海娘
目が覚めた時、俺は広い青空を見上げていた。
一瞬、ああやっぱり死んだか…と思ったが、両手両足に感じた感触から違うと判断した。
やたら暖かく、ザラザラとした細かい感触…それは、まさしく砂だった。
跳ね起きて辺りを見渡すと、どこかの砂浜のようだった。
黄色っぽい砂が広がる砂浜に、俺は倒れていたのだ。
「どっかに漂着したパターンか…」
思わず、そう呟いた。
しかし、渦潮に巻き込まれてどっかに漂着とは…悪運が良いというか、なんというか。
辺りに雪はない…というか、むしろ暑いくらいだ。
その気候と辺りの光景から、現在地はなんとなくわかる。東ジークの南東には、シェナー諸島と呼ばれる温暖な気候の島々があるが、おそらくその近辺のどこかだろう。
となると、かなりの距離を流されたことになる。ジークでシェナー諸島に一番近いのはレークだが、そこからでも直線で800キロは離れているからだ。
「…」
砂をほろって立ち上がり、辺りを歩き回ってみたが、アレイや朔矢はいなかった。
そして、ここは小さな島のようだった。
植物は多少ある。茂みもあり、木が何本か生えているが、それ以外には何もない。
更に、海を見渡しても近くに他の陸地はない。
これは…しばらくここでサバイバルすることになりそうだ。
とりあえず適当な木材を集め、魔法で乾燥させてから火を起こした。
本来なら水を優先すべきなのだが、敢えてこうしたのにはわけがあった。
シェナー諸島の浮かぶ暖かい海、エルデア海。この海域には、水兵の亜種がいる。
彼女らは水兵同様、陸の者に友好的で、もし漂流者や難破船を見つければすぐに救助し、最寄りの陸地まで運ぶ。もし助けられなければ、死体を埋葬した上で簡易的な墓の建立も行う…と聞いたことがある。
だから、焚き火で上がる煙を狼煙代わりにし、気づいてもらえないか試してみる。
そりゃ、すぐには見つからないだろうから、水だけ確保しておく。
その辺にある石を魔法で加工してコップを作り、海水をすくう。
そして再び魔法を使い、海水を真水に変化させる。
こういう時に飲む水は、なんとも言えない味だ…不安と希望とが入り混じった、奇妙な味。
島を見て回った感じ食糧はどうにもならなそうだが、まあよかろう。水さえあれば、しばらくは生きられるし、飢えには慣れている。
手頃な洞窟も見つけたし、雨風を防ぐことはできるだろう。服は…まあ、この気温と天気なら、しばらくすりゃ乾く。
あとは…なるべく早く、見つけてもらえればいい。そのためにも、火を絶やしてはならない。
煙を出すため、あえて乾燥させきっていない木や水につけた木を火に投げ込んで狼煙を上げ続けた。
それから、わずか数時間後のことだった。
日差しを浴びながら焚き火を燃やしていると、突然声が聞こえた。
「おーい!大丈夫ー?」
声の方を見ると、ああなんたる幸運か、どことなく水兵のような雰囲気を漂わせる2人の女の海人が、浜から5メートルほど離れたところから顔を出していた。
「…ああ!君たちは、このあたりの海人か?」
「うん!煙が見えたから、来てみたのー!」
「ならよかった…助けてくれ!」
「今行く!」
海人は潜り、数秒後に浜から上がってきた。
肌が茶色く、髪は金色で、なんとなく南国っぽい柄の服を着ている。帽子も被っているが、それも明るく鮮やかな色のカンカン帽…まさしく、熱帯の水兵だ。
「火を起こしててくれてよかった。目印になって、遠くからでもわかったよ」
「よかった…狼煙になるかと思ってやってたんだが、うまくいったみたいだな」
「え…もしかして、私達のこと知ってた?」
「噂程度にな。この辺りの海には、水兵の亜種が棲んでいる…ってな」
シェナー諸島近海の、限られた海域にのみ棲息する水兵の亜種。その大陸での呼び名は、たしか海娘…だったか。
水兵とはまた異なった文化を持つ彼女らは、水兵と同じく陸の者に対して友好的で、気さくな性格の海人であると聞く。
「亜種…か。私達は「海娘」って呼ばれてるんだけど…まあ、いいか。とにかく、見つけられてよかった。あ、そうだ、何か傷を負ってる?泳げそう?」
「ああ、大したことはなさそうだ。泳ぐのは…まあ、できそうだな」
「ならよかった。私はマーレン。あなたにも力をあたえるから、一緒に泳ごう!」
「そうか。俺は龍神だ。水兵と一緒にいたんだが、流された時にはぐれちまったみたいでな」
「水兵と…?それでよく生きたまま漂着できたわね。私はサレー。さあ、行きましょう。私たちの集落に!」
2人に手を引かれて海に入り、そのまま泳ぎだす。
「ついた!」
彼女らに連れてこられたのは、見事な山がそびえる島。
その、麓の集落だった。
「ここは…?」
「私達の集落。とりあえず、広場で傷を診る。こっちに来て」
ついていった先で、テーブルとセットになったベンチに座らせられた。
「ここで待ってて。治療が出来る人を連れてくるから」
そう言って、2人はいなくなった。
片方だけでよかったような気もするのだが…。
それからしばらくして、2人は新たに一人の海人を連れてきた。
やはり明るい色の、ストライプ柄の服を着ており、白とピンクを混ぜたような色の帽子を被った、青目の女の海人だった。
「彼よ」
片方に言われ、そいつは俺を見てきた。
「まあ…確かに見かけない格好ね。あなた、本土の方から来たって本当?」
「ああ。…わけあって数人の仲間と海を探索してたんだが、渦潮に呑まれてな。気づいたら、あの島に漂着してたんだ」
「そういうこと。私はエスピナ、この集落の医療担当よ…どこか、痛いところはある?」
「ない。だが、万が一ということがあるし、この日差しの中長時間漂流してたから、日光やけどを負ったかもしれん」
両手と両腕を見ながら言った。
それで気づいたのだが、両手が真っ赤になっていた。どうやら、日光やけどをしていたようだ。
「少なくとも、その両手は治療が必要そうね」
「気づかなかった…痛みがなかったからな」
「日焼けして痛みを感じないって…まあ、いいわ。とにかく、治療を開始しましょう」
そうして、治療が始まった。
彼女の治療は、回復魔法を使うというシンプルなものだった…が、それとは別に何かの術を使っていた。恐らく、体に他に損傷している部分がないか調べるためのものだろう。
その結果、日焼け以外にこれといった傷はないとわかった。
そしてその日焼けも、両手と顔だけで済んでいた。
「軽度の日焼けってところね…しかし、痛みを感じないなんてすごいわ」
「昔から、痛みを感じにくい体質でな」
「そうなの。でも、漂着した後に狼煙を上げるなんてよく考えついたものだわ」
「このあたり…シェナー諸島近海の海域にいるっていう海人の話を聞いてたからな、もしかしたら気づいてくれるかも…って思ってな」
「あら、それは光栄ね。…ところで、元々水兵と一緒にいた、と聞いたのだけど…そうなの?」
「ああ。気づいた時には、もうはぐれちまってたけどな。てか、結局あんたらは水兵の亜種なのか?」
「それね…よく勘違いされるんだけど、私達は水兵の『亜種』じゃないの。確かに文化は違うけど、元々私達の始まりはレークの町を出て南下して、この辺りの暖かい海に住むようになった水兵なの。だから私達は、水兵『そのもの』なのよ」
「あ、そうなのか?見た目は結構違うが…」
「私達の祖先がこの海域に来たのは、5000年くらい前だからね。そこから少しずつ、時間をかけて独自の文化を築いてきたのが、今の私達なの」
「へえ…てことは、海娘って呼び名は間違ってるのか?」
「いや…そこは微妙なところなんだけど…とりあえず、寒い海にいるのが水兵、暖かい海にいるのが海娘、っていう認識でいいと思う。多くの陸人はそう思ってるし、かく言う私達はもう長いこと水兵に会ってないから」
まあ、それは仕方あるまい。海は繋がっていると言えど、距離が遠く離れている。
「そうか」
そんな会話をしているうちに、治療は終わった。
両手と顔が赤くなる日焼けも一瞬で治してくれるあたり、彼女の魔力には脱帽だ。
「それじゃ、長の所に行きましょっか」
統治者の事を長と呼ぶあたり、本質的には水兵と変わらない種族なのだと認識させられる。
「行かなきゃないのか?」
「私達の集落では、漂流者や海難者を助けたら長に報告して、その本人を連れて行くことになってるの。まあ、悪い人じゃないから大丈夫でしょ」
そう言われても、不安が残る。
まあ、水兵と変わらない種族だというのなら…大丈夫なような気もするが。
ところで、アレイたちは無事だろうか。
一段落ついたら、彼女らを探しにいかねば…。
とにかく、今はここでの諸々のイベントをこなそう。
そのためにも、俺は不安を押し切って3人について行く。
異人・海娘
読みは「かいこ」または「うみむすめ」(ただし「うみむす」と呼ばれることもある)。ジークの南東に連なるシェナー諸島及びその近海に棲息する海人の一種。水兵と同様地上に集落を築いて生活し、女性のみが存在する。
その風貌と文化から南方系の水兵の亜種とされているが、実際には町を離れて温暖な地方の海に移り住んだ水兵がルーツであり、厳密には水兵の亜種ではない。




