忘却の人物
過去を見て驚いた。
この魔女は、間違いなく元々はメドルアの城の玉座に座り、長らくこの国を治めてきた。
この人は、何も嘘など言っていなかった。
彼女がメドルアの皇魔女であるという話は、嘘ではなかったのだ。
それだけではない。
彼女は、過去に私達と会っていた。
私は全く覚えがないのだけど、この人と私達はマドール城の玉座の間で、話をしている。
それも、さして遠くない過去に。
その時に彼女が名乗った名前を、私は口に出した。
「スレフ・ジニマス…」
すると、彼女は顔を上げた。
「今、私の名前を呼んだか?」
「え、ええ…」
彼女は顔をほころばせ、歓喜の声を上げた。
「あ、ああ…
やっと、やっと私の名前を…!」
笑顔になったのも束の間、すぐにまた泣き出した彼女に、龍神さんが苦笑いをした。
「おいおい、泣いてばっかじゃ訳がわかんないぜ」
魔女は、涙を拭った。
「ひぐっ…龍神…だっけか。お前も私の事は知らないんだな?」
「あ、ああ…今アレイが見せてくれたおかげで、あんたの話が嘘じゃないって事はわかったが…」
「当たり前だろ!私は、嘘なんか何も言ってない!
私は、このメドルアの皇魔女、スレフだ!」
これは…
ちょっとよくわからないけど、とりあえず彼女がおかしいのではなく、私達が彼女の事を忘れている?という事のようだ。
「落ち着いてください。…申し訳ないんですが、私もあなたの名前がわかっただけで、あなたの事自体を思い出した訳じゃないです」
魔女は、ため息をついた。
「…でも、無視されるよりずっとマシだ。
ありがとうな、私の名を呼んでくれて」
「いえいえ。とりあえず、国に入りましょう。
スレフさんのことは、私から説明します」
「そうか…うっ…本当に…ありがとう」
門前の警備員には、過去を見せつつ説明した。
二人は狐につままれたような表情をしながらも、とりあえず納得してくれた。
そして、スレフさんを連れたまま手当たり次第に歩き回った。
こうすれば、エーリングさん達に会えると思ったからだ。
なぜ彼女に会おうと思ったかというと、さっきスレフさんの過去を見た時に気になるものを見たからだ。
数日前の夜中の事だ。
スレフさんは、窓を締めて寝ていた。
そんな中、青白く光る小さな四角形の何かが、外から窓をすり抜けて部屋に入ってきた。
そしてそれは、スレフさんの近くでしばらく浮遊した後、彼女の左の頬にすっと入り込んだ。
直後、スレフさんは目を覚まし、頬を触ったけど、何も変化がなかったので気にせず、また寝てしまった。
彼女を私達が忘れてしまったのは、これが原因だと思う。
でも、一体何が起こったのか全くわからない。
なので、エーリングさんを見つけて意見を伺おうと思ったのだ。
程なくして、エーリングさん達の部隊を見つけられた。
「あ、いたいた」
「エーリングさん!」
私が声を張り上げると、エーリングさんはこっちを見て、すぐにスレフさんに気づいた。
「ん…お前だな、例の魔女は!」
「エーリング…」
スレフさんは、悲しげにつぶやいた。
「…お前、なぜ私の名を知っている!どこで私の名を聞いた!」
「聞いたも何も…私達は長い仲だろ…お前のとこに何回も魔法の講師として行ったじゃないか。
頼むよ…思い出してくれよ…」
でも、エーリングさんは冷たかった。
「何を訳のわからないことを!私はお前など知らんわ!」
槍を抜き出したので、私が事情を説明した。
「…待ってください!」
私が経緯を説明すると、エーリングさんは唸った。
「うーむ…
とするとこいつではなく、我々がおかしいと言うことか」
「おかしい、というか…少なくとも、この人は何も間違った事を言ってはいません。
理由はわかりませんが、私達が彼女をきれいに忘れてしまった…という事かと」
「ふーむ…」
とその時、一人の騎士が走ってきた。
「隊長!」
エーリングさんは、彼の方を向いた。
「どうした?」
「城で聞き込みを行ってきたのですが、数日前の深夜、城の周辺を飛び回る奇妙な光が目撃されたそうです」
「奇妙な光?…詳しい事はわかるか?」
「はっ、なんでも、青白い光を放つ小さな物体だったとの事です。
それはしばらく飛び回った後、ある部屋に窓をすり抜けて侵入したと…」
私だけでなく、全員がピンときた。
「どこの部屋だ?すぐに調べよう」
光が窓に飛び込んだという城の一室へ来た。
スレフさんは「ここは私の部屋だ!」と言い張ってたけど、城の人達はみんなそんなことはない、ここは長い間空き部屋だ、と言っていた。
でも、過去を見るまでもなくわかった。
スレフさんは、嘘なんか言ってない。
ここは、紛れもなくスレフさんの部屋なんだ。
「ふーむ…」
窓やベッドを調べながら、エーリングさんは唸る。
「隊長、何かわかりましたか?」
「いや、何も…」
ここで、エーリングさんははっとして、スレフさんに尋ねた。
「数日前、お前は確かにここで寝ていたのだな?」
「ああ」
「ならば、最後にここで寝た日の夜、何か変わった事は起きなかったか?」
「変わったこと…あ!」
スレフさんは、手を叩いた。
「そうだ…うっすらとだけど、変な青白い光が見えたんだ。それでその直後、頬に変な感じがして…」
私が見た過去を、そのまま話してくれた。
するとエーリングさんは、「やはりそうだったか…」とつぶやいた。
「そうだった、って?」
龍神さんが聞くと、彼女は言った。
「スレフ、すまなかった。今回の件は、お前に非はない」
「え、どうした、急に…」
「お前が見た光の正体は、恐らくイロールという異形の一種だ」
「えっ!?異形!?」
「ああ…イロールは青白い光を放つ、2センチほどの小さな異形だ。
こいつは、人や異人に寄生するタイプの異形でな…寄生されると、周囲の人々に永久かつ完全に忘れられてしまう」
そういう事だったのか。
どうりで、どうしても思い出せないわけだ。
「な…!どうすればいいんだ!そいつをどうにかしてこの体から追い出せないのか!?」
すると、龍神さんが口を開いた。
「一応、不可能ではないはずだ…」
「本当か!?」
「ああ。ただ、とにかく根性が必要だ」
「…どういう事だ?」
ここで、再びエーリングさんが喋る。
「イロールは、宿主の心身が激しく傷つき、壊れる寸前になった時、宿主の体を捨てる。
つまり、お前の体と心、両方を痛め付ける必要があるのだ」
つまりは、すごく痛くて辛い思いをして耐えなければならないのか。
まさしく、根性が必要な事だ。
でも、スレフさんは迷う事なくこう答えた。
「…やってやる!このままみんなから忘れられたままなんて、絶対にごめんだ!」
エーリング・ホーレイ
レザイ王立騎士団において元帥の階級に就いている魔騎士で、輾羽の直属の部下の一人。
槍、弓、短剣、術を見事に組み合わせた圧巻の戦術と、心優しい性格で多くの団員から尊敬と信頼を集めている。
戦闘時は騎士らしく荘厳とした口調と態度だが、プライベートでは一気に打ち解け、柔らかで優しい女性となる。
異様な程に長い金髪のポニーテールが特徴的で、その顔立ちとスタイルもとても美しい。
年齢は不詳だが、少なくとも8000年は生きていると思われる。




