老いた水兵
その後しばらく歩くと、やがて人通りは自然な数に戻った。
この中にも、詐欺師がいるのだろうか。
「そう言えば、エーリングさんはレイル海で捕まえた海賊の残党がいる…って話でアイゼスに来たんでしたよね?」
「ええ。今回捕まえたのは名称不明の海賊団だったのだけど、問いただしたらケルバー湾の海賊カディの一味だと白状してね」
「海賊カディ…?」
聞いたことのない名前だった。
「知らない?アイゼスの出身者に聞いたら、結構有名な海賊だって言ってたんだけど」
「わからないです。カディードス海賊団なら聞いたことありますが」
カディードス海賊団は、ケルバー湾含むこのあたりの海で有名な陸の海賊の一味だ。何年も前から活動しているらしいけど、具体的にいつごろから動いているのかはよくわからない。
ただ「ドス」という名前は数字の「2」を意味するので、おそらくは何かの海賊団の後釜として作られたものではないか、と考えられている。
ちなみに、dosとは私達水兵の間で使われる言葉でもある「スペイン語」だ。
それ故、水兵と何か関係があるのではないかと疑られることもあるけど、一切関係はない。…はずだ。
水兵が陸の海賊の一員になるなんて、そんなことあるはずないから。
「カディードス海賊団か。名前からして、彼らはカディの海賊の一味の後釜かもしれないわね」
「その…カディの海賊って、カディードスより前から存在した海賊なんですか?」
「おそらくね。ただ不思議なことに、本国ではいくら調べても彼らに関する情報が出てこなかった。昔からいた海賊なら、アイゼスでも存在は認知されてるだろうから、ノグレに情報が来ていないはずはないのだけど…」
それは確かにおかしい。ノグレはこの大陸の中央王国であり、すべての国や独立都市は従うことになっている。そして当然のように、それぞれの国家で起きた事件などはノグレに報告を出すことになっている。
海賊の出没となれば、当然何かしらの報告がいくだろう。
「それは妙ですね…うーん、ウェニーさんが報告を忘れるとは考えづらいですし…」
「何か、怪しい匂いがすると思わない?私もそう思った。でも確証がない以上、大きな動きは出来ない。今回単独でアイゼスに来たのは、それもあるの」
「そういうことだったんですね…」
「でもウェニー様の許可もいただけたし、明日からは本格的に調査をするつもりよ。協力してもらえるかしら」
「もちろんです」
そんな会話をしながら歩いていると、ふと1人の通行人が目についた。
いや、正確には通行人とは言えないか。1人の老人が道の端に立ち、海を眺めている。
見た感じ、結構な年だ。
…なんか変な感じがしたので、声をかけた。
すると、老人は振り向いた。
「んむ…?お前さんたちは…」
「私は旅の者です。こちらは…」
どうしよう。説明に困る。
素直にノグレの魔騎士ですと言っていいのかわからないし…。
「私も、彼女と同じようなものよ」
悩んでたら、エーリングさん自身がそう言ってくれた。
「そうか。…」
老人は、妙に私を見てくる。
「どうかしました?」
「いや、何と言うことはない…」
「…?」
その時、私はこの老婆から感じていた違和感の正体に気づいた。
「あれ、もしかしてお婆さん…水兵では?」
顔はしわだらけになり、髪も真っ白でだいぶ老けているけど、何となく同族のように思えた。
「…やはり、わかるのじゃな。いかにも、わしはかつて町に住む水兵であった」
やっぱりそうだったんだ。
私を見ていたのは、かつての自分の姿を私に重ねているからか、町にいた頃を懐かしいと思ったからか…。
「かつて…って。どんなに年をとっても、水兵であることには変わりないと思いますけど」
「だが、わしはわけあって町を離れた身。それに、今は見ての通りの老いぼれ。種族は水兵でも、町の水兵を名乗ることはできまい…」
「そんなことありません。水兵は、どこに行ってどんな未来を歩んでも水兵です」
「…今どきの子は優しいのう。わしの若い頃は、そんなこと言ってくれる者はおらんかった」
老婆はどこか悲しげに言った。
「お婆さんは水兵だったのね。どこの町の所属だったの?」
「それはもう覚えとらん。だが、この子が着ておる制服は見覚えがある。懐かしい柄じゃ…」
「この服が懐かしい…ってことは、もしかしたらレークの所属だったのでは?私はレークの所属なので」
「レーク…いや、違うな。その名前に聞き覚えはある。だがかつてわしがいた町ではない」
「あら…となると、どこでしょう?」
このあたりには、レーク以外に水兵の町はない。もちろん、この人がこのあたりの出であるとは限らないけど。
「まあ、もう済んだ話じゃ。それにわしは、もはや故郷の町の名前も思い出せぬ。故郷に未練などないし、今は、この町で密かに暮らしておって、それに満足しておる」
正直、これはどこまで本当かわからない。水兵は、本能的に自分の所属している町に帰りたがるものだ。
「それで、今はこの町で暮らしている…というわけなんですね」
その時、ふと思った。
もしかして、この人なら何か知ってるかも…。
「カディ海賊団…」
私は、自然とその言葉を口にしていた。
「え…?」
「なに…?」
エーリングさんは驚き、老婆も目を見開いた。
「あ…ごめんなさい。何となく言ってしまって」
でも、老婆はそれに強く反応してきた。
「…お前さん、なぜその名を知っておる?」
「やっぱり、ご存知なのですか?」
「うむ…カディの海賊団は、その名の通りカディという男をリーダーした陸の海賊でな。昔、この海を荒らしておった。わしは町にいた時の記憶はあまりないが、奴らのことはよく覚えておる」
「もしかして、若い時に戦ったことがあるの?」
エーリングさんが聞くと、老婆は頷いた。
水兵は5年の命を持っている。この人の年齢はよくわからないけど、たぶん70歳くらいだろう。
それから考えると…カディの海賊団がいたのは、ざっと200年から250年ほど前か。
「それなら、何か教えてくれないかしら」
「なぜ、奴らについて知りたがる?」
「彼らの残党が、このケルバー湾にいるらしいのよ」
「なに…?」
老婆は、ひどく驚いたようだった。
「そんなはずはない。奴らの首領のカディは、かなり前にエルメンドの水兵長リデラに殺された。そして、その後奴らは解散したはずだ」
「リデラに…?」
今の私達の概念からすると、水兵長であるリデラが直々に海賊討伐に出向くとは余程のことだ。でも、もしかしたらその余程のことがあったのかもしれないし、当時は長自らが動くのもそこまで珍しくなかったのかもしれない。
「でも、実際にカディの海賊は今も存在しているのよ。先日レイル海で拘束された海賊がカディの一味を名乗っていたし、ケルバー湾に仲間がいると言っていたから」
「バカな…だが、うむ。もしかすると…」
老いた水兵は、にわかに顔をしかめた。
「お前さんたち、奴らを追うつもりか?」
「ええ」
「ならば…まあ、取り越し苦労かも知れんが…一応、これを持っていくのじゃ」
老婆が手渡してきたのは、小さな金色の短剣。
妙に重たかったから、本物の純金でできているとわかった。
「これは…!?どうしてこんなものを?」
「昔、町を去る時にうちから持ち出したものだ。何のためにそんなことをしたのかはわからんがな…」
「…」
それ以上は喋ってくれなかった。でも、短剣からはなんだか不思議な気配を感じた。
潮の香りも感じたけど、これは長年水兵の手にあったからだろう。
「それと、覚えておいてくれ…わしの名は、ハーメリアだ。またいつか会おうぞ、若き娘よ…」
そう言い残して、老婆はふっと消えた。
「消えた…?」
「不思議な老人だったわね。なんとなく、水兵の長みたいだった」
そう言われると、確かにどことなくユキさんみたいな雰囲気を感じる人だった。町を出たと言ってたから、長ではないだろうけど。
ハーメリア
アイゼスの町に暮らす年老いた水兵。
外見からすると70代あたりと思われるが、正確な年齢は不明。
水兵ではあるがそれを自分から言うことはなく、出自を語ることもしない。
右腕を失っており義手をつけているが、過去に何があったのかは不明。
その詳細はまったくの謎に包まれている。




