおかしくない。

 でも最近の彼女は、結婚式を間近に控えているから忙しいと聞いた。では、なぜシェリーが王宮にいるのか。疑問はつきない。


 しかもわたくしの婚約者と一緒にいるのだ。理由があるはずだ。

 そう思ってしばらく二人を観察することにした。こちら側に背を向けているシェリーの顔こそ見えないものの、フレッドの顔だけははっきりとわかる。


 彼の顔に注目していると、彼は固い表情をしていた。それもそうだろう。だって、彼女はフレッドの婚約者ではない。

 そんな家族でも婚約者でもない男女が第三者なしで会っているとなれば、醜聞(しゅうぶん)ものだ。


 やがて彼は肩を竦めたかと思えば、生垣から一本の花を手に取った。どうするのか疑問に思っていると、それがシェリーに──やめて! わたくしは心の中でそう叫んだ。足に力が入らず、思わず倒れそうになる。


「大丈夫ですか!?」

「え、ええ……」


 とっさにわたくしを支えてくれたヘレンのおかげで、大事には至らなかった。しかし。


「……うそ」


 続けて、わたくしはそれ以上に信じられないものを目にしてしまった。つい、それに視線が釘付けになってしまう。見たくないと思うのに、目を逸らすことができなかった。


 フレッドが、シェリーに笑顔を向けていたのだ。それも、決して作り物のそれではなく、本物の笑顔だった。


 わたくしに何度も見せてくれた笑顔。それが今、わたくしではなくシェリーに向けられている。信じたくない。わたくしはついにしゃがみ込んでしまった。


「嫌……もう嫌」

「イェニー、様?」


 今までの苦労は何だったのだろう? 彼はわたくしだけが好きなのだと、そう言ってくれた。あの言葉に偽りはないと信じたい。


 でも、それなら今目の前で繰り広げられているあの光景は何なのだろう?


「本当に大丈夫なのですか? 顔色が悪いですよ」

「大丈夫じゃ、ないかも……ほら」


 わたくしはヘレンにもわかるようにとフレッドたちのいる一角を指差した。


 もう先ほどのようにくぎ付けになりたくないから、わたくしは目を逸らしているけれど。それを見て納得してくれたらしいヘレンは、わたくしに慰めるような言葉をかけてくれた。


「きっと王太子殿下にも何か事情があるのですよ。いつもお側で拝見させていただいておりますが、殿下はイェニー様を愛しておられるようにしか見えませんでしたから」

「ごめんなさい、ヘレン。今わたくし、フレッドのことが信じられなくて。次の授業を、その、お休み……」

「左様でございますか。では帰りの馬車は」

「ひとりにして、ちょうだい」

「……かしこまりました」


 この日、わたくしははじめて王太子妃教育を欠席した。

 彼女が馬車を準備してくれたおかげで、わたくしはフレッドに顔を合わせることなくリチェット邸へと帰ることができた。


 結局、クッキーはポケットの中に入ったままだ。でも、これでよかったのかもしれない。きっとフレッド──いや、フレデリク殿下はわたくしではなくシェリーのことを好きになってしまわれたのだから。


 せっかく書いた手紙だけれどあれでは、とわたくしはクッキーごと部屋の暖炉の火にくべた。甘い香りが広がったけれど、わたくしが満たされることはなかった。


 そんな中、扉がノックされる。ミアだった。


「お嬢様~どうしたんですか? すごく甘い匂いがしますよ~? もしかしてあのクッキーですか?」

「えっと……わたくし、もうフレデリク殿下と一緒にいられないの。だから」

「どうしてですか?」

「会いたくないの」

「なるほど~。お屋敷の中に入れなければいいんですね? わかりました!」


 この話は一時間と待たず邸内に広まった。そして、わたくしは今日休みだったお父様の部屋に呼び出されることになった。


「イェニー、話は大体聞いたよ。君はどうしたいんだい?」


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