沈没船
北へ向かうと、すぐに目的地が見えてきた。
平坦な海底に沈んだ、木製の帆船。
それは面白いくらい見事に真っ二つに割れていた。
しかし、マストや帆などの諸々のパーツはそのまま残っているし、他に欠けている部分もない。
沈んでどれくらいの年月が経っているのだろうか。
船体はサンゴやら海藻やらに覆われているが、保存状態はかなりいいと思う。
「結構大きいですね」
「船なんてこんなもんだろ」
正規の国や町に属する船は、各自の所属する所の規定に従った形や大きさ、材質で作られ、なおかつそれらの規定を満たした証明としてエンブレムを与えられ、それをマストやら船首やらにつけているものだ。
が、この船にそんなものがあった痕跡は全くない。
商船や貨物船が、モグリでこんな寒い海を渡るメリットは薄いだろうし、おそらくは海賊船だろう。
因みにこの世界での海賊は、そういう名前の異人の種族も存在するのだが…どちらかと言うと人間や他の異人が海賊をやってる場合が多い。
種族でない海賊が出るのは、その水域の国の情勢が不安定な証拠だ。
特に、復活の儀の後はその数が増えたと聞く。
この船に乗ってたのがどっちの海賊かはわからんが。
「この中に、幽霊船を呼ぶアイテムがあるんだな…」
「そうらしいですね…」
船に近づこうとすると、突然船の小窓から何かが出てきてこちらに突っ込んできた。
それは一瞬サメのように思えたが、よく見ると違った。
ワニのようないかつい鱗に覆われ、ヒレがやたらと多い。
驚いている間にアレイが弓で仕留めてくれたので助かった。
「おお、助かった…今のも海人か?」
「いえ、今のは異形ですね。
マリンストーカーと呼ばれる、サメ型の異形です」
「サメ型の異形…か」
「はい。異形としてはそこまで強くもないし、珍しいものでもないですが…いきなり出てくるとちょっと危険ですね。
というか、龍神さんでも不意打ちはされるんですね」
「完全に油断してたからな…」
俺は元々注意力が低いタイプだ。
故に、警戒してない時は普通に不意打ちされる。
…まあ、最悪傷を受けるのはオーケーだ。
死にさえしなければどうにかなる。
「龍神さんは最強格の吸血鬼狩りだと聞いたので、不意打ちなんてまず食らわないと思ってたんですが…意外です」
「俺はそんな完璧じゃねえさ。
てか、そんな話誰から聞いた?」
「姉とかセレン、あと吸血鬼狩りをやってる人たちから聞いてます。お姉ちゃんはともかく、他の人はみんな龍神さんを尊敬していますよ」
「本当に尊敬してるなら、少しでも近づこうと努力したらいいと思うけどな」
「いえ、それはちょっと無理があると思います。
龍神さんは殺人鬼。私達とは根本的に違いますもの」
「それは…まあ…な」
そこは何とも言い返せない。
白水兵ならともかく、真正の水兵は殺人鬼とはまったく別の存在なので、俺に出来るんだからお前らにも出来る、という理屈は通じない。
「まず、船を調べましょう。先程の異形の仲間がいるかもしれないので、気をつけて」
一応船のまわりをぐるりと回ってみたが、やはりそれらしきものはない。
なので、割れ目から船の中に入っていく。
船内には砲弾や木箱、樽などがそのまま残されていた。
船体自体は真っ二つになってるが、外見上は他に目立った欠損もなく内部もさほど散らかっていない様子は、昨日沈んだのかと思わされる。
「ずいぶんきれいだな。
異形さえいなきゃ、観光スポットにできそうだが」
と、アレイは目を閉じて、なにやら神妙な面持ちで両手を合わせていた。
「どうした?」
「この船…」
アレイは言葉を切り、目を開け、
「いえ、今はこれ以上言うのはやめましょう。
まずは涙石を見つけなければ」
と、奥へ進んでいった。
もちろん後を追う。
結果的には、その後は異形に出会う事もなく、船長室らしき部屋にあった箱の中に涙石があった。
それは、白くて丸い、美しい石だった。
「おお、これだな…?」
その石を手に持った途端、何やら言葉に出来ないほど強い悲しみがこみ上げてきた。
「な、なんだこれ…」
「…やっぱり、そうなりますか」
アレイは、意味深にそう言った。
「アレイ、これは一体…?」
「その石は、カランの涙石…。
ご存知ないかも知れませんが、涙石は、海人が深い悲しみに打ちひしがれ、流したその涙が魔力で固まったものです」
「涙石ってそんなものだったのか…
だとすれば、この石は…」
「お見せしながら話した方がわかりやすいですね。
『追憶の走馬灯』」
アレイが能力を使うと、立体映像のように映像が映し出された。
そこには、海を泳ぐ女の海人が映っていた。
「これは…水兵か?」
「いえ、これは水守人という種族の海人ですね。
一応、水兵に近い種族ではあります」
「ほう…」
で、そこから映像を見た限りこういうことだった。
女…カランという名前の水守人は、最初は海で暮らす普通の海人だった。
しかし、ある時偶然見かけた港町の青年ポウルに一目惚れしてしまい、それ以降は毎日のように港に出向いて彼と会うようになった。
そのうち、ポウルもカランを好きになっていった。
やがて、カランは陸に上がりたいと強く願った。
そして、ポウルも海に暮らしたいと強く思った。
しかし、二人は人間と海の異人。
どうあっても一緒にはなれない事は明確だった。
そんなある時、ポウルは閃いた。「海賊になれば、カランのそばにいられるんじゃないか?」と。
当時、その町では海賊になる者が後を絶たなかった。
海賊になりたいとは思わなかったが、カランと一緒にいられるなら、と考えたポウルは、カランにその旨を伝えて海賊となった。
カランもどのような形であれ、これまで陸にいたポウルが海に暮らしてくれる事を嬉しく思った。
かくして、二人は幸せになった…かに思われた。
しかし、現実はそう甘くなかった。
ポウルは海賊。他の船を襲うのが仕事だ。
当然、略奪の最中で血を流したり、王国の軍や水軍に追い回され、襲われる事が度々あった。
ポウルもカランも、これ以上こんなことをしたくなかった。
そして悩み抜いた挙げ句、二人は海を渡ってどこか別の地で生活する事を決め、船を抜け出した。
しかし、他の地にたどり着く前に海賊船に追いつかれてしまった。
ポウルは裏切り者という事で首を搔き切られた。
そしてカランは…。
当時、カランはポウルの子供を身ごもっていた。
彼を連れて別の地へ行こうとしたのにはそういう事情もあったのだ。
しかし、海賊達はカランが子を宿している事を知ると、その腹を真っ二つに切り裂いて赤子を引きずり出し、カランの目の前で焼いて皆で食らった。
ショックを受けたカランは、海賊達の鼓膜を破るほどの泣き声を上げて嗚咽した。
彼女の流した涙は涙石となり、みるみるうちに大嵐を呼び寄せ、船を沈めた。
カランは真っ二つに割れた船と共に沈み、出血多量で命を落とした。
「―これが、この石に残された記憶。
カランの涙石の、悲しいお話です…」
「…。」
思ったより重い話だった。
が、肝心な所がわかっていない。
「結局、この石が幽霊船を呼び寄せるのはなぜなんだ?」
「それは…」
アレイは、今度は過去を映像として見せてはくれなかった。
代わりに、悲しげに語りだした。
「カランの死後、カランの魂は海霊となってこの船の周辺の海をさまようようになりました。
しかし、そんな彼女に楓姫が呪いをかけてしまい…カランの魂はこの涙石に封じ込められ、幽霊船を呼び寄せる発信機にされたのです。
幽霊船…ディープライン号は、楓姫が作り出した呪いの船。あの船に縛られた人たちを開放すれば、カランも安らかに眠れるでしょうに…」
やはり、幽霊船には誰かが縛られているらしい。
開放してやりたいのは山々だが、そう上手くはいかないだろう。
とは言え、これでは船の連中だけでなく、カランの魂もあまりに哀れだ。どうにか眠りにつかせてやりたい。
だが、ここでくすぶっていてもどうにもならない。
まずは、王宮に戻ろう。




