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母と離れたアベルトを王は憂いた。
「王妃よ、今日よりお前がアベルトの母になるのだ」
「……陛下、私を馬鹿にしているのですか。正気とは思えませんね」
王の配慮のかけらもない言葉に、王妃は耳を疑った。
側に居た王妃付きの侍女も言葉を失っている。
「これは王命だ」
「お言葉ですが陛下、私にも拒否権がございます」
「そうか、断るか。
では、他の者に任せよう」
「そうなさったら宜しいかと」
「そやつに後宮の管理を任せる」
「?! 何をっ、後宮の管理は王妃である私の務め。それを剥奪する気ですか!」
「私とて、王妃に任せるのが適任だと思う。
しかしアベルトには、後ろ盾が無い。せめて安全な生活を送って欲しい」
「私が彼を害するとでも? 不愉快です」
「そうは言っていない。だがこれは決定だ。
王妃があの子の母になれば、丸く収まると思うのだが?」
「っ、良いでしょう。この借りは高くつきますわよ」
「ああ。出来る限り希望に添おう」
王妃は眩暈がした。あの憎らしい平民の子供を世話しろと言うのか。第1王子の自分の息子より、可愛がられている末の子供を!
翌日から、王妃の憂鬱な日々が始まった。
ーーと、思われたが、実際のところ彼女は困惑していた。
王とクラリスの愛情を一身に浴び、すくすくと育ったアベルトは、裏表のない素直な子供になっていた。
恨めしいと感じていた王妃が「この天然記念物は生きていけるのか?」と、心配するほどに。
違う意味で不安になった彼女は、次第に彼を目で追う様になる。
そして思った。母親に似て、とにかく整っているのだ。
まだ3歳とはいえ、最早完成された美貌の持ち主と言えた。
側室達が王女を育てる姿を見て、秘かに羨ましいと思っていた王妃は欲が出た。
「こんなに女顔で可愛いのだ。一度着飾ってみたい」そう思ってしまった。
定期的に城に来る王妃御用達の商会が、いつもの様に王妃とカルロの為に厳選した商品を並べた。
彼女はアベルトに割り振られた維持費を自分と息子に使ってやろうと考えていたが、服のサンプルをアベルトにあててみた瞬間、一気に願望が顔を出した。
気がつけば、気に入ったデザインの服を数着注文し、細部まで口出しした。
その場では、とりあえず今ある服に似合いそうな宝飾品を大量に選んだ。
その後、可愛らしいデザインの子供服や宝飾品を商会が用意する様になったのは言うまでもない。
着飾る快感をおぼえてしまった王妃は、思いとは裏腹にキッチリ毎月のアルベルトのお金を本人に使っていた。
そして、自分を本当の母親の様に慕う彼に、ついに情が移ってしまった。
それからというもの、徐々に我が子の様に可愛がり、「下賤な血が流れた王子」や「母親に捨てられた王子」などと揶揄する貴族を、牽制する様になった。
一方、面白くないのはカルロだ。
父親の愛も母親の愛もカルロから奪ったアベルトが憎くて憎くて仕方がなかった。
しかし、そこは天然記念物のアベルト。
全く気にしていなかった。邪険にされても、とことこと後ろをついて周り、1人部屋を与えられているはずなのに、一緒に寝たいとせがんだ。
拒否しても、目覚めると隣で心地良さそうに寝ている事が1ヶ月続いた結果。
彼は意地を張るのが馬鹿らしくなり、諦めた。
今では母親と一緒にアベルトの服のデザインを選んでいる。
カルロの寝室には、アベルトの物が増え、枕も専用の物が用意されている。
ほとんど一緒に寝るせいで、たまに「僕1人で寝れるもん!」と、彼が自室で寝る度に、寂しさが増すのであった。
5歳になったアベルト。
ついに王室の一員になるべく、教育が始まろうとしていた。
「アベルト、今日から体験授業を行おう」
「お父様、たいけん授業ってなぁに?」
「お前の兄姉達はな、将来の為にたくさん勉強をしているんだ。アベルトも5歳になったから、彼等の様に学ばなくてはならない。
しかしな、私はクラリスと約束している。
好きな事をたくさんさせると。だから嫌だと思った授業は受けなくて良い。
どんな勉強をしたいか、選ぶ為に試すんだよ」
「うん、わかった!」
一緒に話を聞いていた王妃は、額に手を当てて首を振った。
対照的にカルロと王は満足気に頷いている。
一通り体験後、意図的に狙ったかの如く王位や政に関わる授業を選ばなかった為、王妃がそう仕向けたのではないかと噂が立ったが、1年後には消えた。
理由は王と王妃が派手に喧嘩した事にある。
「陛下。6歳になった事ですし、アベルトに政治や経済の授業も受けさせては如何ですか。
もちろん、まだ幼いですから絵本で簡単にという程度で」
「本人が嫌がる事はさせるな」
「ですが…このままでは欲に眩んだ人間にとって食われそうで。とても心配ですわ」
「ならん。クラリスとの約束だ。
それにアベルトには、息苦しい世界を知らずに生きて欲しい」
「仰る事は分かりますが、いくらなんでも!」
「この話は終わりだ。
例え、アベルトがどれだけバカに育っても、私が養うから問題ない。それで良いだろう」
「困るのはアベルトですのよ?!
なんて無責任な人なんでしょう!
もう、結構です。しばらく私のアベルトに会えないとお思い下さいねっ!」
その日から、王妃はとことん王からアベルトを引き離した。
もちろん王も黙ってはいなかった。
溺愛する末の息子に会えなくなってから1週間。王妃が仕事で居ない所を狙って会いに行った。
「アベルトっ! 元気だったか。お父様に会えなくて寂しかっただろう」
「あれ、お父様忙しいんじゃなかったの?」
「え゛(王妃の仕業だな)
ああ、やっと時間が出来たんだよ。
さてアベルト。せっかくだから少しの間、お父様と一緒に寝ないか?」
「ほんとっ? あ、でも兄様と一緒に寝てもらうから大丈夫だよ!」
「ぐっ、そ、そうか。しかしな、アベルト。
カルロはもう10歳だ。いつまでも弟と一緒に寝るわけにはいかない。
だからカルロの為に、お父様と寝よう」
「兄様のため……うん、わかった!」
「よしよし、では行こうか」
「まだお昼すぎだよ?」
「お父様とティーパーティーだ。大きなケーキもあるぞ」
「ケーキっ?! 食べる~」
王はまんまとアベルトを連れ出す事に成功したが、大騒ぎに発展する事までは予見出来なかった。
「何ですって?! アベルトが居なくなった? 私の留守中になんて事っ……
至急兵を出しなさい! 早く探し出すのです!
ああっ、アベルト、どうか無事でいてっ」
「そんなっ、アベルトがっ?
僕も探してきます! 母上っ」
王妃の出動命令を受けた、第1騎士団は急ぎ、作戦を立てる。
そこに慌てて入って来たのは、近衛騎士団長と宰相だった。
「待て!
捜索は不要だっ!
アベルト殿下はご無事だ。陛下と散歩されている」
「「「は?」」」
「陛下っ! どういう事ですか!
勝手に連れ去るなど、許されませんよ!」
いつもは冷静沈着で有名な王妃が、警護の制止も振り払い、散歩から戻った王の寝室へ怒鳴り込みに行った。
「お、王妃。もう気付いたのか。
別に私の息子と遊んでいただけだ。文句を言われる筋合いはない」
一瞬、狼狽えたが開き直り、王はアベルトを隠すように抱き抱えた。
「陛下っ!!」
「王妃が独り占めするからではないか!」
宰相と騎士団長は頭を抱え、マズイ事になったと肩をおとした。
解決には時間がかかるだろうと思われたが、側近達の心配をよそにアベルトの一言であっさり解決する。
「お母様、おかえりなさいっ。
今日ね、お父様が一緒に寝てくれるんだって~。
だからね、あのね、明日はお母様と一緒に寝たいな~、ダメ?」
「っ!? わっわた、くしとっ?
もちろんよ、アベルト! 今日からでも良いのよ?」
宰相は、王妃の怒りゲージがもの凄いスピードで下がっていくのを感じた。
カルロと共に王妃に同行した侍女も、緊張を解いた。
「「(アベルト様、グッジョブです)」」
「ううん。今日はね、お父様と寝る」
「おおっ、アベルト!」
「そう、残念だわ。
明日はアベルトの好きなものをたくさん用意しておきますからね。
早く来てちょうだい」
「うんっ! ありがとう、お母様」
「(アベルト、僕と一緒に寝ないのか…)」
小さくショックを受けるカルロをよそに、王妃は侍女に寝かしつける用に良い絵本を厳選しないと、と指示を出した。
「では陛下、今日の事は後日伺うとして。
くれぐれも甘やかしすぎない様に。
アベルト、母は行きますから、また明日ね?」
「うん、明日!」
この馬鹿げた一連の騒動は、瞬く間に広まり、王妃の疑惑は晴れた。
代わりに威厳ある王と、完璧な王妃のイメージが崩れたのは、やむを得なかった。
そして、時は現在に戻るーーーーーーー。
お読み頂き、ありがとうございます。