灯台
空気が冷たく、気持ちのいい朝だった。
町中に繰り出してすぐ、雪が舞い出した。
寒いけど、空気が澄んでいる。
風もなく、ひらひらと舞う雪の中を行く。
「今の時期、漁とかするのか?」
「もちろんです。私達は冷たい水は平気なので、一年中漁をしてますよ」
「アレイはしたことあるのか?」
「ありますが、私はあまり得意じゃないです」
「水兵なのに、か?」
やっぱりそう言うか…。
彼もそう言うという事は、水兵もとい海人は漁が出来るものだというイメージは根強いらしい。
「…水兵にも、漁が得意な人とそうでない人がいます。私は、たまたま後者だっただけです」
私は、正直ちょっと怒った。
昔からよく言われてたことだったから。
「…そうか、ごめんな」
その時、町全体に大きな鐘の音が響き渡った。
「なんだ?」
「今のは…時報ですね」
時刻はちょうど8時だった。
「時報?」
「この町では、昔から朝の4時と8時、昼の12時、夕方の4時に灯台の鐘を鳴らして、町全体に時間を知らせているんです。
今までにも聞いたことありましたよね?」
「…そういや、前もあったな。
その灯台ってのはどこにあるんだ?」
「この道を、もう少し行くと見えるかと」
少し進むと、左奥に灯台が見えた。
白い石材で作られた、高い塔のような建物。
それこそ、私達の町のシンボルであり、夜の海を照らす重要な施設、リーラ灯台だ。
「おっ、見えた。あれだな?」
「はい。せっかくですし、行ってみますか?」
「え、中に入れるのか?」
「ええ、誰でも入れますよ。灯台守にさえ承諾をもらえれば」
「灯台守とかいるのか…。ま、行ってみるか」
「じゃ、行きましょう」
リーラ灯台へはそう遠くない。
実際、5分ちょっとで着いた。
「ちょっと待って下さいね」
先に灯台の中に入り、灯台守の水兵…シャレオさんに声をかける。
「シャレオさん」
「あら、アレイ。おはよう」
「おはようございます。今から龍神さんを灯台に入れたいんですが、大丈夫ですか?」
「ええ、別に構わないわよ」
「ありがとうございます」
外に戻り、彼を呼ぶ。
「入って大丈夫みたいです」
灯台に入ると、すぐにシャレオさんが出迎えてくれた。
「久しぶりね」
「あんたは…。そっか、あんたがここの灯台守だったのか」
「そうよ。私がここの灯台を管理しているの」
シャレオさんは、鮮やかな金髪に金色の瞳を持ち、長身でスタイルのいい水兵だ。
年齢は、たしか22歳。
私がレークに来た時よりも前から、この灯台にいる。
「なに?今はレークに一時帰還してきた感じ?」
「まあそんなとこだ。そんで、せっかくだから色々見て回ろうと思ってな」
「なるほどね。じゃ、上へ行きましょう」
その時、龍神さんはあたりを見渡して言った。
「あれ、もしかしてここに住んでるのか?」
「ええ。住み込みで働いてるの」
「へえ…てか、ずいぶんきれいだな」
灯台内部にはベッドやテーブル、椅子、ランプなど、生活に必要な最低限のものしかない。
「当然でしょ?ここは外部の人も来る所。
それに、私は掃除や整理整頓は割と得意だからね」
「羨ましいな、まったく」
彼は整理整頓とか出来ないタイプなのか。
そう言えば彼、料理も出来ないって言ってたっけ。
私が彼と同棲したら、色々やってあげられそうだ。
「さあ、来て。上を見せてあげる」
螺旋階段を登った先の部屋には、灯台の燃料に使う灯油がたくさん置かれている。
「これは?」
「灯油よ。灯火の燃料に使ってるの」
「え、未だに灯油灯なのか?」
「ええ。このあたりの海底では石油がたくさん採れるし、何より灯油が一番効率のいい燃料だからね」
「え?…あ、もしかしてそういう魔法か?」
「そうそう。昔、この町で燃料って言えば石油か鯨油しかなくてね。ここの灯火には、それらの燃料を使った灯火でも明るくできる魔法がかけられてるのよ」
「灯油か…ずいぶん古風だな」
この世界では、ここ数百年間はセリ油と呼ばれる油が主流で、石油はあまり使われていない。
「さあ、灯火を見せてあげるから、もっと上に行きましょう」
登る途中でまた部屋があった。
その中には、大量の木箱や樽があった。
「おっ、すごい事になってるな。物置か?」
「いえ、ここは食糧庫」
「え、これ全部食べ物か?」
「そう。私は…まあ、大食らいだからね」
シャレオさんは、私達の中でも随一の大食いだ。
なので、このくらいないと足りないのだろう。
まあ、あの細い体のどこにそれだけの物が入るのか、そしてなぜそんなに食べても体型を維持できてるのか、は気になる所だけど。
「へーえ?」
龍神さんは、にやりと笑った。
「その割には痩せてんなあ…あんた、一体どういう体の構造してんだ?」
「な、何よ!別にいいでしょ!」
「ま、体質的なもんかもしれないしな、そこは気にしないでおくよ」
「…賢明な判断だわ」
そして、ついに灯火のある屋上まで登ってきた。
龍神さんは外を見ながら「おぉ…すげえ…」と唸った。
「どう?いい眺めでしょう?」
「ああ。町も海も全て見渡せるじゃないか」
「海はまだまだ広いけどね。
でも、町を一望出来るのはいいわよね」
町全体を眺められる場所は数える程しかない。
ここはそのうちの一つであると同時に、一番海に近い場所だ。
私は水兵になってからそうなのだけど、海を眺めると心が落ち着く。
種族としての故郷だからだろうか。
この灯台から見える地平線よりさらに向こうの海…
そこを渡った先には、きっと新しい大地があって、見たこともない異人が住んでいるのだろう。
そう考えると、どうしようもなくわくわくする。
「で、これが灯火だな?」
丸い金属の枠に囲まれた、丸く厚いおぼんのような入れ物。
そこには、並々と灯油が注がれている。
「そう。火は夕方4時につける。
この灯台は200年前に建てられたから、200年間このレイル海を照らし続けてきた灯火よ」
「火はどうやってつけるんだ?」
「これを使うのよ」
シャレオさんは、壁にかけられた赤い長いパイプを持った。
「これは発火筒っていう魔法道具でね、片方から吹くともう片方から火が出るの」
「ああ、発火筒は知ってる。けど、こんなデカいのは初めて見た」
「でしょうね。これは特注品だもの」
シャレオさんは、パイプを壁に戻した。
「それで、こっちが鐘だな?」
灯火のすぐ横にぶら下げられた、大きな白色の鐘。
龍神さんは、それを指さして言った。
「そう。時報の役割を果たしてる、大切な鐘。
こっちもこの灯台が建てられてから、200年間ずっと毎日鳴らされ続けてる」
「今は時計もあるんだし、時報なんか鳴らす必要あるのか?」
「海にいる子にもわかるようにしてるのよ。
海中では、時計なんて使えないでしょ?」
「それもそうか。次はいつ鳴らすんだ?」
「次は昼の12時。昼食の時間を知らせる役目もある。
この鐘はね、この町のみんなの時間スケジュールを管理してると言っても過言じゃないのよ」
「なる、ほど。じゃ、どうやって鳴らすんだ?」
「これで鳴らす」
シャレオさんは、立派な青銅製のハンマーを持ち出した。
「ずいぶんデカいな。あと、よく持ててるな」
「私はハンマー使いだからね、このくらい朝飯前よ」
シャレオさんは、戦いでは私の顔より大きいハンマーを軽々と扱う。
私の知ってる限り、一番の力持ちだ。
「それで、鳴らす時はこれを振りかぶって、思いっきり叩くの!結構ストレス発散になるわよ?」
「へえ。てか今更だけど、あんたは服の帯が緑なんだな。
アレイから聞いたが、位の高い水兵だって本当か?」
「そうよ。制服の帯が緑なのは、町の管理者。各部署で働いてる子達をまとめてサポートしたり、長…つまりユキさんの直属の部下として、色々こなしたりするのが役目なの。
一応、私はユキさんの命でここで働いてるわ」
シャレオさんは、帽子に三本の緑帯がある。
これは、管理者の中でも上位に位置する水兵である証だ。
実を言うと、いつかこの鐘を鳴らせるようになるのが私のささやかな夢だったりする。
この灯台に火を灯し、鐘を鳴らせるのは、管理者階級の中でも優れた実績と経験を持つ水兵だけ。
つまり、この灯台に常駐できるのは上級職の証なのだ。
この町のみんなの生活に深く関わるこの鐘を鳴らし、この海の夜を照らす灯火に火を灯す…
それが出来る灯台守は、私の憧れの職業だ。
「水兵って、意外ときっちりした社会があるんだな。
上下関係とか厳しかったりするか?」
「いいえ。私達の社会は、縦社会に見せかけた横社会だからね。一応の立場の違いはあるけど、基本的にはみんな平等な権力を持ってるわ。
なんなら、アレイが私に口を出しても全然いいのよ。
私達は、相手を差別せず、蔑まず、理解し、助ける種族。だからこそ、50万年もやってこれたのだから」
龍神さんは、大きく息を吸った。
そして、吐き捨てるように…けれど感心したように、言った。
「水兵ってのは、人間よりずっと美しいな」
世界観・水兵の社会
陸地で生活する海人の一種である水兵は、管理者・製造業・接客業などの複数の部署に分かれて一つの町、もとい社会を構成している。
各部署は最も経験と実績のある者を筆頭としており、一見するとピラミッド型組織を形成する縦社会のようだが、実際には階級は経験と実績で分けられているだけで、皆が同等の権力を持つ存在として扱われる横社会。
所属する部署は1ヶ月間各部署を回った後、本人が加入を希望した部署に決定されるが、後から何度でも変更が可能。
水兵は元より自身と異なる者を排除しようとする概念そのものがないため、いじめなどは起こらない。
そのため非常にクリーンな社会である一方、人間のそれとはかけ離れていると言われることもある。