99.フレッドの誕生日パーティー(2)
フレッドのエスコートで会場に向かうわたくし。到着した先は、今まで来たことがない部屋だった。
扉を見る限り、中は大広間になっているのだろう。廊下に並行するように造られたホールと言えばよいのだろうか。
一体何のための部屋なのだろう、まさか誕生日の時にだけ使う部屋ではないと思うけれど……と考えを巡らせていると、フレッドがヘレンにも聞こえないような大きさの声でこっそりと説明してくれた。
「ここは昼間に社交する時に使う部屋だ。茶会が雨になった時に使われることも多い。イェニーは将来私の妃となるのだから、覚えておくといい」
「はいっ」
わたくしは彼がしたように、彼にだけ聞こえるぐらいの大きさの声で返す。
フレッドは口角を上げると、再び扉の一つに向かって歩き始めた。
その扉が開かれると、そこはどうやら控え室になっているらしかった。
隣の部屋からは賑やかな声が聞こえてくるので、会場には既にたくさんの方が集まっているのだと思う。
「ここで父上と母上が来るのを待つことになっている。自由に見てもらって構わない」
「ありがとうございます……」
フレッドの腕が離れていく。彼にエスコートされるのには気恥ずかしさも感じるけれど、いざ離れられると寂しいと思ってしまうのだから難儀な心だ。
しかし、後でいくらでもエスコートぐらいしてもらえるのではないか。
そう思うと、今は途中で倒れないようにするべきだ。そう自分に言い聞かせて、わたくしは気分転換に窓の方へと向かった。
それから数分。聞こえてく音といえば隣のホールからのものばかりで、この部屋はといえば音一つない静けさに包まれていた。
外を見ていて少々落ち着いたからなのだろう。わたくしは「言うなら今しかない!」という心の声に従って、ひと思いに喉を絞った。
「あのっ」
「?」
わたくしの背後からはフレッドが息を呑む音が聞こえた。
隣の部屋は賑やかだから、きっとこちら側の声が届いていないに違いない。なら、これはクッキーのことを謝罪する絶好の機会なのでは?
そう思ったわたくしは彼の方を振り返り、手が届く距離まで歩み寄ったのだけれど。
「イェニー……嬉しい」
「あの、これはどういう……」
わたくしの手は再び、瞬く間にフレッドの手に捕まってしまった。
ガラス細工を扱うように丁寧な手つきが嬉しくはあるのだけれど、少し面映ゆい。
「イェニーの方から私に寄って来てくれるなんて……これは夢なのではないか?」
「……現実、だと思いますけど」
わたくしはそう伝えてみたが、フレッドはまだ夢だと思っているらしい。
右下の方を向いて頬を紅潮させながら、口をパクパクさせている。
かわいい。もしかしてこれはわたくしの見ている夢なのではないか? だんだん自信がなくなってきた。
しかし、やがて彼はこちらを向き直したかと思えば、少し意地悪な笑みを浮かべた。
「それでは、イェニーが私の頬をつねってはくれないか?」
「えっと、それはつまり」
わたくしの問い返しにフレッドが浮かべたのは柔らかい笑みだ。先ほどまでの意地悪さはどこへやら、といった様子である。
「夢かどうか判別するのには、頬をつねるのが一番らしい。夢の中ならば痛みを感じないそうだ」
「あ、わたくしもそのような話を聞いたことがあります」
「イェニーなら知っていると思った。だから、試しに私の頬をつねってみてくれないか?」
その言葉と共に解放されるわたくしの手。その手でフレッドを傷つけなければならないなんて。
とはいえ彼も乗り気だし、わたくしも彼に触ってみたいな……なんて淑女らしくもないことを考えていたのだから、渡りに船だ。そもそもわたくしの夢かもしれないけれど。
本当は恥じらうべきなのだろうけれど、令嬢歴半年のわたくしが恥じらいを覚えることはなかった。
というわけで、わたくしはおそるおそるフレッドの頬に自身の手を伸ばそうと──したちょうどその時。
「王太子殿下。両陛下がご到着なさいました」
「……チッ」
小さく舌打ちするフレッド。彼は頭を抱えながら謝罪の言葉を小さく口にすれば、そのまま廊下の方へと向かう。行き場を失ったわたくしの腕は、力なく下ろされた。
もう少し彼と……だなんて、王太子の婚約者が考えるなということなのだろうか。
いずれにせよ寂しいものは寂しい。外にいた兵士の方が扉を開いたのだろう。向こう側にいたのは国王陛下と王妃殿下、つまりアーシャ様だった。
「父上、母上……お待ちしておりました」
不服そうな、不満を隠さない声でそう二人に告げるフレッド。彼もわたくしと同じことを望んでいるのだなと思うと、いくらか不満が和らいだ気がした。
「……やっぱりこの前の式典の時のものは大人すぎたものね。やっぱりフレッドはイェニーに今日みたいに少しふわふわした、子供らしさを引き立てるドレスを着せたいみたいね?」
以前、アストランティアとの平和の式典の時に準備された大人びたデザインのドレスは、アーシャ様が注文したものだったと聞いた気がする。
そして、今のアーシャ様のお言葉を聞く限り、これはフレッドが選んでくれたものというわけで。
そう思うと顔に熱が急速に集まってくる気がする。フレッドがわたくしの方を振り返ってくれたのだけれど、心の余裕がなくて見つめ返すことができない。
それを誤魔化すようにアーシャ様の方を見ると、口元を扇で隠していた。
きっとその下では優雅な笑みを浮かべているのだろうな、とわたくしの思考が現実逃避を始める。
彼女を見ると、わたくしはまだまだ足りない。何もかも足りない。そう思えてくる。
今はまだフレッドの婚約者だけれど、いずれは王太子妃、やがて王妃へと立場は変わっていくのだ。今のうちから少しずつでも──
「イェニー。何を考えている?」
「あ、あのえっと……」
「今日は私の誕生日なのだ。だからせめて、今日ぐらい私のことだけを考えていてはくれないか……?」
そう言われてわたくしははっとした。そうだ。今日はフレッドの誕生日なのに、自分のことばかりを考えてしまっている。彼のことよりも自分がかわいくて仕方がないかのように。
ドレスだってフレッドが用意してくれたのに。わたくしは自分がクッキーを用意できなかったからといって、そのことばかりにとらわれていては。
……と結局クッキーのことは言えずじまいだけれど、仕方がない。
「イェニー?」
「は、はい!」
フレッドに名を呼ばれたわたくしは、背筋が伸びる思いで彼の方に向き直った。また自分のことを考えてしまっていた。悪い癖だ。
彼はわたくしと視線が交わると、たちまち相好を崩した。互いに見つめ合っていると、コホンと咳払いが聞こえてくる。国王陛下だ。
「あー。そろそろ時間じゃろうて。リチェット嬢はすまんが一旦部屋から出て、すぐ隣から入ってはくれんか?」
「あ……そうですよね。かしこまりました」
わたくしはフレッドの婚約者だ。しかし、今回はあくまでパーティーに招待された側であって、主催者側ではない。まだ、正式に王家に嫁いだわけではないので当然だ。
というわけで名残り惜しくも部屋を出ようとフレッドの横を通り過ぎたちょうどその時。
「イェニー、少しだけ待ってはくれないか?」
「えっと、フレッ……デリク様?」
フレッドに呼び止められて足を止めたわたくし。ついうっかり、国王陛下夫妻がいるにもかかわらずフレッドと返事をしそうになってしまった。……危ない危ない。
どうやらつい最近までダメだったフレッド呼びもすっかり板についてきたらしい。
アーシャ様が──おそらくこうしたわたくしの様子に──どういうわけか目を細めているのはさておき。わたくしは彼の方を振り返って言葉の続きを待った。
「いつでもいい。私なら大丈夫だ」
「? は、はい」
わたくしはその場で言葉の意味が理解できず、皆様に礼をして部屋を出た。本来はアーシャ様つきの侍女であるはずのヘレンもついて来てくれる。
「イェニーをよろしく」という指示だけで仕えるべきアーシャ様ではなく、わたくしのお世話をしてくれるのだ。ありがたくはあるのだけれど、ちょっと申し訳ない。
そんなこんなで、わたくしは誕生日パーティーの会場への入口のうち、最も主催者側に近い扉から中に通された。一番はじめに視界に入ってきたのは、玉座。ついでその手前には。
「お父様、お母様。それにお姉様にヴィクトー様まで……」
わたくしの目の前にいたのは、わたくしの身近な人たちだったのだということに気づく。
わたくしの声に気づいたらしいお母様が振り向き……それにつられてなのだろう。他の皆もこちらへと顔を向けてくれる。口を開いたのはお父様だ。
「やあ、イェニー。殿下とはよい時間を過ごせたかい?」
「はい。それはもう」
そんなわたくしの様子に、皆の顔が喜色ばむ。そのとき。
「これより、王太子殿下の誕生祭を開始いたします。静粛に!」
玉座近くに佇んでいたフランツさんの開会宣言が広間中に響き渡った。
ついに(おまけを含め)100部分目です!
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