反逆者の樹海
シルトさんは、私達がブイクタの樹海へ向かうこと自体には何も言わなかったけど、そこへの道中にあるカフアン山という山を越えることに不安を感じているようだった。
「カフアン山は標高2500mを越える岩山よ。今の時期に、あの山を越えるのは危ないわ」
「でも、樹海に行くにはそこを越えるしかないんだろう?今は飛べるわけでもないしな」
「あなたはまだしも、アレイさんにはちょっときついんじゃないかしら」
シルトさんは、私の心配をしてくれているようだ。
でも、それは杞憂というやつだ。
「それなら大丈夫です。私、これまでにも何度か高い岩山を登ったことがあるので」
「あら、そうなの?」
「ああ…そう言えばそうだったな。アレイは今回の旅の中で、少なくとも二回は山登りを経験してる。大丈夫だろうよ」
「それならいいんだけど…くれぐれも無理はしないようにね。カフアン山に決まった登山ルートはないけど、ある程度登りやすくなってる所が随所にあるから、そこを登っていくといいでしょう。下山の時は特に気をつけるのよ」
「はい。じゃ、今日は宿で休んでから向かおうと思います」
実は、裁判で戦ったときの疲労がまだ取れていなかったのだ。
それを龍神さんに伝えたら、快く宿を取ってくれた。
翌日、私達は町の東へ向かった。
そこに、今回越えるべき山と向かうべき樹海がある。
町の中からも、山頂が雪に覆われているその姿が見えてはいたけど、近づいてみると結構大きな山だ。
ニラルの山よりは、間違いなく大きい。
ミゴルの山とは…どうだろう。それはわからない。
でも、この山にはしっかり雪が積もっている。それはニラルの山と同じく、きれいに真っ白くなっていた。
「よし…じゃあ、登るか」
「待ってください」
私は左手を肩に当てて魔力を循環させ、術を唱えた。
「[芯核熱]」
体の中心から熱を発生させ、体を内側から暖める。以前、ヤトラの樹海で使ったのと同じものだ。
これで、寒さは平気になるだろう。
「おお…これは」
「以前使ったのと同じ、体を暖める術です。本来は低体温症や凍傷を治すための術なんですが、防寒にも使えるんですよ」
「へえ…太陽術って、こういう時には便利だな」
確かにそうかもしれない。
なお、今の私は中級のものまでならほぼ全ての、上級のものは一部の太陽の術を使える。
以前取り込んだ男が身に着けていたものそのままで、自力で新たに習得したものはない。でも、このままでも十分だと思う。
体が暖かいので、寒さを感じないだけでなく手足が雪に濡れてもまったく冷たくない。
そのおかげで、過酷な雪山も楽に登ることができた。
私は、自分でも意外なほど体力がついていたようで、大して疲れることはなかった。
山を登り切り、山頂からブイクタの樹海を見下ろした。
ヤトラの樹海より明らかに広く、上空には不穏な雲がかかっている。
雪が降っているようには見えないけど、いつ降ってきてもおかしくないだろう。
「なんか、降ってきそうですね…」
「だな。…あっと、もう昼か。食うもん食ったらさっさと降りよう。夕暮れまでには樹海に入りたいな」
「はい」
そうして昼食を食べ終えた私達は、速やかに樹海目指して下山した。行きよりは傾斜が緩く下りやすい道が続いたのでよかった。
山頂まで登るのには3時間ほどかかったけど、下山には2時間半ほどかかった。
まあ何にしろ、日が暮れる前に山を越えられたからいいとしよう。
山を下りてすぐの樹海の入口に立ち、龍神さんは呟いた。
「…で、ここのどこにいるんだ?」
「どこにいるか、と言われても…あっ」
私は、少し左側の木に巻かれた白色の紐を指さした。
「あれをたどって行きましょう」
「あれって…ん、紐か?なんでこんなところに?」
「ただの紐じゃありません。あの紐には、シエラの魔力が込められています。だから、彼女らがここに来てから何千年も経った今でもああして存在しているんです」
「なるほど。確かに、普通の紐ならとうに消えてるだろうな。てか、待てよ?木はさすがに変わってるよな?」
「ここの木は、どれも樹齢1万年を超える長寿の木々ばかりです。なので、全て当時と同じ木だと思います」
「そ、そうなのか…」
「今生きている反逆者は当時の反逆者の子供だそうですが、引っ越したりはしていないでしょう。そしてあの紐は、かつて私達と同じようにここから樹海に入ったシエラ達が、目印として結んでいったものです。なので、あれをたどれば反逆者のところへ行けるはずです!」
「おお!なら、話が早いな」
「まあ、もしかしたら途中で消えてるものもあるかもしれませんけど…その時は、私が過去を見ます。なので、安心して進みましょう」
それからは、とにかく紐の結んである木を辿っていった。
元が白い上に魔力が込められているので、どれも色褪せたり風化したりしている様子はない。
まるで、昨日結ばれたかのようにきれいな状態でそこに存在していた。
ところどころ紐が見当たらない…という状況になることがあったけど、その時は私が過去を見た。
そうすれば、今は木々の幹や枝に埋もれてしまっていて見えない紐も、かつてどこに結ばれたのかがわかり、ゆく道がわかる。また、今は木や植物で塞がっている道もわかる。
こういう時には、私の異能は便利だ。
ちなみに以前何かの本で読んだことがあるのだけど、私の『追憶』と同様の能力を持つ異人は過去にもいたらしく、その当時は「サイコメトリー」と呼ばれていたらしい。
その性質は、名前は違うけど私の異能とほとんど同じものだ。
ただ一つ違うのは、対象のすべての記憶を読み取れるわけではないということ。
無生物には記憶を司る器官が無く、最も印象が強い記憶が残りやすいのが理由らしい。
となると、私のこの異能は昔の人より優れているのだろうか。
「おっ、あそこっぽいな」
樹海に入ってから約1時間。
私達は、ついにそれを発見した。
それは樹海の中にぽっかりと口を開けた洞窟だった…途中で下に向かって曲がっており、覗き込むと奥が見えないほど深い。
木々に結ばれた紐はここで終わっている。また、過去を見てみても彼女らがここに入っていく姿がはっきり見えた。
「この奥に、反逆者が…」
「ああ。しかし、少しばかり緊張するな…」
龍神さんの口から緊張する、なんて言葉が出てくるとは思わなかった。
でもまあ、当然か。彼からすれば、自分と同系統の最上位種族に謁見するのだ。粗相のないようにしなければ…という気持ちになるのは自然なことだろう。
私だって、彼と同じ気持ちだ。
相手は、古くから伝説上の存在として知られている存在。
確実に存在するという明確な証拠がまともに見つかっておらず、本当に実在するのかすらも疑われていた…そんな異人に、出会おうとしているのだ。緊張しないわけがない。
しかし、ここで固まるわけにはいかない。
意を決し、私達は洞窟に足を踏み入れた。




