煌めく泉
厳しい寒さと時折息切れする薄い空気の中を進んでゆく。
幾分前から、背の高い木は一切見ていない。
数十分前からは雪が降りだし、今は風も強くなってきた。
あたりは基本雪に覆われているけど、時々黒い岩肌が雪の間からのぞいているのを見る。
ニラルの中腹より高い場所では、夏場に来れば綺麗な花畑を見ることができるそうだけど、このあたりがそうなのだろうか。
程なくして、雪の中に目が眩むほど綺麗な金色の泉が現れた。
これが、煌めく清水…
そして、煌めく泉か。
「綺麗だな…」
龍神さんが呟く。
「そうですね…」
煌めく清水の美しさは、私達の間では蜂蜜やミドタカラガイのそれにも例えられる。
どっちも貴重かつ綺麗な代物だけど、この水の美しさはそれ以上だ。
でも、見とれてはいられない。
「それじゃ…」
「ああ」
魔法で空の瓶を生成し、それに水を汲み取る。
手に濡れる清水は冷たかったけど、深海の水と同じような感じだったのでさほど辛くはなかった。
むしろ、今までの寒さの方がきつかったまである。
結局、清水は瓶二本分採取した。
「これだけあれば、大丈夫だろう」
瓶は一本を龍神さんが、もう一本を私が持った。
「じゃ、下山しましょう」
まともな装備もなしに夜の冬山を降りるのは自殺行為だ。
今は昼過ぎ、今から降りれば夜までには地上につくはず。
と、泉の中央の小島にあった大きな岩にピシピシと音を立ててひびが入った。
岩はそのまま卵のように綺麗に割れ、その中から何かが雛のように出てきた。
それは、大きさが私の身の丈ほどもある、緑色の蛙のような怪物だった。
怪物は一声吼えると、口を開けてこちらに飛びかかってきた。
横に飛び込みつつ、矢を撃ち込む。
怪物の体は柔らかく、矢の刺さりは良いようなのでどんどん撃ち込んでいきたい所だけど、矢をそんなに多く持ってきていない。
なので、術法を使って攻める。
「氷法 [針氷樹林]」
細かい氷の刃をたくさん作り出して飛ばす術。
最初、怪物の皮膚が分厚いのかあまり効いていないようだったけど、目に当たると唸り声を上げて苦しんだ。
そこに龍神さんが技を撃ち込み、怪物の胴体を一文字に切り裂いた。
波のしぶきのように飛び散る紅い血。
その滴の中に、私は怪物の真の姿を見た。
「見かけ倒しにも程があったな。
…あれ、何する所だ?」
私は瓶の蓋を開け、今汲んだばかりの清水を怪物に振りかけた。
「何してんだ?」
「元に戻すんですよ…『彼女』を」
彼は訳がわからない、という顔で立ち尽くしていたけど、すぐにわかる。
怪物の体が虹色の光に覆われ、本来の姿に戻ってゆくー。
現れたのは、整った銀色の長髪と濃い青の瞳をした、細身の水兵。
彼女は、キャルシィさんの妹、リヒセロさんだ。
「異海の同胞と殺人鬼…異色の組み合わせですね」
「リヒセロさん!」
私は駆け寄り、その手を取った。
「ご無事でよかったです」
「ありがとうございます。
元に戻してくれた事に感謝いたします」
ここで、龍神さんが口を開く。
「リヒセロって…ニームの長の妹か?
なんでこんな事になってるんだ?」
リヒセロさんは、彼の方を向いて話し出した。
「全ては、私の失態です。
大陸中を飛び回り八大再生者楓姫の情報を集めていた所、この山で偶然にも奴を崇める邪教の者に見つかってしまい…あのような姿にされ、岩に監禁されてしまったのです」
「邪教の者…って、バスムか?」
「ええ、そんな名前だったと思います。
なぜ、知っておられるのですか?」
ここで私が説明する。
「あの男に、ニームが襲われたんです。
奴は陰りの泉も壊した上、キャルシィさんに再生者の胚を植え付けて怪物に変えていきました。リヒセロさんがどこにおられるのか気にかかってはいたんですが、まさかこんな事になってただなんて…」
「…そうでしたか。ではすぐにこの泉の水を汲み、姉の元へ戻って下さい。この泉の水があれば、再生者の胚を死滅させられるはずです」
「そのつもりで来た。
もう汲んであるから、あとは帰るだけだ」
「ならいいでしょう。
私も別用を終わらせたら、速やかに姉の元へ向かいます。
あ、そうそう。これを受け取って下さい」
リヒセロさんは、紫の百合の花を手渡してきた。
「これは?」
「私からのプレゼントです。楓姫を追うのであれば、いずれ役に立つでしょう。
それからもう一つ。この先の山頂には、丁度いい滑空ポイントがあります。飛び降りて真っ直ぐ滑空していけば、すぐにニームに帰れますよ」
「わかった。感謝する」
「いえいえ。ではまた後程…」
リヒセロさんはそう言い残し、バニシュしていった。
「バニシュなんかできるのか」
「リヒセロさんは昔、マトルアで魔法の勉強をされていましたからね。魔法陣を使ってワープするまでもないんですよ」
「魔法の勉強…ねえ」
「あれ、そう言えば龍神さんは、魔法の勉強はされたんですか?」
「そりゃしたさ…独学でだがな。
さあ、まずポイントに行こう」
山頂の奥には、切り立った崖がある。
雲で隠れていて見えないけど、ここから飛んで真っ直ぐ滑空していけばニームに帰れる。
「滑空、できるよな?」
「はい。簡単な魔法なので」
「よし…じゃ、いくぞ!」
ムササビのように両手足を広げて飛び降り、魔力で体を包む。
こうすると、空を滑り降りるように飛ぶ事ができる。
魔力を強めれば自由に飛び回ることもできる。
水兵は海洋種族なので空を飛ぶ事はほとんどないけど、こうして飛んでみると、空も悪くないのかなと思う。
空気が冷たいけど、それでも風を切って飛ぶのはすごく気持ちがいい。
それに、こうして見慣れた大地と海を空高くから見下ろすのはなんというか…とにかくすごい。
いつか、空を何も考えずに飛び回ってみたい。
思えば、初めて空を飛んだ時は普通に飛べた。
大抵の水兵は、空を飛ぶのはなかなかできないものらしいけど、私は一回で普通に飛べた。
あの時は、他の子が飛べない事を疑問に感じたのと同時に、なぜか懐かしさをも感じた。
それが何故だったのかは今もわからないし、当時感じた気持ちは今となっては変わった所もある。
けど、空を駆ける事を楽しいと感じる気持ちは、今も昔も変わっていない。
ニームの神殿が見えてきた。
こうして見ると、町の惨状がよくわかる。
どうしてこんな事をされなければならないのか…
私の町ではないけど、悲しみと怒りが湧いてくる。
でもここで感情を叫んでもどうしようもない。
次のステップへ進むため、私達は神殿の入り口に降り立つ。