ウワサの天才王子
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朝からアカデミー内は騒がしかった。
授業開始には、あと1時間弱あるにも関わらず、生徒達は口々に今王都を騒がせている“ウワサ”について話している。
もちろん、それはレティアとて例外ではなかった。
「ごきげんよう、レティア様。
お早いですわね」
「ええ、だって今日からでしょう?」
「あら。やはりレティア様もご興味がおありで?
私、まだ信じられませんの!
ですから居てもたっても居られず、つい早く来てしまいましたわっ」
「私もよ (あの天使が同学年だなんて。クラスは流石に別かしら。けど、このクラスには殿下が居るから警護はしやすいわよね)」
その頃、学長室は微妙な緊張感が漂っていた。
「ご入学おめでとうございます、アベルト殿下」
「ありがとうございます! 学長」
「(この小さな王子があの試験を……試験にも立ち会ったというのに、未だ信じられん)
クラスは王太子殿下と同じですので、ご安心を」
「嬉しいですっ」
カリマンは自身を奮い立たせる。
自室のはずのそこは、もはや王城の一室と化していた。
わずか8歳で編入……ではなく、入学を果たした第5王子。
入学後、たった1ヶ月で教師の信頼を得た王太子殿下。
何故か第5王子の付き添いで来てしまった、王妃殿下。
極め付けに生徒達の憧れ、近衛騎士団副団長アレックス卿とその団員数名。
居心地が悪い所の話ではない。
カリマンは静かに、最近常備する様になった胃薬に手を伸ばした。
「(しまった。薬を飲もうにも、私だけカップに口をつける訳にはいかん!)」
堪らず胃を押さえながら、必死に意識を保っていると、最も恐れる人物が口を開いた。
「学長。試験に合格したとは言え、アベルトは8つです。身体的なハンデも大きい事でしょう。
そこをどうお考えか、教えて下さる?」
「最善は尽くしますが、なにぶん初めての事で、我々も模索している最中です」
「あら、模索している間に何か起こったら、どうなさるおつもり?」
「お、仰る通りでございますっ!
早急にプランを!」
王妃が口元を扇子で隠しているせいか、感情が読めず、むしろ目力の強さに萎縮しきりの彼は、隠す事も忘れて、滝汗をかいている。
その様子を、王妃は好ましく思えない。
「学長がこれで、本当にアベルトは守られるのか」と、王妃の心配は増すばかりだった。
「お母様、大丈夫ですよ。兄様が居ますから」
「そうですよ、母上。あまり学長を困らせては可哀想です」
「おや、カルロ。アベルトはまだ幼いのですよ。心配ではないのですか」
「あまり制限をかけると、かえって苦労するかもしれません。
クラスも同じなのですから、私が守ります」
「(兄様っ!)」
「(さすが殿下っ、助かった) 王太子殿下の仰る通りです、王妃殿下。
ですからどうか、今日の所は……ごほんっ。
どうか私共にお任せ下さい」
「そう。何かあれば、分かっていますね」
「ヒィッ、お任せを!」
12歳の子供に救われる形で終わった手続き諸々の時間を、カリマンは何度も悪夢として見る事になるのだが、それはまた別のお話。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ドキドキするなぁ~。
今日から兄様と一緒にアカデミー生活を送れるんだね!
兄様と同じクラスって事は、ヴォストラ嬢も同じクラスでしょ。
あー。ほんっと楽しみ。
「アベルト。私は先に教室に入るから、お前は先生と入るんだぞ」
「はい、兄様」
「よしよし、偉いぞ」
兄様、せっかくアイリーンが整えてくれたのに、もじゃもじゃになっちゃうよぉ。
えっ直さずに行っちゃうの。ええ~。
「先生っ。僕の髪大丈夫ですか?」
「大変可愛らしいですよ」
「先生?」
「おっと思わず。
少し失礼しますね。ーーはい、綺麗になりましたよ」
「ありがとうございます!」
自分では確認出来ないけど、先生が上手く整えてくれた事を祈ろう。
ーーガラガラ
「皆さん、おはようございます。
さて、ご存知だと思いますが紹介しますね。
ーーーーアベルト殿下、お入り下さい」
「はい。
皆さん、おはようございます!
アベルト・トリステアです。宜しくお願いします」
「まあっ、お可愛らしい」
「大丈夫なのか?」
「本当に一緒にお勉強なさるのかしら」
「いくらなんでも、幼いのでは」
「お近づきになった方が良いのか?」
「そりゃそうだろ」
「陛下の愛情は天井知らずですわ」
「カルロ殿下が見た事のない、優しい顔を向けてるぞ」
「見て、あの笑顔。なんて綺麗なお顔なの」
「まるで王女様だわ」
うんうん。皆んな驚いてる。
ごめんね、勉強の邪魔はしない様に頑張るから。
ぐるっと教室を見渡せば、ちらほらと見た事のある令息、令嬢も居る。
「あっ、兄様……と、ヴォストラ嬢!」
窓側の列の1つに、兄様とヴォストラ嬢が並んで座っている。
でも何でだろう。
3人席なのに2人で座ってるし、前後の机ガラッと空いてるし。
…もしかして2人って避けられてるの。
こんなに素敵なのに。兄様は無欠の完璧人間で、ヴォストラ嬢は何か面白そうだよ?
皆んな放っとくなんて、勿体ないのにぃ。
僕、そこの席が良いな~と念を込めて手を振ると、兄様はデレデレの顔で振り返してくれた。
何か最近、お父様に似てきたよね。
ヴォストラ嬢はーーえ、何で鼻押さえてるの。口じゃなくて?
息も荒いし、具合が悪いのかな。
「ぐっ!(天使の微笑みっっ! きゃわわ!
もーうっ、お姉さんをどうしたいの!? 持って帰りたい!悪魔なカルロ殿下から私が守るわ!! )」
「(さっき撫でた時に、髪がもっとふわふわしていたと思うんだが…自分で直したのかな?) ヴォストラ嬢、大丈夫か。息苦しそうだが」
「んぐ、だ、大丈夫ですわ。
失礼致しました。
はうっ、こっちに来る!」
「(本当に大丈夫か、彼女は)」
先生は僕の意図を汲んで、兄様の隣にどうぞと笑ってくれた。
やったね。
ヴォストラ嬢は、突っ伏す程具合が悪いのかな。お医者さん呼ぶ?
◇◆◇◆◇◆◇◆
かわいい、カワイイ、可愛い!!
天使が天使で天使過ぎて、息が辛い。
し・か・も! この席何?
窓際からカルロ殿下、天使、私。
心臓と血液が保つかしら。
何故か私の方を心配そうに、チラチラ見てくるし。
むはぁっ! 私を殺す気か! そうなのか!
そして、教師陣や私達の心配をよそに、アベルト殿下は驚く程順応していた。
授業も完璧にとは言わないまでも、普通についてきているし、周りと遜色なく大人しく机に向かっている。
この子、本当に8歳なの?
まさか私みたいに前世の記憶があるんじゃないでしょうね。
午前の授業を終え、いつもの様に、取り巻き達に強制連行で食堂へ連れて行かれるかと思いきや、まさかの先客。
「ヴォストラ嬢。一緒に食べよう?」
「えっ、私とですか?」
「うん。もしかして先約があった?」
「あ、いえ……(今日に限って何で遠慮するんだよ、取り巻きぃ!)」
「良かった! どんなメニューがあるのかなぁ。僕楽しみだなー」
天使の笑顔には勝てん。
心情的に、今絶対ドナドナが流れてるわ。BGMとして。
ーーザワッ
嗚呼、噂されてる。
ヒソヒソ声があっちこっちで。
そりゃね。普段から取り巻き数名引き連れて、食事してるから目立ってるわよ。
対して今日は、たったの3人。
だと言うのに視線は10倍。勘弁してちょうだい。
「アベルト、何が食べたい?」
「うーん、これかこれで迷ってる」
「じゃあ私がこっちを頼むから、半分こしようか」
「ありがと、兄様っ」
美しき兄弟愛。ねえ、これ私が一緒に居る必要ある?
てかあれ、私すごく睨まれてない?
「あの子……」
「ヴォストラ嬢は決まった?」
「えっ。あ、ええ」
子爵家の子よね。クラスは違うけど、何度かお茶会で顔を合わせた事があるわ。
だけど、彼女にレティアは関わってないはずよ。なのにどうして、私を?
知らないうちに恨みでも買ってたのかしら。
……いやあり得る。
自分の根性の悪さを舐めてはダメよ。
対策するべき? けど彼女には何の力もないだろうし。う~ん。
「良かったの? 兄様の前で上の空だなんて」
「っ?! アベルト殿下?」
びっくりした! あれ、カルロ殿下どこ行った?
「兄様は、先生に呼ばれて席を外したよ」
「あ、そうでしたの」
「挨拶したのに無視だったね」
「え゛」
嘘でしょ、何やってんの私!
終わった。しかもココ食堂。衆人環視もいいところよっ!
ごめんなさい、お父様。次の晩餐会はお気をつけ下さい。娘の不甲斐ない噂で嫌な思いをするかもしれません。
「大丈夫だよ。そんなに気にしてなかったし、周りには聞こえてないから」
「本当ですか!」
「うん」
「良かった~」
「でも驚いたな。ヴォストラ嬢でも失敗する事があるんだね! 王太子の挨拶を無視するだなんてっ」
「へっ!?」
おかしいぞ? 天使がーーーーあれっ??