マトルアへ
朝起きると、龍神さんがベッドで何かぼやいていた。
何でも、楓姫を倒すにはニームの長が扱う水の力が必要らしい。
「なぜ、ニームの長の水でないとだめなんですか?」
「ニームの長が扱う水には、アンデッドの力を弱める特別な力がある。
あれがないまま行っても、消し炭にされるだけだ。
というか、まず奴がどこにいるのかもわからんしなー」
ここで、彼は言葉を切った。
「…ん?あ、そうだ、マトルアだ!」
「マトルア…って、魔法都市の?」
「ああ。あそこに行けば、楓姫の根城の在処がわかるかも知れない」
という訳で、私達はマトルアへ向かうことになった。
マトルアとニームはワープで繋がっていて、ニームの町外れにある魔法陣に入ればすぐ行けるようになっている。
ニームはタイガに囲まれた町なので、かつては陸路に乏しく、外部へ繋がるワープ用の魔法陣や連絡手段もなかった。
なので、マトルアへ行こうと思えば3日ほどかけて歩いて行くしかなかった。
本当に、今は便利になったものだ。
ワープした先は、小さな建物の中だった。
けれど、なぜか出口の扉が開かない。
おかしいな、鍵がかかってる様子はないけど…
やむを得ず、衝撃魔法で扉を壊して外に出た。
そしてすぐに、修繕魔法で扉を直す。
「なんだ、アレイ、色々魔法使えるんじゃないか」
「今さらですか?私、魔法なら元々使えるんですよ」
魔法と術は少し違う。
魔法のうち、異人が扱える強力な効果を持つ物を術と呼ぶ。
普通の魔法なら、人間でも扱う事は出来る。
というか、以前は人間も異人も、魔法を使えないと生きていくのが厳しいレベルだった。
「ところで、このドアはなんで開かなかったんだ?」
龍神さんがドアを押してみたが、やっぱり開かない。
「変なドアだな」
と、急に叫ばれた。
「おい!お前たち!」
振り向くと、数人の術士が立っていた。
掠れたような青のローブ…ということは、町の警備員だ。
「…なんだよ?」
龍神さんは怖じ気づくことなく返事をした。
「お前たち、正門から入ってきた者ではないな。どうやって町に入ってきた?」
「そこのワープから…」
私がそう言うと、
「ほう…ニームに繋がる魔法陣は封鎖していたはずだが?」
と言われた。
「え…いや…それは…」
言葉につまっていると、
「ニームの方では普通に使えた。封鎖するんなら、向こうにも連絡するのが普通じゃないのか?」
と、龍神さんが反論した。
「ニームの長には、魔法陣を封鎖することを通達してあったはずだ。
先ほど我々が確認した時も、作動していなかった。
なぜお前達だけが使えるのだ?」
「そんなの知るかよ。使えたから使った、ただそれだけだ」
全く退かない龍神さんに、警備員たちは何やら腹を立てているようだった。
そのうち、その中の一人が彼の顔をじっと覗き込み、
「…!お前は殺人者じゃないか!」
と声を上げた。
龍神さんはニヤリと笑い、何故か全く抵抗しなかった。
そして…
私達はたちまち拘束されてしまった。
マトルアの中心、マドール城。
その大広間に、私達は連れてこられた。
術士たちが堅苦しい声を上げる。
「曲者を捕らえて参りました」
大広間の奥に置かれた、美しい銀色の玉座。
その上の空間に、白い光が現れる。
それはゆっくりと玉座まで降りてきて、人の形に変形していく。
そして、光は紫の帽子と紫のスカートを履いた魔女の姿になり、それを見た術士たちはみな礼をした。
「ロザミ陛下、おはようございます」
「おはよう。して、その者達は?」
「ニーム行きのワープ魔法陣前にいた不届き者です。封鎖していた魔法陣を不正利用した故、捕らえて参りました。そしてそちらの男は、殺人者です」
「そう…」
彼女は、真剣な表情で私達を見てきた。
「…わかった。詳しい話は奥で聞きましょう。その者達の身柄は預かります。あなた達は警務に戻りなさい」
私達は彼女の部屋に連れていかれた。
天井にはランプがぶら下げられ、テーブルには様々な道具や魔法薬が置かれていた。
龍神さんは、それらを物々しい目付きで眺めた。
「…警戒される必要はありませんよ」
ロザミがそう言ったものの、彼は目付きを変える事はなかった。
「そう…そうでしたね。
殺人鬼は、そう簡単には他者を信用しないのでしたね…」
彼女は帽子を取り、入り口横の棚から取り出した水兵の帽子を被った。
「変身」した彼女を見て、龍神さんが目を見張る。
それを見て、私はくすっと笑ってしまった。
マトルアの統率者にして、珍しい黒属性の術法を扱う皇魔女、ロザミ·カナート。
彼女の正体は…
「…マーシィ!」
そう、マーシィだ。
「この姿なら、わかっていただけますね?」
「君は、もしかして…」
「そうです…私は、異人もどきなんです」
『異人もどき』、二つの種族の肉体を持つ異人。
マーシィは、その貴重な一人だ。
「あら、どうかしました?」
「いや、ジルヴァルトなんて久しぶりに見たなって思って…」
「久しぶり、というと?」
「何年か前にセントルで見たことがある。
しかし、水兵にジルヴァルトなんていたんだな…」
「私は水兵として産まれましたが、魔女の血筋ですからね。
水兵だけでなく、魔女としての姿も持っているんですよ」
彼の言う通り異人もどきは珍しい。
でも、水兵の異人もどきはもっと珍しい。私の知る限り、2人しかいない。
「ニームから、ここまでワープで来たのか?」
「はい。私がこっちに来た後は封鎖し…あっ!」
私が彼女を睨んでいるのに気づいたのか、あるいは自身の発言の意味に気づいたのか、マーシィはごめんなさい、と頭を下げた。
「気にすんな、そんな感じの事なんだろうと思ってたからな。てか何だ、ここでも薬の研究してるのか?」
「ええ。ただ、売るためじゃないですよ。ここでは…」
と、ここでドアをノックする音がした。
マーシィは帽子を変え、首飾りに触れて魔女の姿に戻った。
そして「お待ちを」と言い、ドアを開けた。
ドアの向こうにいたのは、黒地に緑の帯が入ったローブの男性と、黄地に青い帯が入った男性。
「ロザミ陛下、ノグレ国王より国書です。
リスウェ湖近辺の異形討伐作戦に参加されよ、との事です」
「わかった。すぐに返事を書きましょう」
黒ローブの男性が話し終わると、黄色いローブの男性が話し出した。
「陛下、今年の決算ですが…」
男性はこちらを見て黙った。
「どうかした?」
「はっ、失礼。陛下、そちらの方々は?」
「彼らは私の客人です。気にせず続けて」
「左様でございますか。陛下、今年の決算が出ました。前年度と比較して30%ほど支出が増えております。詳細はこちらをご覧下さい」
「ありがとう」
二人がいなくなると、彼女は再びマーシィの姿に戻った。
「…あ、ここで薬の研究をしている理由でしたね。
ここは、いわば私の研究室。新しく考えたレシピや、書物などに記された古い時代のレシピで、新たな魔法薬を作る研究をしているんです」
「へえ。で、今は何か作ってるのか?」
マーシィはええ、と言って床の片隅を指差した。
そこには、床を切って作ったらしい炉があった。
炉には火がついていて、何かの液体が入った甕が乗せられている。
「あれに入っているのは、いずれ新たな魔法薬となるもの。
今、ちょっと急いで作っているんです。完成したら、『追憶の薬』と名付けようと思っています」
追憶、と聞いてはっとした。
「え、マーシィ、もしかして…」
「そう。これは、アレイの能力に近い効果を持つ薬。かけたものの過去を見る事が出来ます。
人に飲ませれば、過去の経験を洗いざらい吐かせる事ができますよ?」
マーシィは、どこか深い意味を含ませたような、複雑な表情でそう言った。
「過去を見る薬…ねえ。
なんでそんなもん作ろうと思ったんだ?」
「簡単な事です。"過去"というものに興味があったから…」
「へえ…」
なんだろう、なぜか龍神さんもマーシィも意味深な雰囲気を醸し出している。
「しかし、急いで作る必要はもうなさそうですね。ちょうど、使おうと思っていた人がいますので」
「そうか…」
私は思わず声を出した。
「え、マーシィ、ひょっとして…」
「もう、おわかりですよね?」
マーシィは、真剣な目で龍神さんを見た。
「教えて下さい。私の先祖…メラリー·エルドの事を」
ロザミ·カナート
魔法都市マトルアを治める魔女。「理力」の異能を持つ。
属性はノワールでは珍しい黒属性(8属性のいずれにも属さない特別な属性で、「無属性」と呼ばれる事もある)。
立場ゆえに穏やかで清楚な性格を演じているが、本来は明るく人付き合いが好きな性格。
その正体はレークの水兵マーシィ·エルダンテが、アクセサリーの「魔女の瞳」を用いて変身した姿。