樹海へ
ヤトラ樹海…
フルスの北、ヤトラ平原の真ん中にある、高い木々によって形作られた、自然の大海。
そこに、俺達は入ろうとしていた。
「うぅ、寒い…こんな所に、吸血鬼なんているんでしょうか」
アレイが震えながら言う。
寒さがきつく、雪もかなり積もっている。
樹海の中に、動物の気配は全くない。
しかし、その木々の合間からは確かに感じる…
アンデッドの匂いを。
「ああ、間違いなくいるぜ…」
入る者すべてを拒むかのように生い茂ったツルと枝を切りつけてみたが、刃が食い込むだけで切れなかった。
なので、適度にかきわけ、その隙間からうまいこと中に入る。
厳しい寒さにも降り積もる雪の重みにも耐えているそれは、刃にも耐えられる強靭さも合わせ持っているようだ。
「冷たっ!」
朔矢が、ツタに積もった雪に触れて悲鳴をあげた。
「そりゃ冷たいさ…」
冷静に喋ってるが、正直めちゃくちゃ寒い。
腕や顔に触れる雪が冷たい。指がかじかむ。
このままだと霜焼けにもなりかねないし、何より戦いに障る。
そこで…
「アレイ、体を温める術ってないか?」
俺達の中で唯一、太陽術を使えるアレイに頼る事にした。
「ありますよ。…[芯核熱]」
アレイが術を使うと、体が文字通り芯から温まってきた。
「…なんか、暖かくなってきた」
「これで、もう寒さは気になりませんよね?」
「そうね。さあ、行きましょう」
ヤーロの古城は樹海の中央にある。
方角は、星気霊廟で手に入れた地図で知る。
白い矢印が現在地と向き、赤丸が目的地。
これを見る限り、このまま直進すればいいようだ。
「何?地図?」
朔矢が身を乗り出してきた。
「ああ、星気霊廟で手に入れた地図だ」
「ふーん」
朔矢は、しばらくそれに記された丸を眺めて言った。
「もしかして、現在地と目的地を映し出してくれてるの?」
「そういう事だ。たぶん、これも元はシエラが使ってたやつだろうな」
「へえ。…これ、もしかして『導きの地図』ってやつじゃないかしら?」
「導きの地図?」
「話に聞いた事があるの。始祖の七つ道具の一つで、特殊な魔法がかけられた地図。所有者の居場所と行くべき場所を映し出して、真なる目的が完遂されるまで案内する…らしいわよ」
なるほど、確かにこの地図に当てはまっている。
しかし、真なる目的とは?
「導きの地図…ねえ。てか、この黒丸は何なんだろうな…」
そう、言いかけて止まった。
地図中の黒丸は、全部で7つ。
それらは大陸のあちこちにあり、そのうち2つは色が薄くなっている。
俺は、薄くなってる黒丸の配置に、何やら見覚えがあるような気がした。
まあ何か確信がある訳ではないが。
ツタが切れないな…なんて思いながら進んでる途中、朔矢が旋刃盤でツルを切っているのを見て、ふと思い出した。
「[焦電熱]」
…そうだ、武器に電気を流して熱する技があったんだ。
熱した刀を振るうと、あっさり切れた。
これなら、たとえアレイが植物を切れなくても問題ない。
まあ、当のアレイは植物を瞬間的に凍らせて砕くという荒業でツタを消していたが。
草をかきわけ、ツタや枝を切って進むこと一時間。
「ねえ、アレイ」
朔矢が話しだした。
「はい?」
「この前、昔負の吸血鬼に襲われた時、星羅こころの力を解放して追っ払ったって言ってたじゃない?」
「ええ」
「その時、具体的に奴のどこを斬ったって言ってたっけ?」
「翼と顔です。…あ、正確には右の翼と、左の目のあたりです」
「そう」
ここで朔矢は俺の方を見、
「決まりね」
と言ってきた。
「うむ、間違いないな」
実は、俺にも彼女の話に出てきた吸血鬼の正体は見当がついていた。
「あの…お二人は、あいつについて何か知ってるんですか?」
「そりゃ、知ってるさ…」
「ジークの吸血鬼狩りで、あいつの事を知らない奴はまずいないわよ…」
アレイの頭上に「?」マークがポンポンポンと浮かぶのが目に見えるようだったので、詳しく説明した。
「奴は、名前をグラス・ベクセリアという。君の予想通り、アビス階級の負の吸血鬼だ。
だがな、あいつは…元々は俺達と同じ、吸血鬼狩りだったんだ」
「えっ!?吸血鬼狩りが、吸血鬼になったって事ですか!?」
「そうだ。奴は凄腕の吸血鬼狩りとして有名だったんだが…最後の最後で、選択をミスったのさ」
「どういう事ですか?」
ここで、朔矢が解説にまわった。
「グラスは、カタルシスっていう吸血鬼狩りのボスだったの。で、単身でこの樹海に住み着いてた吸血鬼ニリ・ベクセリアを倒しに向かった…つもりが、奴を好きになっちゃって、そのまま負の吸血鬼になったのよ」
「吸血鬼狩りが、負の吸血鬼に恋をするなんて…」
「信じられないでしょうね。でも、本当の話よ。
もちろん、絶対に許されない事よ。あいつは吸血鬼狩りとして…というか、生者としての禁忌を侵したと言えるわね。
あんた達の間でも、自らアンデッドになる事は禁忌でしょ?」
「それは…まあ…」
「バカなやつよ、本当に。吸血鬼狩りだったからには鋼の精神を持ってたはずだし、自分は一番相手に屈しちゃいけない立場だってこと、わかってたはずなのにね。
あたしが言えた義理じゃないかもしれないけど、女に負けて屈するなんて、吸血鬼狩り失格よ。
でもまあ、実力は本物だったんでしょうね。だから、アビスの吸血鬼になれたんだろうし」
「アビスの吸血鬼って、そんなに強いんですか?」
初歩的な疑問だが、アレイは知らなくても無理はない。
「ああ。まず、負の吸血鬼には階級ってのがある。
そしてそれは、シャドー、ダーク、ディープ、アビスの順になっていて、後のものほど強くて数が少ない。んで各階級の連中についてだが、シャドーはその辺にゴロゴロいるやつらで、ダークの連中はシャドーより少し強い、リーダー的な存在だ。
まあ、この辺までなら下級の異人でも倒せなくもないレベルだろうな。
ディープはダークの上の中堅的な立ち位置で、下級種族だとキツいだろうが、中級種族…まあ具体的には守人、賢者、聖騎士あたりなら何とかできるだろう。俺達の普段の仕事で出てくる吸血鬼の群れのボスは、大抵このランクの連中だ。幽霊船にいたキャルシィの母親も、これになってたよな。
そしてアビスは、ディープのさらに上…負の吸血鬼のトップと言える階級だ。このランクの奴らは、本当に少ない。何なら、俺でも数える程しか見たことがない。
だが、奴らは総じて獰猛で利口だ…間違いなく、ディープより遥かに強い。上位種族で、かつ熟練の吸血鬼狩りでも、下手をすれば命が危ない。場合によっては、再生者や司祭とタメを張れるレベルの奴もいる」
再生者と聞いた途端、アレイははっとしたようだった。
彼女にとって、再生者は一番身近な高位のアンデッドだ。
故にそれと同等と言われれば、その強さが容易に想像できるのだろう。
「そんなの、私達で倒せるんですか…?」
「倒して見せるさ。それに、俺は今まで何回も、一人でアビスの奴らを倒してきた。今度は仲間もいるんだ、まず負けやしないさ」
「てか、あたしも何回か仕留めたことあるからね?」
すると、アレイは驚いたようだった。
「え、朔矢さんが?」
「そうよ。…何?意外だな、みたいな言い方して」
「い、いえ、そういう訳では…」
話をしてる間に、地図に示された赤丸と白矢印がくっついた。
そして、目の前に古ぼけた城が現れた。
「ふたりとも、着いたぞ」